交渉の場面で、前回解説した返報性の原理を活用するには、「何か譲るものをあらかじめつくっておく」ことが有効な手となります。ここで、決められた予算内でシステムにどこまで機能を実装するのかを、システム部門とユーザー部門が交渉で詰めているケースを考えてみましょう。あなたはシステム部門を率いる現場リーダーであるとします。
今、A、B、Cという3つの機能が実装候補に上っていたとしましょう。このとき、最終結果として「AとBの2機能を実装する」ことで合意したとしても、その交渉プロセスによって、ユーザー部門がどのように感じるかが大きく異なります。システム部門が「A機能とB機能ならなんとか実装可能です」という立場から交渉を始めたとき(パターン1)と、「A機能しか実装できません」と初めから表明していたとき(パターン2)に分けて考えてみましょう(図1)。
パターン1の場合、ユーザー部門はおそらく「C機能もなんとか載せられないか」と要望することになるでしょう。しかし、システム部門としては最初から限界ギリギリの状態で交渉を始めており、譲歩の余地はありません。交渉の結果、「A機能とB機能を実装する」という結論にたどり着き、システム部門はホッとしていたとしても、ユーザー部門には不満が残ります。「一切譲ってもらえなかった」と思うからです。
パターン2ではどうでしょうか。システム部門は「A機能しか実装は無理である」という立場で交渉を始めます。これに対して、ユーザー部門は「せめてB機能も載せてほしい」と持ちかけるでしょう。この場合も、システム部門はなかなかイエスとは言いません。「予算的に厳しい」「技術的リスクが高い」など具体的な数値や根拠とともに理詰めで説明され、ユーザー部門もうなずかざるを得ない状況になる、というのがよく見られる光景です。
ここで、システム開発リーダーであるあなたが「現場の意見ですから、なんとか頑張ってみます」と話を切り出したら、ユーザー部門はどう思うでしょうか。当然、「譲ってもらった」と感じるでしょう。さらにいえば、「自分の交渉が相手の譲歩を引き出した」と思うに違いありません。
パターン1 とパターン2 は、最終的にどちらも「A機能とB機能を実装する」という同じ結果に終わっています。しかし、交渉のプロセスによって、ユーザー部門がどう感じるかが全く異なります。
「譲るものの価値」を正しく認識してもらう…
交渉に長けたリーダーは、ここでさらに“ 演出” をします。上記ケースにおいて、リーダーが「B機能までだったらギリギリ載せられる。しかし、かなり現場の負荷が増えることになる」と思っていたとしましょう。ここで「分かりました。B機能まで載せます」とあっさり自分の口から言えば、ユーザー部門は「譲ってもらった」とは考えるでしょうが、さほど大変なことだとは思わないかもしれません。こちらは相当な譲歩をしているのですが、その価値がうまく相手に伝わらないわけです。
そこで、価値をうまく伝えるために少し演出をします。具体的には、ユーザー部門の担当者に「ちょっと待ってください。ベンダーと交渉します」などと言い、わざわざベンダーに電話をします。そして、「ユーザー部門がB機能はどうしても実装してほしいと言っている。私としても頑張りたいのですが、なんとか実現できないか」と目の前で話をするのです。
これを聞いた相手はどのように感じるでしょうか。もちろん、「自分のために、わざわざベンダーと再交渉してくれている」と思うはずです。その場で自分が「B機能まで載せる」と言ったとしても、結果そのものは同じです。しかし、相手が感じる満足感は大きく異なります。「そこまでしてくれてありがとう」と思ってもらえるはずです。
この演出はつまるところ、「譲るものを相手に正しく認識してもらう」ための演出といえます。ここで気を付けなければならないのは、大したことでもないのに演出だけを大げさにすると、逆効果になる可能性が高いということです。「大した譲歩でもないのに大げさな」と相手が感じてしまえば、感謝されるどころか逆に信用を大きく失うことになりかねません。あくまでも自分としても精いっぱい、ギリギリのラインであることを正しく伝えるためのアプローチだということを忘れないようにしましょう。
相手に非があるときは「先に譲る」
次に、交渉の場面で「相手に非がある」ときの状況を考えてみましょう。
今度は、あなたがユーザー企業のシステム担当者で、ベンダーとの交渉を担当しているとしましょう。プロジェクトの進捗は思わしくなさそうです。ベンダー側のチームメンバーはみな夜遅くまで働いているようですし、スケジュールの再調整が必要な状況だと思われます。しかし、ベンダーからはスケジュールを延ばしたいという連絡はまだありません。このとき、返報性の原理を味方に付けられれば、より有利な交渉に持ち込むことが可能となります。
具体的に、どうやって味方に付けるかというと、相手に「先に譲る」のです(図2)。上に示したケースの場合、先にこちらから「現状、スケジュールがかなり厳しそうなので、現実的なスケジュールに切り直しましょうか」と伝えます。本来であれば、ベンダーからシステム担当者に伝えるべきことを、先に言い出してくれたのですから、ベンダーからすれば大変ありがたい話ですし、「理解のある担当者だ」と思うことでしょう。
さらに、「何かお返しをしなければならない」という気持ちにもなるはずです。返報性の原理に基づき、「もらいっ放し」は不快だからです。このタイミングで、システム担当者側から「ユーザー部門からこんな機能も欲しいと言われているが、対応できないか」と相談されたり、「納期を遅らせることを上と掛け合う材料が必要なので、なんとか1 名人員を追加してもらえないか」と相談を持ちかけられたりしたらどうでしょうか。おそらく、「スケジュールの見直しを認めてくれたし、どうにか対応してあげたい」、もしくは「向こうが譲歩してくれたのに、こちらがやれないとは言えないな」などと思うのではないでしょうか。
このように、相手側に非や弱みがあるときは、こちらが「先に譲る」ことによって相手が感じる「借り」を大きくできるわけです。同じスケジュール交渉であっても、どちらが言い出すかによって、結果に違いが生じることが分かります。
日経SYSTEMS/芝本秀徳(プロセスデザインエージェント)