認知行動療法の権威である大野裕氏は、著書『「うつ」を治す』(PHP研究所)で、「心の健康の3つのC」の大切さについて触れています。3つのCとは「Cognition(認知)」「Control(コントロール感覚)」「Communication(コミュニケーション)」です(図4)。以下で詳しく説明しましょう。
同じ出来事でも、受け取り方が違えば感じるストレスも違います。つまり、認知というものの見方のフィルターを通して現実を見ています。人は強いストレスにさらされると、このフィルターがうまく機能しなくなる場合があります。これを「認知が歪(ひず)む」といいます。
例としてよく挙げられるのが「劇場の火事」です。劇場で「火事だ」と騒ぎになったときに、引けば開くドアを押すことしかできなくなるのです。何のストレスもない状況であれば、押してドアが開かなければ、引いてみるはずです。しかし、火事のストレスで、引いてみるという選択肢を思い付けないのです。
プロジェクトでも同じようなことがよく起こります。例えば、納期間近にメンバーから「今日、徹夜していいですか?」といきなり相談があります。事情を聞くと「担当作業がはかどらず、このままだと明日のリリースに載せられそうにない。だから徹夜させてほしい」とのことです。
リーダーからすれば「確かに明日のリリースに載せる予定だけど、それが載らなかったからといって、クライアントや他の工程への影響は少ない。次のリリースでも問題ないのではないか」と考えます。しかし、担当者本人からすれば、1週間ほど前から「このままでは間に合わない」「急がないといけない」「載せられなかったらまずい」と思い続けているわけですから、既に強いストレスに長い間さらされています。すると「もう徹夜しかない」と、他の選択肢を考えられなくなっているのです。
前述の『「うつ」を治す』には、こうした「認知の歪み」として次の7つのパターンが示されています(図5)。
(1)恣意的推論:証拠が少ないのにあることを信じ込んでしまう。思い付きで判断してしまう。例えば、朝上司があいさつに答えてくれなかったのは、自分の評価が低いからだと思い込んでしまう。実際には考え事をしていただけかもしれないのに、などです。
(2)二分割的思考:はっきりと白黒つけないと気が済まない状態。例えば「作業の進捗を見て、厳しそうであればクライアントと交渉しよう」のような中ぶらりんな状況に耐えられないようなことです。
(3)選択的抽出:自分の関心のある事柄にだけ目が行く状態です。「自分の評価が低いのではないか」と心配している人は、その証拠になりそうな事柄ばかりに目が行くようになります。
(4)拡大視、縮小視:自分の関心のあることを大きく捉え、そうでないことを小さく捉える状態。何かに失敗すると、自分の足りないものばかりを大きく捉え、自分ができているところを過小評価するなどです。
(5)極端な一般化:ごく小さな証拠を取り上げて、すべてを一般化してしまう態度です。小さな失敗だけで「自分はダメだ」と思い込むような状態を指します。
(6)自己関連付け:自分の責任の大きさを感じ過ぎて、自分ばかりを責めてしまうような状態。「プロジェクトがうまくいっていないのは、自分の作業が遅れたからだ」と、過度に自分を責めるような状態を指します。
(7)情緒的な理由付け:現実を見て判断するのではなく、自分が抱いた感情から現実を判断する状態。例えば、プロジェクトで経験がない仕事で不安になったとき、「不安に思うのは、この仕事は難しいということだ」と感情から現実を判断する状態です。
ここで挙げた思考(歪んだ認知)は、自分でそうしようと思ってなるのではなく、ストレスにさらされた状態にいると「自動的に」そうなってしまうのです。認知の歪みを修正するには、この自動的な思考に気が付き、その思考に論理的に反論するのです。前述の大野裕氏は、この自動思考に対して「そう考える根拠はどこにあるのか」「だからどうなるというんだ」「別の考え方はないものだろうか」を自問する方法を薦めています。
リーダーからの問いかけが部下を変えるきっかけになる
メンバーが認知の歪みに陥っている、見方が狭くなっている際、次のように、プロジェクトリーダーから同じ問いかけをすれば、視野を広げられます(図6)。
1)根拠を探す……「そう考える根拠はどこにあるのか」
先の「徹夜」の例でいえば、「なぜ、徹夜しようと思うの?」「クライアントは徹夜してまで対応してほしいと言っているの?」「納期の交渉はできないの?」などです。メンバーは「明日、リリース」を絶対の条件だと思い込んでいます。しかし、交渉の余地はあるわけです。もし交渉してダメなら、そのときは頑張ればいいだけです。
2)結果について考える……「だからどうなるというんだ」
「納期交渉で断られたとして、どうなるの?」「断られても、それはそれで今より状況が悪化するわけじゃないよね?」「明日のリリースに間に合わなかったら何が起こるの?」などです。クライアントに対して責任を果たさなければならないのは当然ですが、プロジェクトですべてが想定通りにいくことはありません。想定外の事態があったとしても、よく考えてみれば大したことではない場合がほとんどです。リカバリーできない事態は少ないのです。
3)代わりの考えを探す……「別の考え方はないものだろうか」
根拠と結果について考えると、視野が広がり、現実を客観的に見られるようになってきます。そこで「じゃあ、どう考えればいいだろう」と問いかけてみます。すると「次のリリースで対応できないか、一度、クライアントに相談してみます」と考えられれば、仮に交渉の結果が思わしくなくても、「方法はいくらでもある」「ダメモトでもやってみればいいんだ」と思えるようになるのです。