ビジネスを加速させるワークスタイル(第15回)
似ているようで違う、法人向け光回線の選び方
公開日:2018.11.30
御嶽山が噴火したのは2014年9月27日(土)、午前11時52分ごろ。大勢の登山者が秋山の1日を楽しんでいた好天の週末でした。しかも登山者の多くが山頂に登り着くお昼の時間帯であっただけに、死者58人、行方不明者5人、負傷者69人という未曽有の火山災害となりました。それから丸4年が経過した今年の秋、火山活動の静穏化と山頂シェルターの完成を受けて、噴火後に初めて入山規制が限定的に解除されました。その御嶽山山頂である剣ヶ峰に登ってきましたので、様子をレポートします。
噴火後、火口から1km以内が警戒区域となり、今なお区域内の立ち入りが規制されている御嶽山。今年、9月26日から10月8日まで13日間の限定的なものでしたが、黒沢口登山道のニノ池上分岐から山頂部への入山規制が緩和されました。
私が御嶽山を訪れたのは10月2日(火)、長野県木曽町にある御岳ロープウェイを利用して黒沢口登山道へ向かいました。噴火前は名古屋方面の利用者が多い王滝口登山道に次いで入山者数が多かったルートです。
ロープウェイの営業開始時間である午前8時30分に鹿ノ瀬駅(山麓駅)へ行くと平日にもかかわらず、すでに多くの人が来ていて、駅の入り口前に長い行列ができていました。噴火後、長らく山頂へ行けない状態が続いていたので、登山者が多いことは想像していましたが、こんなに多くの人が集まるとは、御嶽山への関心の高さに驚きました。
10分ほど待ってロープウェイに乗車、登山道の始点に当たる飯森高原駅(山頂駅)から歩き始めます。ほとんどの登山者がヘルメットを装着、またはすぐにかぶれるように携行していて、危機意識が浸透しているようでした。七合目の行場山荘から本格的な登りが始まると、登山道は渋滞していましたが、それにいら立つ人はおらず、お互いにあいさつを交わしたり、譲り合ったりして雰囲気よく登っていました。八合目、女人堂のあたりは鮮やかな紅葉に彩られ、登山者たちの気持ちを和ませていたようです。
登山途中で出会った男性は「麓の木曽町に住んでいて、御嶽山には何度も登り、とても親しみのある山。今日はこの山を見せるために小学生の息子を連れてきた」と話してくれました。また、埼玉から夫と2人で来たという女性は「噴火の直前に登っていて、タイミングが少しずれていれば、自分が犠牲になったかもしれない。そう思うととても人ごとには思えず、被害に遭った方への祈りをするために来た」と言っていました。また、献花するための花束をリュックサックに忍ばせた女性もいました。みながそれぞれに気持ちを秘めて山頂へ向かっているようでした。
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執筆=小林 千穂
山岳ライター・編集者。山好きの父の影響で、子どもの頃に山登りをはじめ、里山歩きから海外遠征まで幅広く登山を楽しむ。山小屋従業員、山岳写真家のアシスタントを経て、フリーのライター・編集者として活動。『山と溪谷』など登山専門誌に多数寄稿するほか、『女子の山登り入門』(学研パブリッシング)、『DVD登山ガイド穂高』(山と溪谷社)などの著書がある。現在は山梨で子育てに奮闘中。
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