前回までは、企業をプロデュースする事業の事例などを中心にまとめてきました。第4回は、平川社長の生い立ちと原風景を紹介します。独立1年目の年商はわずか1万4000円だったプロフィット・ラボラトリーの成長を支える考え方の源泉に迫ります。
高校時代の担任の一言で奮起、起業に向けて突き進む
平川社長は千葉県柏市で生まれ育ちました。「典型的なサラリーマン家庭で、父は中堅メーカーの会社員、母は専業主婦だった」といいます。そんなごく普通の家庭で育った平川社長ですが、高校生のときにITベンチャーブームが起こります。
「特にハングリー精神があったわけでもなく、今考えると不思議なのですが、そのときに経営者になろうと思ったんです。やはりお金持ちになるには社長になるしかない、みたいな不純な動機でしたね(笑)」と平川社長は振り返ります。
そして進路希望の用紙に「経営者になる」と書いて提出したところ、担任の教師に呼び出され、怒られたといいます。「おまえは家族や親戚に経営者はいるのかと聞かれ、いないですと答えたら、経営者になんてなれるわけないだろう、書き直して来いと言われたんです」。
担任教師のこの言葉が、平川社長の心に火を付けました。「何くそ、絶対経営者になってやる!と思いました」と話す平川社長は、そこから必死に勉強して、早稲田大学の商学部に合格しました。第一志望は商学部、第二、第三志望は早稲田大学のそれ以外の学部だったそうですが、商学部だけ受かり、他は全て落ちたといいます。
「今思えば、そのときから今のビジネスにつながるような、少しずらすことを意識していたのかもしれません。商学部に焦点を当てた勉強だけをしていたんです。また、商学部は文系なのですが、国語・社会・英語の文系科目で受験するとライバルが多いため、あえてずらして数学で受験しました。
子どもの頃からそういう特性を持っていました。コンピューターゲームのRPGが好きだったのですが、いかにレベルを上げていくかをめざすのではなく、いかにレベルの低い状態でクリアできるかを狙うような楽しみ方をする子どもでした」
大学卒業後、将来の起業を見据え、お金の流れが見える仕事に就こうと考えた平川社長は、地方銀行に就職します。しかし、ルーティンワークに耐えられず、1年で退職。事業を起こす決意をして、2006年6月、プロフィット・ラボラトリーを設立しました。ところが、「勢いで起業したのはいいけど、最初は全く食べていけなかった」とのこと。立ち上げた当初の事業は、スポーツ施設の予約仲介業でした。…
「当時、インターネットのホテルの予約仲介サイトがはやっていました。スペースは在庫なんだなと思って、スポーツ施設も同じだと考えました。入らない時間帯を割引して仲介すれば売れるんじゃないかと思ったんですけど、まあ、浅はかでしたね。いくら安くしても、平日の昼間にスポーツする人はほとんどいないんです。ニーズがなかったんです」と平川社長は苦笑します。
独立1年目の年商はわずか1万4000円。自己資金50万円で独立した平川社長は、すぐに生活が苦しくなってしまいました。創業から2年間は深夜にレンタカー店でアルバイトをしながら生計を立てたそうです。
「このときに、商売ってお客さんを集める技術がないと立ち行かないのだと痛感しました。大学での講義でただ聴いていたときとは違い、リアルにその技術をマーケティングというのだと理解し、必死で勉強を始めました。書店で朝から晩までずっと立ち読みして、マーケティング関連の本を1000冊くらい読みました」
このときに平川社長は書籍から数々の影響を受けたといいます。中でも『ポジショニング戦略』や『ブランドは広告でつくれない』の著作で知られる米国のアル・ライズなど、多くの専門家からマーケティングのさまざまな要素を学びながら、現在同社が得意としている「ズラす」技術が生まれたといいます。
平川社長がプロデュース事業を開始したのは創業から3年目で、最初は地元の個人経営のカフェなどに行き、ボランティアで集客の提案をするなどして実践を積んでいったそうです。3年目の年商が500万円ほどになり、ようやくアルバイトを辞められたという平川社長。5年目から社員を採用し、現在の満席FAXやマスコミPRの事業を始めました。
独自の手法を貫き、良い商品・良いサービスを世の中に広めていく
2015年に10期を迎えたプロフィット・ラボラトリー。「組織化してからは5年なので、まだまだ5~6年目の会社という感覚ですね。今、従業員は30人になりました。これからもっと新卒社員を採用していきたいと考えています」と平川社長は軌道に乗ったプロデュース業をこれから拡大していくことに意欲を燃やしています。
ずらす手法やコンセプト立案は、新卒社員でもすぐにできるようになるといいます。2014年の新卒募集では3000人の学生が集まったそうです。その場でずらす事例を実際に考えてもらったところ、「学生の方が思考が柔らかくて、こちらが驚かされるようなアイデアがたくさん出てきました」と平川社長は話します。
「世の中にたくさんの新しい付加価値を提供していくことが我々の仕事です。これまで、あるテレビ局のニュース番組で、取り上げられたニュースの中で最も視聴率を稼いだ話題として発表されたり、世界中で報道されたり、流行語大賞を獲得したり、自分が仕掛けた案件が世の中に広がり、世の中の人が喜んでもらえることを数多く経験させていただきました。これがすごく快感なんです。そういう喜びや楽しさを、従業員のみんなにも経験してもらいたいと思っています」
「お金持ちになりたい」という動機から経営者になった平川社長ですが、実際に会社経営に携わり、心境に変化はあったのでしょうか。
「実は、お金持ちになりたいという気持ちは1年目から全くなくなりましたね。アルバイトをしなければ食べていけない時期を経験したら、もう個人的な利益や損得など興味がなくなったんです。今はただ、世の中に新しい、良い製品やサービスを広げていくお手伝いをして、多くの人に喜んでもらいたいという思いでこの仕事をしています。
物事を世の中に広めていくことが日本一得意な会社にしていきたいと思っています。今の事業をマニアックに突き詰めていけば、勝手にマニアックなノウハウがどんどん身に付いてくると思うんです。徹底的にずらして仕掛けていくことをやり続ければ、いつの間にかピカイチになれると信じています。今はただそれを愚直にやり続けたい」
同社の従業員の平均年齢は26歳。若い力とともに、平川社長はプロフィット・ラボラトリーのさらなる発展と飛躍を誓います。