経済産業省は2022年9月、「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(以下:「ガイドライン」)を作成しました。ガイドラインでは、「企業による人権尊重の取組の普及・促進に向けてリーダーシップを発揮していくことが期待されている」(p2)と指摘しているとおり、企業に人権尊重責任と救済へのアクセスが求められる時代になりました。
昨今の国際情勢において、企業に対する人権尊重責任は、実際のビジネスにも影響を与えるようにもなっています。米国では、2022年6月21日、ウイグル強制労働防止法(UFLPA)に基づく輸入禁止措置が施行され、同年12月9日、同国財務省が中国人2名とその所属企業など合わせて10団体をマグニツキー法に基づき人権侵害などに関与したとして制裁リストに追加し、資産凍結などを科したと公表しました(NHK:2022年12月10日)。
米国政府は、人権尊重責任を果たさない企業への人権侵害を理由とした経済制裁を行うようになっており、人権問題が企業の経済活動にも影響を与えるようになったといえます。特に、ウイグル強制労働防止法は、どこの国で製造された物品であったとしてもウイグルに関わる製品などが少しでも含まれている物品について禁輸措置などを行うと定めており、米国は、自国外での人権侵害に厳しい対応を行う姿勢を明らかにしています。
日本は、中国、米国が貿易相手国の1位と2位を占め、双方の国と経済的に深い関係を有しています。企業も米国政府による人権問題を理由とした経済制裁に対して無関係でいられません。このような国際環境のもとで、企業が人権問題とどのように向き合い、行動をすべきか。2022年に公表されたガイドラインを参考にして、企業のどのような態度が問題となり、どのように問題に対処すべきかを説明します。
人権方針を策定し、人権DDを実施する
まず、ガイドラインでは、「企業は、その人権尊重責任を果たすため、人権方針の策定、人権デュー・ディリジェンス(以下:人権DD)の実施、自社が人権への負の影響を引き起こし又は助長している場合における救済が求められている」(ガイドラインp6)として、企業に人権方針および人権DDを実施することを求めています。
そして、ガイドラインでは、人権方針および人権DDの内容について、次の説明を行っています。
・人権方針は、企業が、その人権尊重責任を果たすという企業によるコミットメント(約束)を企業の内外のステークホルダー(企業活動により影響を受けるまたはその可能性のある利害関係者。例えば、取引先や労働組合など)に向けて明確に示すものである(ガイドラインp7)
・人権DDは、企業が、自社・グループ会社及びサプライヤー等における人権への負の影響を特定し、防止・軽減し、取組の実効性を評価し、どのように対処したかについて説明・情報開示していくために実施する一連の行為を指す。そして、人権DDは、その性質上、人権侵害が存在しないという結果を担保するものではなく、ステークホルダーとの対話を重ねながら、人権への負の影響を防止・軽減するための継続的なプロセスである(ガイドラインp7)
人権方針の策定については、人権尊重責任を果たすとステークホルダーに対して示すものであり、各企業がどのようにコミットしていくかを具体的かつ明確に行うことを列挙し明示していけば良いと考えられます。
取引先の人権侵害も「負の影響」になる…
これに対して人権DDでは、企業が「人権への負の影響」を特定し、防止・軽減することが求められています。それでは、「人権への負の影響」とはどのような内容のものでしょうか。ガイドラインでは、「負の影響」について3つの類型に分類しています。
(1)自ら引き起こす(第1類型)
(2)直接・間接に助長する(第2類型)
(3)自社の事業・製品・サービスと直接関連する(第3類型)
例えば、自社が従業員を劣悪な労働環境で業務に従事させる場合(第1類型)や、取引先に対して契約関係などに基づき劣悪な労働環境を強いられるような取引を行う場合(第2類型)が「負の影響」に該当します。これら第1類型や第2類型については、自社の行為が負の影響に該当するか否かをある程度、容易に特定できると思われます。
しかし、「自社の事業・製品・サービスと直接関連する」(第3類型)とは容易に想像しづらいところがあります。この「自社の事業・製品・サービスと直接関連する」(第3類型)について、ガイドラインでは具体例として「小売業者が衣料品の刺繍を委託したところ、受託者であるサプライヤーが、小売業者との契約上の義務に違反して、児童に刺繍を作成させている業者に再委託する場合」や、「事業活動のためにある企業への貸付を行ったが、その企業が自社との合意に違反し、地域住民を強制的に立ち退かせる場合」を列挙しています。
つまり、ガイドラインでは、「自社の事業・製品・サービスと直接関連する」(第3類型)について、自社が意図しなくても取引先が人権侵害を行う場合であっても「負の影響」に該当するとしています。そして、ガイドラインでは、企業が自ら意図しなかったとしても取引先が行う人権侵害行為対して、これを「特定し、防止・軽減し、取組の実効性を評価し、どのように対処したかについて説明・情報開示していくために実施する」ことを求めています。
「負の影響」を判定し、防止・軽減に努める
それでは、「人権への負の影響」を特定し、防止・軽減する取り組みについて、企業は具体的にどのような行為をすればよいのでしょうか。ガイドラインでは、企業の対応の仕方について次のような指摘がされています。
(1)取引先だけでなく労働者や市民団体、周辺住民などのステークホルダーとの対話(ガイドラインp14)を含めた情報収集を行うこと(ガイドラインp18)
(2)「負の影響」の深刻度を判定し、対応の優先順位をつけること(ガイドラインp19)
(3)取引先への影響力を確保・強化しながら、その影響力を行使して取引先等に対する「負の影響」の防止・軽減に努め(ガイドラインp 21)、場合によっては取引停止(ガイドラインp 22)や、撤退も(ガイドラインp 24)検討すること
つまり、企業は取引先との関係だけでなく、労働者や市民団体などからも意見交換を通じて情報を収集し、「人権への負の影響」を特定した場合には、取引の停止や撤退も視野に入れながら取引先に対して「負の影響」の防止・軽減を求めるように努める姿勢が求められています。
ガイドラインは法律ではないので、法的な効力を持つものではありません。しかし、仮に企業が何の情報収集もせずに中国現地企業と取引を行ったとして、取引先の中国現地企業がウイグル人を使役して劣悪な労働環境での労働を強いていた場合に、企業が中国現地企業に対して何もしなければ、人権への「負の影響」を生じさせたと評価されます。最悪の場合には米国政府からの経済制裁の対象となるという事態も想定されます。
特に、米国のウイグル強制労働防止法やマグニツキー法は国外で行われた人権侵害に対して経済制裁を認める法律であり、かつ、米国政府が人権侵害に対する対応の厳しさを強める姿勢を打ち出している状況にあることを踏まえれば、それらの法律の適用を受け、米国での経済活動ができなくなる事態も想定されます。
今回のガイドラインは、人権問題を理由に経済制裁を受けて企業活動が大きく阻害される事態を回避するための参考となるべき資料です。ガイドラインは企業の規模、業種などにかかわらず、日本で事業活動を行う全ての企業(個人事業主を含む)を対象としています。企業規模に関係なく人権尊重責任について検討していく時代となった証しともいえるでしょう。
執筆=横山賢司
足立三岳法律事務所 代表弁護士。2011年弁護士登録。東京弁護士会所属。
監修=入江源太
麻布国際法律事務所 代表弁護士。1998年検察官任官。カリフォルニア州立大学デービス校LLM、隼あすか法律事務所パートナー、パイオニア株式会社インハウス弁護士などを経て現在に至る。主な著作として、『カルテル規制とリニエンシー』(三協法規出版:2014年9月、編著)、『検証判例会社法』(財経詳報社:2017年11月)などがある。