他人と比較せず、親が自分の考えを押し付けず、とにかく子ども自身に考えさせ、選択させる。これが村上家の子育てのポイントだ(前編)。しかし、それだけではない。この後編では「失敗を経験させる」「責任を求める」「守られている感覚を与える」重要性を紹介する。
村上太一(むらかみ・たいち)
1986年生まれ。早稲田大学政治経済学部1年に在籍中の2006年、リブセンスを設立。09年大学卒業。11年、25歳1カ月という当時の史上最年少で東証マザーズに上場した。
子どもに失敗させてみる
子どもの考えを尊重し、選択権を与えると、「自分は認められている」という自己肯定感を持つようになる。村上の両親は前編で紹介した「ビーチサンダル」のエピソードに象徴されるように、その点において人一倍徹底していた。だから村上は19歳で起業することに対して、まったくためらいはなかった。人と違う道を歩むことに誇らしささえ感じていたという。
子どもの考えを尊重するのは、父親も同じ。最近もこんなことがあったという。村上が、父親と2人で車に乗っていたときのこと。「次の信号で曲がったほうが、近いと思うよ」と村上が言うと、父親は「そう思うかもしれないが、そっちに行くと一方通行があって、結局遠回りになるんだよ」と教えた。けれど「そうかなあ」と釈然としない様子の村上を見た父親は、「よし、そっちに行ってみようか」と信号で曲がった。
結局、父親が言った通り、一方通行があって回り道になってしまった。けれど、父親は怒らないし、「ほら見ろ」と村上に文句を言うこともしない。「答えは分かっている。けれど、わざわざ息子に失敗をさせる。うちの親はこういうふうに僕を育ててくれたんだ、と改めて感心しました。両親のおかげで僕は、あらゆることを自分の問題に帰結させるという思考回路になっています」。
「自分で選択をすると、他人に責任を転嫁しなくなる。僕自身もほとんど愚痴は言わないし、同様の育てられ方をした2人の姉からも愚痴を聞いたことがありません。この前、会社勤めをしている上の姉が『今の上司が良くないのよ』という話をしていましたが、『だから、私はこういうふうに改善しようと思っているの』と解決策がセットになっている。仕事は大変そうだけど、見ていて悲壮感がない。実に楽しそうに仕事をしています」
責任を厳しく求める
会社の業績が振るわなくても、経営者にはたくさんの言い訳が用意されている。景気のせい、社員のせい、取引先のせい、銀行のせい……。確かにどれだけ努力しても、結果が伴わないことは多々ある。しかし、不振の理由を人のせいにしている限り、苦難は乗り越えられない。責任を一身に負い、すべては社長の責任という「自責の哲学」を持ってこそ、会社を大きく発展させられる。
そうした真理を、多くの経営者は挫折を経て気づく。しかし村上の場合は、両親から早い段階で植えつけられた。ここが村上の強さだ。
しかし、自由に子どもを育てたら、まかり間違えば道を踏み外すことにもなりかねない。自立心に富んだ人間に育つのか、それとも手がつけられないほど奔放な人間になってしまうのか。その分岐点はどこにあるのか。村上に尋ねると、2つ挙げた。…
1つは、子どもが自分で選択したにもかかわらず、それを実行していないと母は烈火のごとく?りつけたそうだ。例えば村上家に伝わる「通信教材白紙事件」。
村上は小学校低学年のとき、通信教材を取っていた。この教材を使って勉強すると村上自身が決めていたのに、結局さぼってしまった。ある日、教材を開いた母親がその事実に気づくと、普段は温厚な母親が大粒の涙をこぼしながら、「自分で決めたことはやりなさい!」と村上をきつく?った。
またエレクトーンの練習も、決めたところまで練習しないと、母親は楽譜をビリビリと破って、怒りをあらわにしたという。自由の代償として、しっかり責任を求めるのが、村上家のルールだった。
母親に守られている感覚
村上が、人生を真っすぐに進むことができたもう1つの理由は、「親に愛されている」という自覚を強く持っていたことだ。
母親は、村上が何かに興味を持つと全力で応援してくれた。幼稚園のとき、工作で機織りに熱中したら、母親が機織りで使う毛糸をたくさん買ってきて、それは村上が飽きるまで続いた。
逆に興味がないなら、強く勧めない。例えばクラシックコンサートに行ったとき、退屈で寝てしまった村上を起こすでもなく、「興味がないなら、寝てていいよ」と言ったという。子どものことをしっかり見て、どんなことに関心があるのかをさりげなく探り、無理強いはしない。
また村上は小さい頃、学校でよく友だちとけんかをした。あるとき、教師からけんかの報告を受けた母親は、「どうしてけんかになったの」と聞いた。村上は、内心では自分が悪いと思っていたが、母には「自分が正しい」と訴えた。その説明は心もとなかったが、「あなたがそう言うのだから、母さんは信じるわ」と味方になってくれた。
「たぶん僕が嘘をついていることはばれていたと思いますが、母はみじんも疑うそぶりを見せませんでした。子どもながらに罪悪感にさいなまれ、それ以来、嘘はつかないようになったし、あまりけんかもしなくなりました。こういうことを経験してきているから、今でも母親に守られているという意識をとても強く持っています」
守られているという意識。これは経営者という仕事をする上で、実はとても重要なキーワードだと、村上は考えている。「母親に守られている、家族に守られている。そうした守られているという意識があると、どんな最悪の事態が降りかかってきても、自分は乗り越えられるだろうという安心感につながる。自分は守られているから、他人のために頑張ろうとも素直に思える。こうした考え方ができるかどうかは、経営者に限らず、とても重要ではないでしょうか」。
「けれどいろいろな経営者と話していると、中には『どうもこの人は守られていないな』という人もいる。何だろう、あの感じ……。自分が母親に守られていないと、自分で自分を守ろうとすると思うんです。危機に直面したら、途端に自分の立場を守るのでは、経営者は務まらない。この差は仕事をする上で、また生きていく上で決定的に大きい」
村上家は家族全員が無料通話アプリ「LINE」でつながっており、そこで毎日たくさんの会話をしているという。多忙な村上は、LINE上の会話をただ見ているだけで、コメントをすることはほとんどない。ただ、家族のそんなやり取りを眺めることは、困難な仕事に立ち向かうとき、村上に何物にも替え難い勇気をもたらしている。
●まとめ 村上太一氏の育てられ方に学ぶこと
「失敗をさせてみる」
村上太一氏の育てられ方から、どんなことが学べるか。おそらくそれは、子どもに失敗をさせてみることだろう。自由を与えられた村上は、たくさんの失敗を重ね、その一つひとつが村上の糧になった。「このやり方では失敗するだろう」と親が予想しても、村上に対し、先回りしてアドバイスをすることは控えた。こうした育て方をされた子どもは「失敗は良くないこと」とは、あまり考えない。失敗を怖がらず、むしろ失敗から学ぶことに喜びを感じるようになる。この前向きな姿勢は、世の中で何かを成し遂げんとする人が、必ずと言っていいほど備えている資質だ。
私の母親は、何でも自分でしたがる人だった。私の中学入学後も、雨が降りそうな日には、折り畳み傘を私のかばんに入れた。しかも、濡れた傘を収納するためのビニール袋付きで。そんな至れり尽くせりの様子を知った友人から小馬鹿にされ、それが思春期を過ぎた男にはおかしなことだと気づいた。けれど「構わないで」と頼んでも、母は「私がやってあげるから」としばらくはやめなかった。
そんな親に育てられたので、私自身、自発性に欠ける面があり、失敗することに対する恐怖心が強い。大勢の前で話すことが苦手なのも、そこに一因があると自分では分析している。我が子は失敗を怖がらないように育てたいと思うが、見守ることはなかなか忍耐がいる。「ああもう、どうしてこんなことができないんだ」といらいらして、「こうすればいいんだよ」と、つい口を出してしまう。私も子どもも焦らずに、少しずつ失敗を重ねていくというくらいの気持ちで歩むしかないと、自分に言い聞かせている。
日経トップリーダー/執筆=北方 雅人・本荘 そのこ