日本有数の温泉の街・由布院温泉。大分県由布市にあるこの温泉郷には多くの観光客が訪れる。「まるひでグループ」が経営する高級旅館「旅亭 田乃倉」では、回廊でつながれた姉妹館の「山灯館」と「なな川」も含めた全館を対象に、無料Wi-Fiを導入した。その背景と効果を支配人の玉田香氏とフロント担当の竹下ひろみ氏に聞いた。
2005年、市町村合併で九州の北東部、大分県のほぼ中央に由布市が誕生した。同市の温泉地「由布院温泉」は豊富な湯量を誇り、保養地として名高い。「東の軽井沢、西の湯布院」といわれ、軽井沢をほうふつさせる街並みは、平日でも多くの観光客でにぎわう。
自動車なら、博多から大分自動車道を使って約1時間半。鉄道はJR久大本線の由布院駅があるので交通アクセスは非常に良好だ。20~30年前からは、福岡市に住む若者たちのデートスポットとして注目されてきた。実際に街中には若いカップルやグループの姿が目立つ。
温泉郷である由布院には、当然多くの宿泊施設がある。雰囲気のある高級旅館も多く、「旅亭 田乃倉(以下、田乃倉)」はその一角を占める。隣接する姉妹館として「湯布院 山灯館」「由布院 寛ぎの宿 なな川」も和風の落ち着いたたたずまいを見せている。
そんな閑静な由布院に、今大きな変化が起きつつある。外国人観光客の急増だ。10年ほど前から取り組んできた県を挙げてのPRや地域の旅館組合による宣伝活動などが功を奏した。特に3~4年前から増加が目立っている。「今は全体の4割程度が外国人の方です。当初は韓国の方が多かったのですが、最近は中国、台湾の方も増えてきました」(玉田支配人)
そうした外国人観光客の楽しみ方はいろいろ。電車や大型観光バスで訪れて、日帰り温泉や街歩きを楽しむケースも目立つ。その中で田乃倉を訪れる宿泊客は、日本旅館の“おもてなし”を期待する客層だ。「落ち着いて温泉をお楽しみいただける方々がほとんどです」と玉田支配人は話す。
田乃倉を利用する外国人観光客の多くは、インターネットのホテル予約サイト経由で、直接宿泊を申し込む。「空き部屋の情報を公開すると、すぐに予約が入ってきます。海外の方は1年先とかかなり早いタイミングで予約される傾向が強いですね」とフロント担当の竹下ひろみ氏は指摘する。中国の春節など年中行事に合わせて、早くから旅行計画を立てているのだろう。
田乃倉では、近年、積極的に海外観光客の受け入れに取り組んできた。そこで課題となったのがWi-Fiの導入だ。「予約サイトに掲載する際、Wi-Fiに対応しているというマークが入れられるかどうかで、大きく反応が違うと感じていました」と竹下氏。WebサイトにWi-Fi対応のマークを入れるためには、全室で無料Wi-Fiを利用できることが条件となる。
全室へ無料Wi-Fiを導入する必要性は、田乃倉を利用する外国人観光客の様子を見れば明白だった。接客に当たる竹下氏は、「ロビー付近は以前から無料Wi-Fiを利用できるようにしていました。そうすると、夜遅くまでロビーでスマートフォンやタブレットを利用するお客さまもいて、なんとかしなくてはならないという気持ちが強くなりました」と語る。
田乃倉の部屋が全部で11室。部屋とロビーは廊下で結ばれているが、敷地は広く、途中に立派な中庭があるなど近いとはいえない。客室の露天風呂などでくつろいだ後でロビーに移動してスマートフォンを使うのでは、高級旅館に泊まる意味が半減してしまう。
全室で無料Wi-Fiを使えるように設備を整える計画を検討していたときに、大分県が推進する「おんせんおおいたWi-Fi」の話が玉田支配人の所にも入ってきた。「無料Wi-Fi導入の費用を大分県が補助してくれると聞いて、資料をもらってきて内容を検討し、すぐにグループで申し込むことに決めました」と経緯を話す。
おんせんおおいたWi-Fiは大分県が推進する公衆無線LANサービスで、大分県が補助金制度を設け、NTT西日本のグループ会社であるNTTメディアサプライのWi-Fiサービス「DoSPOT」などを利用した無料の地域Wi-Fiを整備する計画だ。外国人観光客の満足度を上げて来訪者を増やし、地域活性化の強化を図る狙いがある。2015年4月に補助金の提供が開始され、同年7月からサービスが始まった。田乃倉にとっておんせんおおいたWi-Fiの構想はまさに“渡りに船”だった。
無料Wi-Fiが広がると地域に活力が生まれる
広い施設のどこに無線アクセスポイントを設置すればよいか、NTT西日本の担当者と一緒に確認するところから始まった。2つの姉妹館も含めて敷地の面積は約1500坪。いくつもの建物を回廊でつなぐ構造になっているため、効率の良い配置が不可欠だった。結局、全室に対して9台の無線アクセスポイントを設置。2015年12月から全館で利用できるようになった。
宿泊客からの評判は上々だ。「客室で無料Wi-Fiを使っている外国人のお客さまはたくさんいらっしゃいます。スマートフォンで最新情報を収集して日本での旅行を満喫しようとする方、お気に入りのオンラインゲームを楽しむ方など使い方はさまざまで、スマートフォンやタブレットが欠かせないお客さまが多いようです」(竹下氏)
旅行サイトでも、無料Wi-Fiを使えることがアピールポイントの1つになっている。竹下氏は、海外だけでなく、国内のサイトでもWi-Fiマークを設けるところが増えていると指摘する。外国人観光客だけでなく日本人の旅行者にとっても、露天風呂と同じように、無料Wi-Fiの有無が旅館を選ぶ基準の1つになってきているようだ。
補助金を出すなど県を挙げてのプロジェクトだけに、由布院温泉内で地域Wi-Fiを導入する宿泊施設や飲食店が増えつつある。玉田支配人は、「地域Wi-Fiの導入が広がるとともに、外国人観光客増加が加速しているように感じられます。特急『ゆふいんの森』に乗ってJR由布院駅から降りてくるお客さまを見ると、『ここはどこの国なのか』と思うくらい外国人観光客が目立ちます。1年前と比べても驚くほどです」と話す。
玉田支配人は、「おんせんおおいたWi-Fiのロゴマークがいいですね。オレンジ色で目立ちますし、デザインも親しみが持てます。写真を撮ってFacebookなどにアップするお客さまも多く、大分のことを広く知ってもらうきっかけになっているのではないでしょうか。誘致策として成功していると思います」とおんせんおおいたWi-Fiの取り組みを高く評価する。
政府は2020年までに訪日外国人観光客を2000万人にする目標を掲げてきた。2015年の段階でほぼ達成している。それを受けて4000万人という目標を新たに設定した。それを実現するためには、今後、来日客の満足度を上げて、リピーターを増やすことがポイントになる。外国人観光客を集めた実績のある由布院温泉のWi-Fi導入による顧客満足度向上は、一見地味だが非常に効果的な取り組みといえるだろう。日本全国の観光地・宿泊施設の参考になるはずだ。
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