オフィスあるある4コマ(第45回)
ホテルでWi-Fiがつながらない原因
公開日:2015.11.04
私は経済記者として、企業経営について長く取材してきました。取材をしているうちに世の中で名を成している人であればあるほど、その幼少期に親から深い愛情を注がれた傾向が顕著に見られることを痛感しました。
「なぜ、そうした経営判断をしたのですか?」「どうしてそこで諦めず、踏ん張ることができたのですか?」。経営者の思考や行動を深く掘り下げていくと、高い確率で幼少期の話になります。中にはこちらが水を向けなくても、聞いてくれと言わんばかりに親の話を語り始める経営者もいます。
成育歴は、そのときに書こうとしている記事とは直接関係ないこともありますが、経営者を理解する上で絶対に欠かせない視点だと思っていますので、時間が許す限り、どのような家庭環境だったのかを聞くようにしています。
経営者という職業は、はたから見ていても大変です。「うちの子どもは、社長になんてさせたくない」という親もいるでしょう。ただ、経営者の育てられ方に学ぶことは非常に多いのです。
子どものために親ができることは、結局のところ子どもの地力を高めるしかないのでしょう。どんな時代が来ようとも、自律的に道を切り開いていける「ものの考え方」を身につけさせるのです。この力があれば、どのような職業に就いても、その世界で懸命に生きてくれると思います。そして、この力は先天的に備わっているのではなく、親のほうから、深い愛情とセットで与えるものだということが、経営者の取材をしていれば分かります。
「イクメン」「イクボス」といった言葉に象徴されるように、現在、子育ては女性だけの仕事ではなくなっています。男女を問わず、子育てに関してきちんと考えることは、子どもの将来だけでなく、自分自身のビジネスパーソンとしての生き方を左右するといっても過言でありません。これから紹介する、著名人の育てられ方に触れることが、子育てを改めて考えるきっかけになれば幸いです。まず、紹介するのは、史上最年少25歳で、東証マザーズに上場したリブセンスの村上太一社長の育てられ方です。
リブセンス・村上太一社長の場合
村上太一(むらかみ・たいち)1986年生まれ。早稲田大学政治経済学部1年に在籍中の2006年、リブセンスを設立。09年大学卒業。11年、25歳1カ月という当時の史上最年少で東証マザーズに上場した。…
最近はベンチャーブームといわれ、起業家を目指す若者が増えている。そんな若手起業家の中でも、筆頭格の一人に必ず挙げられるのが、リブセンス社長の村上太一だ。村上は早稲田大学1年のとき、19歳で起業した。
きっかけは、自宅近くでアルバイト先を探したときに、一つの疑問を持ったこと。高校3年の夏休みの間だけ、自宅近くでアルバイトをしようと求人誌や求人サイトを眺めたが、めぼしい情報が見つからなかった。ところが駅前の商店街を歩いてみると、店先にアルバイト募集の張り紙が出ている。なぜだろう。アルバイトを始めたうどん店の店長に尋ねると、求人サイトに募集広告を出すだけで、1回10万円かかるというのが理由だった。
10万円出して一人でも採用できればまだいいが、もしかしたら誰も採用できないかもしれない。アルバイトを募集する企業にとっても、アルバイトをしたい学生にとっても、不便なこの仕組みをなんとかできないか。そこで村上は、大学進学後、成功報酬型のアルバイト求人サイト「ジョブセンス」を立ち上げた。
このサービスの特徴は、求人広告の掲載時ではなく、採用が決まった場合のみ料金が発生する点だ。掲載時の金銭的なハードルを下げ、求人情報を網羅的に集めることに村上は成功した。また、採用が決まった人には最大2万円の祝い金を出し、求職活動を後押しするサービスも、学生やフリーターから大きな支持を得た。
斬新なモデルによってリブセンスは急成長し、2011年には東証マザーズに株式上場を果たす。このとき村上は25歳1カ月。新規上場企業のトップとして、史上最年少だった。翌12年には東証1部に市場変更し、並み居る大企業と肩を並べるまでになった。起業も上場も、飛び抜けて早い。これが若手起業家の筆頭格といわれるゆえんだ。村上のスピード力はどこからくるのか。
その理由を端的に示している写真が残されている。冬なのに素足にビーチサンダル。約20年前に羽田空港で撮影した村上家のスナップ写真だ。家族仲むつまじい写真だが、どこか変だ。そう、村上のいでたちである。家族は皆、厚手のコートやジャケットを着ているので、季節が冬なのは間違いない。しかし、村上の格好は半袖シャツに短パン。足元はなんと、素足にビーチサンダル。なぜ、そんな格好を……。
村上は話す。「別に寒くなかったですよ。夏も冬も、この格好。雪が積もった日も、ビーチサンダルを履いて遊んでいました。どうしてこういう格好をするようになったのかは覚えていませんが、小さい頃から人と違うことをするのが好きだったので、その延長かと」。
「大人になってから母にも聞いてみたのですが、『確かになんで、あんな服装だったんだろうね』と首をひねっていました。それくらい、うちの家族の中では当たり前になっていました。知らない人が見たら、冬物の服を持っていないのかと勘違いされそうですが、まったくもって自分の意思です」
一般的な親なら、「そんなおかしな格好はやめなさい。風邪を引くじゃないの」と注意して、強引にでもやめさせるところだろう。でも、村上の母親は注意しなかった。唯一、こんな会話をしたことを村上は覚えているという。
「太一、寒くないの?」
「寒くないよ」
「しもやけにならない?」
「平気だよ」
「ふーん、そうなの」
村上家の子育てを一言で表すなら「自由と責任」。「ほかの子がこうしているから、あなたも」と比べるようなことは一切しない。あらゆる判断が、子ども自身の考えに委ねられた。子どものものを買うときは「どれがいいと思う?」と必ず子ども本人に聞く。「これを買いなさい」と、親が自分の意見を押しつけてきたことはない。
両親が唯一といっていいほど村上に求めたのは、勉強すること。村上の2人の姉は有名私立中学に進学し、村上も母に勧められて中学受験のための学習塾に通っていた。ただその先の選択は、息子に任せた。母親は村上に、きっぱりと言った。「お金などを理由に、教育の選択肢を狭めることはしません。公立でも私立でも、あなたが行きたいと思う学校を選びなさい。母さんはあなたの選択を全力で応援します」。
普通なら「せっかく塾に通っていて、お姉ちゃんたちも私立に行っているのだから、あなたも私立に」と言いたくなるところだが、母親は12歳の息子の意思を尊重した。村上は得意の算数については進んで勉強したが、ほかの科目は嫌で仕方がなかったという。そのせいか、私立中学を1校受けたが、残念ながら不合格。
そのときの母親の反応がまた面白い。我が子が試験に落ち、見るからにショックを受けていると、多くの親は「一生懸命に頑張ったのにね。元気を出して」と慰め、励ますだろう。だが、村上の母親はそうした言葉はかけず、毅然とした口調でこう説いた。「試験に落ちたという事実は変わらないのだから、落ち込んでも仕方ないわ。あなたが今しなければならないのは、これからどうするか。自分自身でちゃんと考えなさい」
母の言葉で村上は頭を切り替えることができ、公立中学に進もうと決める。その決断を母親も応援してくれたという。とにかく子ども自身に考えさせ、選択させる。それが村上家の子育てだった。
日経トップリーダー/執筆=北方 雅人・本荘 そのこ
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執筆=北方 雅人/本荘 そのこ
北方 雅人
1969年兵庫県生まれ。一橋大学社会学部卒業後、91年に日経BP社入社。主に経営誌の編集部を渡り歩き、現在は、オーナー経営者向けの月刊経営誌『日経トップリーダー』副編集長。
本荘 そのこ
1969年北海道生まれ。法政大学大学院経済学研究科経済学専攻修士課程修了。地方新聞社、法律事務所勤務などを経て、98年からフリーの記者として活動。
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