将棋や囲碁を趣味にしているビジネスパーソンは多い。そうでなくても、両分野に新しい風が吹いていることをご存じの方も多いだろう。実際、この話題は営業先での雑談にもってこいだ。
まず、将棋界。2016年5月31日、佐藤天彦八段が羽生善治名人に挑戦した将棋名人戦で、佐藤八段が勝利。名人となった佐藤八段は28歳。20代の名人は、1998年の佐藤康光九段以来19年ぶりだ。囲碁界では、2016年4月20日に27歳の井山裕太九段が史上初の七冠独占を達成した。両分野で、若き実力者が旋風を巻き起こしている。
そんな将棋、囲碁の世界でもう1つ見逃せないのが、コンピュータソフトウエアの急激な進化だ。
羽生善治三冠が、叡王(えいおう)戦に参加する……。
こんなニュースが駆け巡ったのは、5月下旬のことだった。叡王戦は、コンピュータ将棋ソフトウエアとプロ棋士が対戦する電王戦への挑戦者を決める戦い。日本将棋連盟が認めた公式の棋戦である。予選と本戦を勝ち上がった棋士が電王戦に挑むことになる。
羽生三冠は2015年、新たに設けられた叡王戦に出場しなかったが、今年は参加を表明。かつて将棋界の主要タイトルである七冠を独占し、名人位を失っても三冠を保持する棋界きっての実力者の参戦は、大きな話題になっている。
羽生三冠はすでに予選を突破し、9月から16人の棋士で争われる本戦出場を決めている。この本戦を勝ち上がれば、2017年春に予定されている第2期電王戦で、同じようにコンピュータソフト同士のトーナメントを勝ち上がった「最強の将棋ソフト」と対戦することになる。
将棋のプロに勝つコンピュータ将棋ソフトが続々…
将棋を指すコンピュータソフトの歴史は意外と長く、1970年代には開発がスタートしている。80年代にはパソコンで対戦するコンピュータ将棋プログラムや将棋ゲームソフトが多く出たが、将棋のルールにのっとって駒を動かせるといったレベルで、棋力は決して高くなかった。その後も開発は続き、その実力は次第に向上していくが、90年代半ばにはアマ二段程度の実力しかなかったといわれている。
しかし、コンピュータ将棋ソフトはその後実力を伸ばし、2010年代に入ると一気に注目を集める。2010年10月に、コンピュータ将棋ソフトの「あから2010」が女流王位・女流王将のタイトルを持っていた清水市代女流六段に勝利。コンピュータがプロ棋士を初めて下した。翌11年には第1回将棋電王戦が行われ、将棋ソフト「ボンクラーズ」が引退棋士の代表として挑んだ米長邦雄永世棋聖に勝利。引退していたとはいえ、トップ棋士であった米長永世棋聖がコンピュータに負けたことは、大きなニュースになった。
棋士5人対上位のコンピュータ将棋ソフト5種との団体戦になった2012年の第2回将棋電王戦では、1勝3敗1分と棋士側が負け越し。2013年の第3回でも1勝4敗と敗れた。2014年の第4回では3勝2敗と勝ち越したものの、叡王戦の勝者と電王トーナメント優勝ソフトとの1対1の対戦形式となった15年の電王戦ではコンピュータ将棋ソフトの「ponanza」が山崎隆之八段を破り、コンピュータがトップ棋士と遜色ない実力を持っていることが明確になった。
一方、囲碁ソフトは1960年代にアメリカで開発が始まったものの、なかなか進歩が見られなかった。2000年代に入ってもアマチュアレベルの実力しかない状況だったが、近年急速に発展をみせている。2015年には、コンピュータソフト「AlphaGo」がヨーロッパチャンピオンに3度輝いた中国出身のプロ棋士ファン・フイを撃破。16年には同じく「AlphaGo」が世界最強棋士の1人といわれる韓国のプロ棋士イ・セドルを下し、一気に世界トップレベルの実力を持つことを示している。
AI技術の発達が将棋、囲碁のソフトの実力を上げる
なぜ、将棋・囲碁のコンピュータソフトが強くなったのか。その鍵はAI(人工知能)技術の発達にある。「AlphaGo」を開発したのは、Google傘下の人口知能研究所・DeepMindのデミス・ハサビス。ハサビスは、コンピュータが人間と同じように学習する機械学習の技術を用いて「AlphaGo」を最強の囲碁ソフトにした。
将棋ソフトの「ponanza」を開発したのは日本のエンジニアだが、やはり機械学習で棋譜を解析することによりソフトの棋力を高めていった。
かつては、セオリー化が難しくコンピュータが人間に太刀打ちできないとされていた将棋・囲碁の世界。そこでコンピュータが急速に力を付けた事実は、ここ数年のAIの大きな進展を端的に示す事例に他ならない。
例えばトヨタ自動車は、AIの学習機能を使って自動運転の開発を進めている。さまざまな状況での判断をAIが学習することで、より安全な自動運転を実現しようとの試みだ。
NECは予測に基づいた判断や計画をソフトウエアが最適に行う「予測型意思決定最適化技術」を開発。このAI技術を用いればビッグデータ分析を高度化でき、例えば売り上げを最大化するプランを短時間で作成することができるという。シミュレーションでは、チェーンストアの売り上げを約11%増加させる価格戦略を1秒かからずに算出した。そのほか、顧客の好みをAIが学習し、顧客に最適な商品を提案するといった試みも小売業では始まっている。
AIの能力を、いかに生かしていくか。これがこれからのビジネスの大きなテーマになっていることは間違いない。しかし、AIの能力を一般のビジネスパーソンが実感することは難しいだろう。そんなときに、役立つのが冒頭に紹介した将棋や囲碁のコンピュータソフトの発達だ。AIの現状が人間の能力にどこまで近づいたのか。それを示す指標として、将棋や囲碁のソフトに活躍をウオッチしてみてはいかがだろうか。