ビジネスを加速させるワークスタイル(第15回)
似ているようで違う、法人向け光回線の選び方
公開日:2018.02.26
人は必ず変われると信じ、「manebiを通じて利用者の成長につなげたい」と話す田島氏。2015年9月の労働者派遣法改正を受けて開発した「派遣のミカタ☆」という派遣業界に特化した教育ソリューションで、業界の注目を集めている。今後も同じスタンスで、提供するソリューションを通じて、利用者の成長を促すために、さまざまな挑戦を続けていくという。20代で2度の起業を経験するなど、創業からのストーリーについて語っていただいた。
時計を創業当初に戻す。田島氏は就職活動を機に「目覚めた」というが、それは何に対してだったのか。
「面接で出会った経営者の方々に感銘を受けました。それで、とにかく起業したいと思うようになりました。そしてビジネス書をいきなり400冊買い込んで、一気に読みました。読み進めて気付いたことの1つが、起業家の皆さんの多くが『周りの人への感謝』を強調していることでした。これを機に、それまでの自分の生き方を見つめ直すようになりました」
中でも田島氏が最も共鳴した会社が、Q&Aサイト「OKWAVE」を提供するオウケイウェイヴの兼元謙任氏だった。「いかにありがとうを集められるかが仕事だ」という考え方に、強く心を打たれた。
「こういう〝思い〞を大切にしたビジネスが生まれていたことに、偉そうですが、感動を覚えました。『ユーザー同士で支え合う』というビジネスモデルにも、知識がなかった当時の僕はショックを受けました。そして、考え方そのものに共感した僕は、面接を3度受けたものの不合格だったので、自分で事業をやりたいと思うようになりました」
そして田島氏は、これまでに読んだ400冊のビジネス書から、起業に必要だと思ったキーワードを抜き出した。それらの要素を効率良く学ぶために、少人数の会社に就職するのが近道だと考えた。そして、「滑り込むように」、小さな保険代理店に就職した。
田島氏は、得るものは多く、同時にハードな職場だったと振り返る。結局、同社を8カ月で退職。同じ時期に会社を辞めた先輩2人とデザイン会社を設立した。デザイン会社にした理由は、メンバーの中に、デザイナーがいたから。就職活動時の夢とは異なるが、社会人1年目にして起業に至った。
営業担当のナンバー2として忙しく働く日々を送り、そのかいあって、会社は少しずつ大きくなっていった。そんな中で出会ったのが、インテル日本法人で役員を務めていた板越正彦氏(現manebi顧問)。板越氏のコーチングを受ける中で田島氏が思い出したのは、就職活動を通じて目覚めていった自分の姿だ。
「やりがいも感じず、くすぶっていた22歳の時の僕みたいな人たちを救いたい。そう思うようになりました。同時に、オウケイウェイヴのようにユーザー同士が助け合うみたいな文化への憧れを思い出したんです」。そして創業メンバーとして育ててきた会社を3年7カ月で辞め、manebiを設立した。13年のことだった。
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執筆=森部 好樹
1948年佐賀県生まれ。東京大学を卒業後、旧日本興業銀行に入行。香港支店副支店長などを経て興銀証券へ出向。ビックカメラで取締役を務め、2002年、格安メガネチェーン「オンデーズ」を設立し社長に。2007年共同広告社に移り、2008年同社社長に就任。2013年に退社して独立し、顧問業を専門とする会社、ロッキングホースを創業。現在代表取締役。
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