ビジネスを加速させるワークスタイル(第15回)
似ているようで違う、法人向け光回線の選び方
公開日:2018.03.07
実例からドラッカーのマネジメントを学ぶ連載。今回は、米菓メーカーの三州製菓の取り組みを紹介します。大手に勝負を挑み疲弊する社員たちを見て、ニッチな市場でトップを狙うことに集中することを決意。米菓製造というコア事業を変えずに何を変えたのか。斉之平伸一社長の気付きを基に、具体的な社内改革を紹介します。
「あらゆる企業が専門化しなければならない。あらゆる企業が、その専門化から可能なかぎり多くの成果を得なければならない。そのような意味での多角化をしなければならない。この専門化と多角化のバランスが、事業の範囲を規定する」
(『創造する経営者』278ページ)
非生産的な事業が資源の有効活用を妨げる。かつての三州製菓はその典型だ。大手に真っ向勝負を挑み、社員が疲弊していた。
しからば「われわれの事業は何であるべきか」――。ドラッカー教授が投げかける、この大きな問いに答えるには「あらゆる企業が中核となるものをもたなければならない」(『創造する経営者』)。
三州製菓は、自社の「中核」が「米菓製造」にあり、量販店向けの営業にも洋菓子製造にもないと見定め、「少量多品種生産」に焦点を絞って専門化を図った。その結果、大手と競合しない3つの市場を開拓し、真の多角化を実現した。
資源を有効活用するには、強みが生きる分野への集中が欠かせない。集中と多角化は一見、矛盾する。しかし、多角化の本質は、自社の強みを深めることにある。
「卓越性の定義は、事業に弾力性や成長と変化の余裕をもたせることができるように、大きく、しかも集中が可能なように範囲を特定するものでなければならない」
(ドラッカー学会理事=佐藤 等)
理想への道は長い――。家業に入って痛感した。
米菓メーカーの三州製菓(埼玉県春日部市)は1947年創業。その翌年、創業者の息子に生まれた斉之平伸一社長は、幼少期から後継者になることに迷いがなく、青年期は経営学に関心を寄せた。
一橋大学卒業後、松下電器産業(現パナソニック)に入社し、国際部門に勤務。生前の松下幸之助と言葉を交わす機会に恵まれた。ドラッカーの著作をよく読むようになったのはこの頃だ。郷里・埼玉が生んだ実業家、渋沢栄一をドラッカーが高く評価していることにも感銘を受けた。「マネジメント」には、こう記されている。「プロフェッショナルとしてのマネジメントの必要性を世界で最初に理解したのが渋沢だった」。
やがてドラッカーと松下、渋沢の思想に共通点を見いだした。「『人を生かす』ことを基盤に、現場に極力、意思決定を委ねようとした。自分もそんな経営がしたい」
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佐藤 等(佐藤等公認会計士事務所)
佐藤等公認会計士事務所所長、公認会計士・税理士、ドラッカー学会理事。1961年函館生まれ。主催するナレッジプラザの研究会としてドラッカーの「読書会」を北海道と東京で開催中。著作に『実践するドラッカー[事業編]』(ダイヤモンド社)をはじめとする実践するドラッカーシリーズがある。
【T】
実例で学ぶ!ドラッカーで苦境を跳ね返せ