円盤投げと同じくフラフープもはっきりとした考案者は見つけられません。何となく現代の遊びと思われがちですが、起源をたどれば人類黎明(れいめい)の時代にまで遡ります。
フラフープの原型――輪っかを腰や体の一部で曲芸のように扱う――は、それこそ世界のあらゆる地域に民俗習慣として見られます。古代エジプトではぶどうの蔓(つる)でフラフープ状のものを作っていたとされ、南米ではさとうきびの蔓を材料にしていたそうです。
商標を持つワムオー社も、フラフープの独創性については主張していません。同社が開発を行ったきっかけは、オーストラリアを旅行した知人の土産話が元といわれています。現地の人が輪っかを腰で回して遊び、学校体育でもフープを使ったエクササイズが行われていると聞き及び、そこにインスピレーションを受けたとのことです。
そもそも「フラフープ」という名前からして借りものです。昔からある「フープ」という言葉と、腰を回す動きがハワイのフラダンスそっくりなので「フラ・フープ」の名称が生まれていました。それを商標として登録したというわけです。
つまり1958年に発売され大ブームを起こしたワムオー社の商品は、あくまで既製品を洗練させたものだったのです。
ただの輪っかが世界で大ヒット
フープは元々竹などでできていましたが、ワムオー社は耐久性なども考えてプラスチックなどに変え、デザインも今風にしました。しかし身もふたもない言い方をすれば「ただの輪っか」です。シンプルな商品として1つ1ドル98セントで売り出されます。
しかし商品の簡素さに反してその後に起きたブームはすさまじいものでした。シンプルでありながら――もしくはシンプルであるがゆえに、年齢や性別も問わず誰もが夢中になります。仕入れる先から飛ぶように売れ、日に5万個製造しないと追いつかない状況にまでになりました。
実に4カ月たらずで2500万個、2年で1億個という記録を打ち立てます。しまいに一種の社会現象となり「フラフープソング」という歌までできて、歌手は全米の人気番組にまで出演しました。
50年代を通して人気は続き、日本でも発売1カ月で80万本の売り上げを達成、社会現象を起こしたのはよく知られるところです。
ヒットの背景にあるもの
なぜここまでヒットしたのか? 遊び好きな人間の原始的な本能に訴えたこともあるでしょう。古代からの習慣にも沿っているわけで、いわば“リバイバルヒット”の側面もあります。受け入れられる下地はあったといえます。
日本でもかつて「パラパラ」という、上半身を動かすだけの簡単なダンスが人気になりましたが、フラフープも「シンプルで誰でも参加可能」でした。踊るように楽しみながら運動ができるので、学校体育にも採用されダイエットや美容効果も期待されたのです。
しんどいシェイプアップや手間暇のいるスポーツと違い、フリスビーと同じように童心に帰って誰でも楽しくやれる遊びだったのです。
なぜワムオー社は世界レベルの大ブームを2度も起こせたのか?
普通はヒット商品を出すだけでも大変です。しかしワムオー社は世界レベルの大ブームを2度も起こしたわけで、文化史に消えない足跡を残しています。このようなまれな偉業を達成できた原因は何だったのでしょう?
これらのヒット商品が作られた経緯を思い起こしてみましょう。
何度も述べたように、フリスビーもフラフープもワムオー社社員がゼロから考えたものではありません。実際、商標登録は認められましたが「人類が何千年も親しんできた遊戯、新規性はない」として特許は認められませんでした。オリジナリティで判断するなら素材やデザインなどにわずかに見られるだけで、技術的にも高度な代物ではありません。それでも世界中の人々は熱狂し、こぞって買い求めたわけです。
他に資金力や人材が豊富な大手はいくらでもあり、現地では数限りない人たちがフープ遊びを目にしていたわけです。「商品化のチャンス」ならよっぽど恵まれていたでしょう。しかし製品化で大成功したのはワムオー社だけでした。
何でもない世間話もヒットの種になる
結局ヒット商品を生み出すには、情報の有無やオリジナリティ、技術力、資金などは必ずしも決定打とはいえません。
ワムオー社の成功者たちはビジネスの種を求める目がありました。何でもない世間話でも聞き逃さず、そこから実際に商品にしようと動けました。ヒットを生み出すに当たって何が一番大切か、示唆されることは大きいです。