実例からドラッカーのマネジメントを学ぶ連載。今回は、山形県の八幡自動車商会の前編です。商社を辞めて故郷の父親が創業した自動車整備工場を継いだ2代目が、ドラッカーの教えを生かして、会社を再生した軌跡を追います。
あらゆる経営者は「自らの事業についての定義」を持たなければならないと、ドラッカー教授は力説する。複雑な日々の意思決定を首尾一貫したものとするには、明確な「事業の定義」が不可欠だ。
八幡自動車商会の事業の定義は、「お客様の安全をお守りすることを絶対的使命」とするミッションから始まっている。だから、いくら安くて売れるといっても、安全性に確証を持てない中古車は「販売しない」とした。一方、足元の利益率は低くても、過疎地の高齢ドライバーをケアする事業は「育てる」と決めた。
事業の定義はさらに、自社を取り巻く経営環境に適合していなければならない。ドラッカー教授のいう「リーダーシップを獲得すべき市場」とは、「顧客の支持が得られる市場」と言い換えられる。八幡自動車商会が車検事業に集中したのは、売り上げの安定性と利益率の高さが、顧客の支持を得ている証しだと理解したからだ。
この車検事業において八幡自動車商会は、最初から「卓越性」を持っていた。整備士の技術レベルが高いという持ち味が生きた。その後も「車の医療に携わる医者」たるべく若手の教育に力を入れ、卓越性に磨きをかけている。
(ドラッカー学会理事=佐藤 等)
八幡自動車商会(山形県酒田市)の池田等社長は2代目。東京での商社勤務を経て1998年、28歳で父が経営する自動車整備工場に入社。郷里の山形に帰った。当時の八幡自動車商会は、整備士4人と事務員1人を雇い、売上高5000万円ほど。得意先は主に建設会社で、トラックなどを販売した後、整備や車検を請け負う下請けのような存在だった。
入社間もないある日、得意先に突然、呼び出された。
「うちの車が田んぼに落ちた。引き上げてくれ」
すぐに整備士と駆け付け、2人で泥だらけになりながら1、2時間、悪戦苦闘したが、車は全く動かない。そんな最中に「役立たず」という怒声を浴びた。
整備士は国家資格を持つ立派な技術者だ。こんな仕打ちを受ける現状を許していいものか──。
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池田等社長は、米国の高校を卒業し、上智大学を経て総合商社で働いた[/caption]
池田社長は大学卒業後、総合商社の日商岩井(現双日)に就職した。当時は父の後を継ぐことなど考えていなかった。成績は良く、入社3年目で米国の石油メジャーのプロジェクトを受注。充実感があった。
しかし、あるとき上司と衝突したのを機に、将来について考え直した。サラリーマンばかりの大企業では、稼いだ実績より、社内政治の巧拙が人事評価に響き、大きな仕事を任されるかも左右する。そう考えると嫌気が差した。
商社の最前線で多くの事業の採算性を分析し、経営の奥深さを実感した。今度は、自分自身の力を事業で試してみたい。そう考えたとき家業を継ぐことに魅力を感じ、郷里に帰る決断を下した。
それから商社を退職して帰郷するまでの約1年、経営書をむさぼり読んだ。その中で感銘を受けたのがドラッカーの著作だった。その後、実家の整備工場の現場に入り、そこでの体験から本で読んだ言葉を思い起こすと、その意味が深く身に染みた。
雪道で得意先の社員の怒声を聞いたときが、まさにそうだった。脳裏に「ミッション」の重要性を説くドラッカーの言葉が浮かんだ。
「ミッションからスタートしなければならない。ミッションこそ重要である。組織として人として、何をもって憶えられたいか」(『非営利組織の経営』)。このドラッカーの問いに答えるべく、池田社長は、自分たちの仕事を「車の医療に携わる医者」と位置付け、「お客様の安全をお守りすることを絶対的使命」とするミッションを定めた。
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池田社長が最初に掲げたミッションは現在、「車検のコバックの誓い」の冒頭に残っている[/caption]
目標は地方銀行の同レベルの年収
自動車整備工場にはメーカー系列と独立系の2種類があり、八幡自動車商会は後者。整備士には全メーカーの車に対応する技術と知識が求められる。池田社長は幼い頃から彼らを尊敬していた。
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八幡自動車商会のベテラン整備士。現在は若手の教育係として活躍する[/caption]
なのに、軽んじられている。整備士自身のセルフイメージも低く、待遇が悪い。勤続20年以上にもなる50代の工場長が月給27万円だと、入社して初めて知って驚いた。彼らにプライドを取り戻すのに、まず必要なのは明確な言葉だ。そう考えてミッションを定めた。
次にめざすのは、稼げる事業を育て、給与を上げること。目標は地方銀行の行員と同レベル、30代で平均年収400万円、40代で500万円。そう心に決めた。
寝ても覚めても車検
八幡自動車商会の財務諸表を見ながら、戦略を練った。現状は無借金で、わずかに利益を出しているが、建設需要の減退で先行きが不透明。だから両親は会社を売るつもりでいた。
事業部門は大きく2つ、車の販売と車検に分かれる。父は車の販売を強化したがっていた。確かに販売事業は1件の成約で大きな売り上げが立つが、月次で見ると波が大きい。一方、車検は単価が低いけどリピートが多く、売り上げが安定している。しかも利益率が約60%と、車の販売の15~20%と比べて高い。
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八幡自動車商会が運営する「車検のコバック」[/caption]
さらに車の販売では、仕入れの支払いが先行するが、車検は、使用した部品などの代金は後払いでいい。事業として育てる上で大きなメリットになる。経営資源の集中は、ドラッカーも強調するところ。「重要なことは、いかに適切に仕事を行うかではなく、いかになすべき仕事を見つけ、いかに資源と活動を集中するかである」(『創造する経営者』)。
池田社長は車検事業に集中する決断を下した。さらに顧客を、マイカーを持つ一般消費者に広げようと考え、車検専門店を展開するコバック(愛知県豊田市)のフランチャイズチェーンに加盟した。
※ Dサポートは、ドラッカーのマネジメント体系を活用した人材開発支援を手掛け、本連載を監修するドラッカー学会理事の佐藤等氏と清水祥行氏の2人が、代表取締役を務める
※ ドラッカーの著作からの引用ページは、ダイヤモンド社刊行の書籍に準拠
日経トップリーダー 構成/尾越まり恵