ラグビーは、簡単に言えば、15の異なるポジションの選手がそれぞれ役割を果たし、ゴールにボールを運ぶスポーツだ。15のなかには走って、抜いて、トライを決めるなど、誰の目にも華やかなポジションもあれば、ひたすらスクラムを組んだり、タックルを繰り返したりと、得点につながるプレーを粛々と支える地味なポジションもある。どちらの機能が欠けても、チームプレーはうまくいかない。
だが、地味な役割を担う選手がモチベーションを保つのは、なかなか難しい。目立ちたい。光るプレーをしたい。そんな欲がどうしても出てくるし、注目を浴びる選手の陰に隠れ、自らの存在意義を疑ったりすることもある。
かくいう私も、そのうちの1人だった。私が担っていたフランカーというポジションは、確実にボールをつなぐ役割だ。私はもともと目立ちたいと思うタイプではないし、人を支援することに喜びを感じる性格である。私はいつも、「人に花を咲かせる土だ」と、自らの役割を定義してきた。
しかし、そんなふうに納得できる選手ばかりではなかった。まだ、大学生である。目立ちたい気持ちが先に立って、パスすればチャンスを広げられる場面でも、ボールを抱えたまま走り続ける。すると、タックルされて、あっさり止められる。おかしな欲は、人の判断を鈍らせる。
「俺たちは支えるポジションなんだ。トライは取れないけれど、取れる奴をサポートしよう」と言えば、話は早いように思える。しかし、私は、単に「自分たちは支えることに徹するべきだ」と伝えたかったわけではない。地味な役割に誇りを感じ、その役割をモチベーション高く全うする気概を持ってほしかったのである。だとすれば、「サポートしよう」という言葉では不十分だ。
土は土、支えるポジションは支えるポジションであって、華やかなプレーをする必要はない。しかし、土なしには花は咲かない。土が肥えれば肥えるほど美しい花が咲く。支える自分たちのプレーがよくなればなるほど、トライする選手のプレーは光る。こうした言葉を繰り返し投げかけることによって、支える側にある選手たちは自らの存在意義に気づいていったように思う。
リーダーが口にする「言葉」は重要である。言葉によって、人や組織を成長に導くことができる。本質的に、本連載で述べたいことはこの1点だ。しかし、こう言われただけで、これから続く連載を読むモチベーションが高まるだろうか。
だから、私はまず「土は土に、花は花に徹しよう」という言葉を引っ張り出して、学生時代のエピソードを紹介した。こうしたことがレトリックを用いるということである。
「レトリック(rhetoric)」とは、古代ギリシアに始まった効果的な言語表現の技術であり、日本では「修辞学」と呼ばれる。歴史を振り返れば、皇帝、武将などが必ず学ぶ教養科目の1つだった。側近の部下はもちろん、時に民衆や一兵卒にも分かりやすく物事を伝え、納得させ、人を動かすことが重要だった彼らにとって、必須のスキルだったのである。
しかし、近代には衰退し、今やレトリックという言葉は単に表現に技巧を凝らす、あるいはよりネガティブに、人を言葉で煙に巻くといった意味合いで使われることがある。ビジネスの現場では特に、「雄弁は銀、沈黙は金」「背中を見て学べ」というように、言葉を巧みに操り、語ることを軽視する傾向にある。
しかし、本当に私たちはレトリックを捨てていいのだろうか。むしろ、今やレトリックはリーダーの必修科目だと私は思う。
レトリックが弱かったチームを準優勝に導いた
私がレトリックの重要性に気づいたのは、早稲田大学に入学し、ラグビー部に入部してしばらく経ったころだった。当時、上級生には、すばらしいスキルやポテンシャルを持つ先輩がたくさんいたにもかかわらず、成績は芳しくなかった。優勝からは数年遠ざかっていた。決勝戦で優勝を逃したり、準決勝で敗退することが常となっていたのだ。
力はあるのに、なぜ勝てないのだろうか。そして、私自身も1年生からずっと、レギュラーになることができず苦しんでいた。どうしたら活躍できるのか。どうしたら評価されるのか。チームも自分もどうしたらいいのかと悩み、考え続けて、ふと気づいた。「共通言語がないのだ!」と。
このチームは何を大事にしているのか。どんなチームを目指しているのか。個人のどこを評価しているのか。それを言語化し、方向を具体的に見せてくれる人がいなかった。同じラグビーという活動をしていても、生まれ育った土地や家庭、それまでの経験、価値観によって1つの言葉のとらえ方は驚くほど違う。早稲田に入学するために福岡から上京し、あらためて実感した。
例えば「全力を尽くす」という言葉一つを取っても、人よりたくさん練習することと理解する人もいれば、最高のコンディションを保つために生活のルールを徹底する人もいる。すべての時間をラグビーのために費やす人もいれば、限られた時間内に全力投球して練習しようとする人もいるだろう。
果たして、チームにとっては何が正解か。リーダーが「全力を尽くそう」と言っただけでは分からないし、腹に落ちない。こういうときこそ、レトリックの出番である。言葉を尽くしてメンバーを納得させ、心と体を動かしていくのがリーダーの役割なのだと、あるとき確信した。
私がキャプテンを務めた年、早大ラグビー部は弱い弱いと言われながら、全国大学選手権の準優勝までは到達できた。私のリーダーシップのおかげ、などとは思っていない。しかし、レトリックを使って方針を明確に示したことが、チームを1つにし、全員が持てる力を尽くすことにつながったのは確かだろう。
大学卒業後、私はイギリスに留学し、帰国してからはシンクタンクのコンサルタントとして働いた。その10年間は、ほとんどラグビーとの関わりを持っていなかった。
部下はなぜ成長しないのか
そんな状況が一変したのは2006年のことである。突然、前監督の推挙で早大ラグビー部の監督を務めることになった。普通のサラリーマンであり、現役時代もぱっとしないプレーヤーだった私に対して、当初、選手たちの拒否反応は大きかった。そこでも、私を助けてくれたのは、言葉であり、レトリックだった。
チームに対して、一人ひとりの選手に対して、どうしたらより成果が出るのか、どうしたらより成長できるのかを考え、それを言葉にして伝えることで、結果的に選手は育ち、私の在任期間、彼らはチームを2度も優勝に導いてくれた。
早大ラグビー部の監督を退任した後、現在は日本ラグビーフットボール協会のコーチングディレクターとして、現場のコーチ育成、若手育成にあたっている。全国津々浦々、世代も異なるコーチやプレーヤーを動かすには、やはり言葉を研ぎ澄ます努力を怠ってはならないと考えている。
企業の現場を見てみよう。多くの上司が「若手のことがよく分からない」と嘆く。「頑張らない」「草食」「手ごたえがない」「空気を読みすぎ」。若手社員を批判する言葉はさまざまだ。もちろん、彼らの意欲を高め、行動を喚起するために、そして彼らを成長させるために、多くの上司は日々努力を続けている。しかし、その努力は部下にうまく伝わっていない可能性がある。
日本の企業は「暗黙知」を信頼しすぎるのだと思う。「背中を見て学べ」はその最たるものだ。言わなくても分かるというのは幻想にすぎないし、人材の多様化が進むなかで、同じ組織にいる人の価値観も1つではなくなっている。
そうしたチームを束ね、部下を成長に導くために、きちんと伝わる言葉、心と体を動かす言葉を駆使しなければならないときが来ている。
部下にかけるべき言葉は、常にケース・バイ・ケースである。繰り返しになるが、レトリックの目的とは、それによって人を納得させ、動かすことにある。だから上司がすべきことは、単に言葉を飾り立てることや巧みに操ることではない。
自分は部下に何を伝えたいのか。部下をどう成長させたいのか。メッセージを整理することが先決である。そのうえで、どんな言葉で言われるとより納得できるのか、相手の立場で考え抜く。そうやって初めて、部下に伝えたいメッセージが「適切な言葉」になる。単純なことだが、これが部下を成長させ、高い成果を上げる組織を作るレトリックの基本だ。
ここで述べることには、マネジメントに対する私の考え方が多分に投影されている。1つは、部下の自律性を重んじるマネジメントである。
早大の監督時代は「日本一オーラのない監督」と言われた。ラグビーのことは、常に現場にいるコーチや選手のほうが圧倒的に分かっている。私の繰り出す戦略や戦術が最も優れているなどとはとても言えない。だから、私はすべての人の意見に耳を傾け、一人ひとりの行動に信頼と尊敬の念を抱いている。組織はリーダーではなく、フォロワーで変わると心から信じている。そんな私が選手やコーチにかけてきた言葉は、自律性を促すニュアンスに偏っている。
もう1つは、叱らないマネジメントだ。私が叱っても迫力がない。叱るよりも、選手の気持ちを聞き、彼らをより深く知ることで、心と体を動かす言葉をかけることに力を注いできた。
このような私の経験は、もしかしたら強く、優れたリーダーには必要ないかもしれない。しかし、人のマネジメントに携わる多くのリーダーに読んでいただきたいと思う理由がある。
言うまでもなく、私たちが対峙する社会は変化の連続である。その激変のなかでは、いくら優れたリーダーでも、最良の戦略を常に編み出すことなど不可能だ。とすれば、すべてのリーダーは現場の最前線にいる部下たちの言葉に真摯に耳を傾けなければならない。
そして、多くの上司は、「叱れない」ことに悩む。「パワハラ」「メンタル不全」という言葉が日常的に使われる今、叱らないマネジメントの重要性は日々増している。もちろん、それだけでなく、叱るという強硬手段に訴えて部下を動かしたところで、本質的に大切なことは何も伝わらず、部下は2度も3度も同じ失敗を繰り返すことになりかねない。
「レトリック」は、部下の自律性を育て、彼らを自主的に動かそうと私が日々奮闘してきた軌跡でもある。そして、相手への問いかけによって対話が生まれ、彼らからさまざまなフィードバックを受けて、私自身も成長することができた。
今回は、まず、リーダー、指導者における言語表現の大切さを解説した。次回以降、部下への言葉のかけ方を具体的に紹介する。すべての部下、すべての組織、そしてすべての上司の成長につながるように。