33年前、四五コーポレーションは写真の現像を45分間で仕上げるプリントショップ「写真屋さん45」をスタートしました。ピーク時には北海道から九州まで725店の直営店を展開していましたが、デジタルカメラやカメラ付き携帯電話の普及により、1990年代以降、写真現像における市場は縮小を続けています。
この時代の流れを捉え、2001年に社名を「四五コーポレーション」に変更、大塚逸平社長は写真以外の領域へと事業を大きく拡大してきました。現在、同社の柱となるMSソリューション事業は、チェーン店の出退店における物件仲介や内装・看板工事業です。これまでに培ってきた多店舗展開のノウハウを生かし、「お客さま目線」によるアイデアの提供により、顧客企業の店舗開発をサポートしています。
四五コーポレーションの事業の中で現在最も業績を伸ばしているのが、店舗の内装・看板工事、原状回復工事です。大手宅配ピザ会社やファストフード店など、年間30社ほどの企業と取引がありますが、ほとんどがナショナルチェーンの企業です。新規出店時の新装工事から閉店時の原状回復工事まで、四五コーポレーションが一手に引き受けています。
ただ工事をするだけでなく、パートナーとして店舗出退店における必要なサポート体制の構築を行うのが、四五コーポレーションの特徴です。「創業以来、自分たちがチェーン店を展開してきたからこそ、顧客企業が何を望んでいるかがよく分かります。価格の安さだけを売りにしてただ依頼通りに工事をするのではなく、お客さまのニーズをしっかりくみ取り提案しています」と大塚社長は話します。
年間の出店目標達成に向けてお客様の業務を軽減し、効率よく出店が出来るように、物件仲介からオーナーとの交渉、店舗の意匠設計・施工、オープンまでの進行管理など、ワンストップでサポートを行います。不動産仲介業や建築業という2つの事業をMSソリューション事業として戦略的に1本化。チェーン展開を行うお客様のスムーズな店舗開発を目指しているといいます。
チェーン店のサポートの中でも、特に四五コーポレーションが強みとしているのが閉店作業です。「自虐的な話のようですが、我々はこの10年間で1000店近くものショップを閉めてきました。そのノウハウが蓄積されているのです」と話す大塚社長。
自社にとってはマイナスの出来事だった閉店作業ですが、これまでに蓄積されたノウハウが他社の閉店時に役立つことに気付きました。閉店作業は煩雑で、そこに人材を割けない企業がほとんどです。四五コーポレーションは看板の取り外しから内装の解体工事、不動産オーナーとの渉外などをサポートしています。また、閉店情報を入手すれば、物件を探している企業に紹介することもあります。
「閉店時に店舗の内装をどの状態まで残すかは、大家さんとの契約によっても異なりケース・バイ・ケースです。我々は、次の店舗の入居までを視野に入れて、残す範囲を提案します。『この状態くらいまでは残しておいた方が次のテナントが入りやすい』と依頼よりも工事を少なくする提案もしばしば。工事が少なければ、企業は早く閉店できますし、大家さんはすぐに次のテナントを迎え入れることができます。一方、工事を減らした分だけ当社の収益も減ることになりますが、お客さまも大家さんにもハッピーな状態でなければ意味がないと考えています。それが信頼につながり、長い目で見たときに当社のメリットになる。“三方良し”のサービスとなるよう常に心掛けています」と大塚社長は語ります。
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工事事業部門で前年比150%を達成したときの達成会の様子(写真前列左から3人目が大塚社長)[/caption]
店舗の内装工事業は決して新しい業界ではありません。後から参入した四五コーポレーションがこの分野で顧客から高い評価を得てシェアを伸ばし続けているのは、これまでの凝縮されたノウハウを生かし、高い品質のサービスを提供できているからです。
先代である父から経営権を引き継ぐ
四五コーポレーション(当時は写真屋さん45)の創業者は大塚社長の祖父で、現在は三代目。二代目社長となった先代の父の姿を見て育った大塚社長ですが、最初は会社を引き継ぐことはあまり考えていなかったといいます。
大学卒業後は大手コンサルティング会社に入社しました。そこで3年ほど働いていた頃、何気なく先代に仕事の相談をしたことがきっかけで、大塚社長は四五コーポレーションの経営に興味を持ち始めました。「今は時代の転換期で、会社も大きく変わろうとしている。面白いぞ。来てみないか、と父に言われました。面白そうだと思いました」と大塚社長は話します。入社する前に営業を経験したいと考え、大手フィルムメーカーに転職し、1年半ほど働きました。
大塚社長が四五コーポレーションに入社したのは2003年。一社員としてプリントショップの販売員からのスタートでした。その後は本社で企画の業務に携わってきました。「父自身が祖父からの継承で苦労したこともあり、自分の引き際についてもずっと考えていたようです。以前から俺に引導を渡すのがお前の仕事だと言われていました。年を重ねると頭が固くなります。人の話を聞かなくなり、判断を間違える。自分が老害になる前に退きたいという思いがあったようです」と大塚社長は話します。
10年、大塚社長が35歳の時に先代は退任を決意し、大塚社長が事業を引き継ぐことになりました。しかし、先代はその後も会長として毎日出社し、会社経営に携わっていたといいます。絶対的な力を持つ先代が細かい部分まで決定してしまうため、社員たちは指示通りに動くことしかできていませんでした。「このままでは組織は弱くなってしまう。もっと社員1人ひとりが自分で考え行動できるような組織をつくらなければ」と大塚社長は考えました。
先代に経営の一線から退いてほしい、しかしそれをどう伝えればいいのか……大塚社長は悩みます。11年12月、チャンスが訪れました。
〝お客さまのために〟という理念を守り続ける
母親の還暦祝いに家族で温泉旅行に行ったときのことです。先代の機嫌が最高潮になったとき、大塚社長は思い切って伝えました。「来年からは、会社に毎日来ないでください」。先代は少し寂しそうな顔をしたといいますが、その後「分かった」と一言。
12年からは出社ペースを減らし、今は良きアドバイザーとなっています。以降、大塚社長は組織改革に取り組みました。「これまでは指示通りに動けばよかったのが、自分で考えなければならなくなり、社員たちも最初は戸惑っていたようです。1年半くらいたった頃からようやく手応えを感じ始め、特にこの数年は人の力が高まっていることを実感します。それまでは父1人の営業力で事業を引っ張ってきた印象がありましたが、社員たちの力で営業拡大できるようになりました」と大塚社長は話します。
力を入れてきた工事事業の売り上げは13年には前年比160%に急成長し、その後も増収を続けています。「事業承継の難しさは、守りに入りやすいことだと思います。引き継いだ社長は、改革すべきところは改革し、残すべきところは残すという難しい取捨選択を迫られます」と大塚社長は話します。「創業者から引き継ぎ守り続けているものは、“お客さまのために”という経営理念」だという大塚社長。
32年間、時代の流れを読みながら事業を柔軟に転換してきましたが、社名には今も「45」という数字を残しています。「45分間という現像時間は、創業当時とても画期的なものでした。この数字にはお客さまに喜んでもらいたいという思いが込められています」と話す大塚社長。チェーン店だからこそ見える世界を大事にしながら、今後もお客さまに喜んでもらえる高品質のサービスを提供していきます。
MORIBE's EYE
ビジネスモデルの破綻という逆境を、逆張りで最大の武器に変えた男。前のビジネスモデルは写真屋さん45、写真のデジタル化により700を超える店舗が80店に。普通なら倒産。しかし撤退のプロセスで店の原状回復、内装のやり方について圧倒的なノウハウを取得し、最大の武器に転換している。1つのビジネスモデルが破綻しても何とかできることで万人に勇気、勇気。
※情報は記事執筆時点(2016年7月)のものですが、一部2017年11月に最新の情報に更新しました