プロ野球に学ぶ、ミスターと呼ばれし者の流儀(第6回)江夏豊に見る「扱いに困る人材」のマネジメント術

人材活用

公開日:2016.10.19

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 投手における「ミスター・タイガース」といえば、第2回で紹介した村山実氏である。プロ入り14年間で、最多勝2回、最優秀防御率3回、最多奪三振2回、沢村賞3回を達成。1962年、1964年の優勝にも貢献した。

 実は、これに近い成績を残した投手が存在する。最多勝2回、最優秀防御率1回、最多奪三振6回、沢村賞1回を獲得した、江夏豊氏である。しかもこの成績は、プロ入りから阪神タイガースを離れるまでの9年間という、村山氏よりも短い期間での成績である。

 実力は文句なしに“ミスター・タイガース級”である江夏氏だが、彼がミスター・タイガースと呼ばれることはあまりない。好成績を残しながら阪神を去った江夏氏は、移籍先でも好成績を残し続けた。南海ホークス(現、福岡ソフトバンクホークス)、広島東洋カープ、日本ハムファイターズ(現、北海道日本ハムファイターズ)などを渡り歩いた逸材だ。そのうち広島では2度、日ハムで1度の優勝を経験。阪神では手にすることのできなかった優勝の美酒を味わった。その活躍から“優勝請負人”とも呼ばれた。

 なぜ江夏氏はミスター・タイガースになれなかったのか。そして、なぜ移籍先で活躍し、“優勝請負人”と呼ばれる存在になったのか。それは「江夏豊」という、強烈な個性の扱い方にあった。

江夏氏がミスター・タイガースになれなかったわけ

 冒頭で述べた通り、投手として素晴らしい成績を残している江夏氏だが、その「一匹おおかみ」な性格からか、ファンに好まれなかった。阪神在籍時にノーヒット・ノーランを達成した時に「野球は1人でもできる」という発言を報道されたこと、監督や一部のソリが合わないフロントから「扱いにくい」「チームの統制を乱す」という評価を下されてしまったことから、ファンには「ワガママな選手」と判断されてしまったのかもしれない。

 しかし、江夏氏の阪神入団時の監督であった藤本定義氏は、互いに良好な関係を築いていた。1976年、江夏氏が阪神から離れる際、藤本氏はマスコミのインタビューでこう語った。…

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執筆=峯 英一郎studio woofoo

ライター・キャリア&ITコンサルタント。IT企業から独立後、キャリア開発のセミナーやコンサルティング、さまざまな分野・ポジションで活躍するビジネス・パーソンや企業を取材・執筆するなどメディア制作を行う。IT分野のコンサルティングや執筆にも注力している。

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