偉大な先人に学ぶ日本ビジネス道(第2回)「カンバン」以前に豊田喜一郎の開発者魂があった

雑学

公開日:2016.07.21

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 2015年の世界新車販売台数、約1010万台。2位のフォルクスワーゲンと猛烈な争いを繰り広げながらも12年から4年連続でナンバーワンの座を保持し、世界を代表する自動車メーカーとなっているのがトヨタ自動車です。

 今回は、そのトヨタ自動車の創業者・豊田喜一郎(1894〜1952)を紹介します。

 喜一郎は、豊田佐吉の長男として生まれました。佐吉は1890年に豊田式木製人力織機、96年に日本初の動力織機である豊田式木鉄混製力織機(豊田式汽力織機)を発明し、「発明王」「織機王」として知られた人物です。喜一郎のモノづくりへの情熱は、佐吉から受け継がれたものといっていいでしょう。

 大学を出た喜一郎は、1921年に父の豊田紡織に入社。工場に寝泊まりしながら、自動織機の研究を始めました。そしてその年の夏、米英の繊維機械工業の視察に出ます。米国では1913年にT型フォードの量産化が始まり、ちょうどモータリゼーションの波が訪れていた頃。自動車の行き交う光景が若き喜一郎の目に強く焼き付いたのは、想像に難くありません。しかし、自動車への思いを事業に移すのは、もう少し後のことです。

 翌22年春、半年以上にわたった視察から帰国すると、喜一郎は視察の成果を生かしながら本格的に自動織機の研究開発に取り組みます。そして喜一郎がリーダーとなって1924年に完成させたのが、G型自動織機でした。これは布を織るスピードを落とすことなく横糸を自動的に補充できる画期的な織機で、世界的な紡織機メーカーだった英国プラット社が特許権を買ったほど高い評価を受けました。このあたりは、喜一郎のエンジニアとしてのセンス、力量がうかがえます。

生粋のエンジニアとして自動車作りに執念を燃やす…

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