キリンビールからアサヒビールへ。ビール業界の激しいシェア争いは2001年にアサヒビールが王座を奪い、キリンビールは2009年に再度トップに返り咲いた。劣勢にあったキリンビールの反転攻勢に活躍したのが田村潤氏だ。そんな田村氏は「戦い方はすべて高知支店で学んだ」と語る。
そこで前回に引き続き、本連載を監修するドラッカー学会理事の佐藤等氏が、田村氏の高知支店での奮闘をドラッカーの名言で解説する。
ポイント4■行動への転化
行動を伴わない戦略は、絵に描いた餅です。ドラッカー教授は「いかなる知識といえども行動に転化しないかぎり無用の存在である」(「経営者の条件」)と強調します。さらに戦略の遂行においては、行動の量がカギを握り、習慣化が不可欠です。田村氏は粘り強いメンバーへの働きかけで、このハードルをクリアしました。
田村氏は、営業社員がこれまで料飲店をどのくらい訪問していたかを調べた。月に30~50件。高知県には当時、料飲店が約2000店あったので、全く足りない。「営業社員は全員、現場リーダーの課長と相談して、料飲店の訪問件数の目標を立ててください」。
こう号令した直後、逆風が吹いた。96年初頭、スーパードライの勢いに危機感を抱いたキリンビールは、看板商品の「キリンラガービール」の味を変えた。これが大失敗。新規顧客を取り込めず、固定ファンの支持を失った。高知支店の成績も見る見る悪化した。
そして4月、支店の数字を洗い出した田村氏は激怒した。部下を集め、初めて本気で叱った。結果の数字が悪かったからではない。行動目標である訪問件数をクリアしていなかったからだ。「約束したことをやり切らずに、なぜ平気で家に帰れるのですか」
これを機に、支店の空気が変わった。「少なくとも、できないことを本社のせいにするのはやめる合意ができた」(田村氏)という。課長と営業社員が個別に目標の達成状況を確認し、達成できていないときは、どうしたらできるかを膝詰めで議論するようになった。
9人の営業社員で高知に約2000店ある料飲店すべてを1カ月で回るには、1人200件以上を訪問する必要があり、実際にそんな目標を掲げた若手もいた。実際にできるか、本人も半信半疑だったが、4カ月続けると、不思議と苦もなく回り切れるようになった。「よく来るね」という得意先の声に励まされ、営業を楽しみ、工夫する姿勢が出てきた。
しかし、アサヒビールの猛攻は止まらない。健闘むなしく、96年9月、とうとう高知県でのトップシェアの座を奪われた。
田村氏のノート。心に残った言葉をメモして、読み返す習慣がある
ポイント5■顧客の買うもの
顧客視点に立つ重要性は誰もが認めるところです。ドラッカーはこう指摘します。「企業が売っていると考えているものを顧客が買っていることは稀である」(「創造する経営者」)。ビールの顧客は何を買っているのか。この問いに今までにない答えを出したことで、田村氏の反転攻勢が本格化します。
ビールは情報で飲まれている。味だけじゃない…
なぜこれほどまでアサヒビールに負けるのか。ヒントを探して、田村氏も連日、現場を回った。夜は毎晩、地元の人たちと酒を酌み交わした。特に、かつてキリンラガー派だった消費者が、スーパードライに切り替えた転換点に注意して耳を傾けた。
「みんながおいしいと言うから」
「今、売れていると聞いたから」
驚いたことに、味の違いを挙げる人はほとんどいなかった。「お客さまは要するに、売れていて元気な、勢いあるビールが飲みたいんだ。ビールは味で飲まれるのではない。情報で飲まれている」――目から鱗の大発見だった。
そんな折、面白い情報を見つけた。高知県は「20歳以上で人口1人当たりのラガーの瓶ビール消費量が日本一」だという。そこで、こんなコピーを打ち出した。「高知が、いちばん。―― 成人1人当りのキリンラガービール(瓶)消費量は、おかげさまで高知県が全国一位でした」
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高知支店が独自に作成したポスター。高知県民のラガービール消費量が「日本一」だというデータが、顧客の心をくすぐり、地元で話題を呼んだ[/caption]
なけなしの販促費で、地元の新聞やラジオに広告を出し、ポスターを配った。これが大きな反響を呼んだ。顧客との会話のきっかけとして格好の話題。高知支店のメンバーと顧客の距離が縮まった。そんな中で、顧客からたびたび受けた要望があった。
「ラガーの味を戻してほしい」。
このときメンバーは、キリンラガーがどれほど高知県民に愛されていたかを知った。ある人は、今は亡き両親が子どもの頃、ラガービール1本を真ん中に置き、2人で飲んでいた記憶を語った。今も墓参りにはキリンラガーを持って行くと涙ながらに話す。高知の土地柄で、夏の農作業の後によく飲んだと振り返る人も多くいた。
そんな顧客の願いを何としてもかなえたい。田村氏は辞職覚悟で本社に通い「ラガーの味の復活」を進言した。97年11月には、高知支店を視察に来た当時の社長に女性メンバーが直訴、田村氏が後で怒られる一幕もあった。
ポイント6■社会における役割
この翌年、支店全体が突如、使命感に目覚めたと、田村氏は振り返ります。顧客との深いコミュニケーションを通じて、キリンビールでの仕事に意義を見いだしたのです。ドラッカー教授は、こう指摘します。「個人にとって、社会的な位置と役割がなければ、社会は存在しないも同然である」(「産業人の未来」)。社会的な位置と役割を自覚することは、知識労働者のモチベーションの源泉です。
98年1月、本社が「ラガーの味を元に戻す」と発表した。田村氏らの訴えがどの程度、効いたかは分からないが、これを高知支店はチャンスに変えた。「高知の皆さんのおかげです」という感謝の言葉で、営業攻勢をかけた。
全員が、強い使命感に燃えていた。膨大な顧客訪問をこなしてきたことは、営業の基礎体力を高めただけではない。顧客とのコミュニケーションを通じ、自社商品の価値を確信するに至っていた。「おいしいキリンビールの商品を、1人でも多くのお客さまに届けるのが我々の使命だ」。
心からそう信じるメンバーたちは、営業に工夫を重ねた。「料飲店1軒の訪問に使えるのはせいぜい3分。そこで店主の心をつかむには、どうしたらいいか」「商売に役立つ情報は間違いなく喜ばれる」「土佐弁のポスターも面白いかもしれない」……。
これまでなかなか手が回り切らなかった本社からの指示にも、意欲的に取り組んだ。新商品のキャンペーンなどの要請を「キリンの商品を広めるチャンス。しっかり活用しよう」と、前向きに受け止めるようになったからだ。こうして98年、高知県でのシェアが反転。2001年、県内首位の座を奪還した。
その後、田村氏はキリンビール副社長兼営業本部長として、全社的な営業の立て直しに奔走し、成功を収める。「リーダーとしてやるべきことは全国でも高知でも同じだった。その本質をドラッカー教授は的確な言葉で表現してくれている」と話す。
本連載を監修する佐藤等氏。
札幌市で公認会計士事務所を経営する傍ら、2003年からドラッカーの読書会を開始。14年間で700回以上開催した。ドラッカー学会理事
日経トップリーダー 文/尾越まり恵
※ ドラッカーの著作からの引用は、ダイヤモンド社刊行の書籍に準拠しています