江戸前の料理といえば、すし、そば、天ぷら、うなぎ、穴子、どぜう(どじょう)、すき焼きなどがあります。中でも天ぷらは、江戸のファストフードの代表格。近ごろでは旬のものや近海ものを食べようと思えば高値の店が当たり前、けれど腰掛けか立ち食いで、さっと味わえ、しかも値ごろでうまければ最高。そんな往時のムードを残す店はないだろうかとリサーチを重ね、訪れたのが神田須田町の老舗・天兵です。
その日に仕入れた天たねをかやの実油でカラリと揚げた天丼(1250円)
ざっかけない繁華街・神田へ
JR神田駅は、東京駅からわずかひと駅にもかかわらず、新幹線から見た車窓風景とは異なり、ガード下の飲食店や路地裏にある飲み屋街など雰囲気がガラリと一変。ざっかけない庶民的なムードが漂います。
この神田を中心とした一帯――電気街、サブカルの街、そして今ではビジネスの街に変貌しつつある秋葉原、老舗の大店が色濃く残る日本橋、ビジネス集積地の大手町などは、「神田祭」で知られる神田明神の氏子町会に当たります。毎年5月にみこしを担ぐのを楽しみにしているビジネスパーソンも少なくありません。神田は、変わりゆく東京の中でも、革新と伝統とが重なり合う活気ある町といえるでしょう。
路地に寄り道しつつも神田駅から歩いて10分ほどで、お店に到着。この辺りは、地下鉄なら淡路町駅(東京メトロ丸ノ内線)・小川町駅(都営新宿線)が最寄りとなります。
靖国通り沿いA2出口からなら、近くで交差する靖国通りを左手に曲がり数歩で「天兵」へ向かえる
「かやの実油」の軽さと香り
何かにつけて違いが生じる関西と関東の食文化。天ぷらもやはり、それぞれに美味を求めながらの過程で、異なる形に落ち着いています。
関西の天ぷらは、卵を入れない軽めの衣に具材をくぐらせ、低温の油で揚げることが多く、具材は野菜や山菜などの精進もの(精進揚げ)が好まれます。油の温度が低いことから、見た目の揚げ加減は白めになります。
関東の天ぷらは、具材に卵を入れた衣をまとわせ、高温の油でカラッと揚げます。ごま油などコク味のある油が好まれ、関西の天ぷらに比べると、揚げ加減はこんがりとしたきつね色が際立ちます。
1940(昭和15)年創業の天兵が好んで使ってきた油は、東北から南、国内に広く分布する常緑針葉樹・カヤ(榧)の種子から抽出した「かやの実油」です。縄文以来の万能油で、食用のみならず、灯油や髪油、薬用などにも使われていました。国産のかやの実油は、ごま油などに比べると生産量が少ないばかりか、現在では生産地も限られるようになったことから、入手が困難な希少品。それでも天兵がかやの実油を使い続けるのは、揚げの軽さと芳香に至高の天ぷらを求めてのこと。
「見た目は濃厚。でも胃にもたれないよ」と話すのは、2代目店主の井上孝雄さん。その傍らには、3代目を継ぐ予定の恭兵さんがいます。
2代目店主の井上孝雄さん。初代で父の兵次さん以来70年続くのれんを守る
高級化と大衆化のはざまで…
カウンターと小上がりをしつらえた店内は、やはり神田の街の気風にふさわしく飾らない雰囲気です。天ぷらの歴史やレシピの研究など、「天ぷら学」にあついところを見せる恭兵さんは34歳。同世代のみならず20代や40代にも“天ぷらの美味”を知らない人、足が遠のきがちな人が増えていることを気に掛けている様子です。
[caption id="attachment_18929" align="aligncenter" width="450"]
手前が3代目を継ぐ予定の井上恭兵さん。「兵」の一字を祖父からもらっている[/caption]
「キスやメゴチ、ハゼなどは、天ぷらならではの具材で、天ぷらのほかには味わう機会が限られる魚」と恭兵さん。これらを味わう食文化は天ぷらが担うところが大きいだけに、「途絶えさせてはいけない」と意欲を見せます。往時はよく食べられていたものの、現在は漁獲量の減少で幻のたねと化しつつある「ギンポ(銀宝)」の天ぷらを復活させて、お客さまに喜ばれたといったことなども、そうした意欲の表れなのでしょう。
天ぷら店が高級店とファストフード店に二極化している中、「うちのような店は貴重な存在になりつつある」ともいいます。できる限りの大衆化に努めながらも江戸前が培ってきた天ぷらの伝統を強く意識している様子を見るにつけ、2代目から3代目へ、その心意気は確かに受け継がれているようです。
[caption id="attachment_18930" align="aligncenter" width="450"]
築地で目利きした新鮮なたねが自慢の天ぷら定食(1250円)[/caption] [caption id="attachment_18931" align="aligncenter" width="298"]
かやの実油が香り立つ「天丼」に継ぎ足しの天つゆがかかる[/caption]
そんな孝雄さん・恭兵さん親子が提供する昼のメニューは、その日に目利きした海の幸・山の幸が値ごろで味わえる「天丼」と「天ぷら定食」(ともに1250円)など。天丼には、2本の海老とキスや穴子といった魚が2種、そして野菜が乗り、初代・兵次さんがのれんを掲げた日から70年にわたり継ぎ足してきた「つゆ」がかかります。定食にも同じたねを使い、店仕込みの赤だしを付けて香の物を添えます。
話しているうち、つゆとかやの実油の香りに食欲が急き立てられたまらなくなってきました。店主がここで、「お話は尽きませんが、ここは揚げたての熱いところをぜひ」。では、お言葉に甘えていただきます!
[caption id="attachment_18932" align="aligncenter" width="308"]
淡路町交差点近く、のれんを掲げて客を迎える「天兵」[/caption]
※文中にある金額はすべて税込価格です
天兵(てんぺい)
https://tabelog.com/tokyo/A1310/A131002/13000381/
東京都千代田区須田町1-2
東京メトロ丸ノ内線「淡路町」・都営新宿線「小川町」A2出口徒歩1分
JR「神田」西口徒歩7分
11:30 ~13:45
17:30 ~21:00
土・日・祝定休
03-3256-5788