ドラッカーに学んだ先輩企業(17) 三州製菓 (2)
社員の反発、父の主張
斉之平社長
洋菓子に自社の強みはない。斉之平社長が可能性を感じたのは、和菓子専門店向けの米菓だ。
具体的には、和菓子専門店にせんべいやあられをOEM(相手先ブランドによる生産)提供したり、卸したりする。多品種少量生産が求められるので、大手は参入しない。このニッチな市場ならシェアトップも狙えるし、利益率も上げられる。
こうして戦略が定まった。
しかし、いざ実行に移すとなると、社員は反発した。菓子問屋を経由した量販店向けの市場から撤退し、専門店に直接、売り込む。その戦略は営業社員にとって、これまで親しくしていた問屋を中抜きすることを意味した。製造部門にしてみれば、多品種少量生産は面倒だ。社員の離職が相次いだ。
しかも、事業転換は一気にできない。販売先を切り替える間、一時的な売り上げ低下は不可避で、慎重に進める必要があった。
幸い、当時社長だった父は息子の戦略に同意した。しかし、営業先の選定など戦術レベルで意見が分かれる場面は多くあった。
そんなときは父の主張に従った。「どちらが正しいかは、やってみなければ分からない。父の言う通りにやってダメなら、私の戦術に切り替える。どちらを先に試すかだけの問題」と割り切った。こうして10年ほどかけて販売先を切り替え、事業転換を完遂すると、売り上げも利益も伸びた。
ニッチ市場を探し続ける…
しかし、斉之平社長はこれだけで満足しなかった。他にも事業の柱がいくつか欲しいと考えた。ニッチでもトップに立てる事業を複数持てば、経営は安定する。そこで取り組んだのが、自社で米菓専門店を展開すること。大手がいないのが魅力だった。
まず、以前から1店舗あった直営店の強化を図ったが、すぐにFC(フランチャイズチェーン)展開に切り替えた。「長年、製造に専念してきた我々は、接客に強みがない」と、判断したからである。それから36年たった現在、FC店15店のほか、直営店を5店展開。子会社で運営し、5億7000万円を売り上げている(2017年6月期)。
次に着目したのが、テーマパーク。園内では土産物としてよく洋菓子が売られていたが、和菓子はほとんどなかった。そこで「オリジナルのせんべいをOEM生産します」と売り込み、大手から受注を獲得。新たな収益源を得た。「規模こそ違うが、米ゼネラル・エレクトリック(GE)のジャック・ウェルチ元会長と同じ。ドラッカー教授の助言を受けて、自社が1位か2位になれる市場を求め続けた」と、斉之平社長は説明する。
三州製菓に入社して12年後の1988年、斉之平社長は40歳で父の後を継ぎ、トップの座に就いた。3本柱の事業展開で、2017年6月期の売上高は25億3000万円。社長就任以来、赤字はない。
だが、斉之平社長が一番に追い求めたのは、業績ではない。若き日に思い描いた「人を生かす経営」という理想の実現。その思いは人事の決断や社内制度として具体化され、ドラッカーに学んだ事業戦略と両輪となって、三州製菓を成長させていった。
【あなたへの問い】
■ 自社の事業を複数の切り口で分類してください。
■ 売上高構成比はそれぞれ、どのようになるでしょうか?
■ 自社の事業分類の中で、大手と競合するものは、どれですか?
■ 逆に、大手と競合しにくいものは、どれですか?
次世代の主力事業を何にすべきか。この問題について考えるときに欠かせないのが、現状分析です。
自社の事業を分類する切り口は、商品カテゴリーのほか、販路、顧客属性などさまざまです。いつもとは違う切り口で分類して、いい戦略を思いつくことはよくあります。
一般に、大手と競合する大市場は中小企業に合いませんが、あまりに小さな市場に特化するのもリスクがあります。自社に適度なサイズの市場はどこか、考えてみてください。
(Dサポート代表※ 清水祥行)
※ Dサポートは、ドラッカーのマネジメント体系を活用した人材開発支援を手掛け、本連載を監修するドラッカー学会理事の佐藤等氏と清水祥行氏の2人が、代表取締役を務める
※ ドラッカーの著作からの引用ページは、ダイヤモンド社刊行の書籍に準拠
日経トップリーダー 構成/尾越まり恵