近代史の入り口、江戸時代は「これぞ男尊女卑だ」と誰しもが思う時代だったようです。戦国時代の「男児によるお家相続意識」がより色濃くなったこの時代は、「男児が生まれなければお家断絶・取り潰し」が行われました。そのため名の知れた家は男児を持つことに必死であり、その家の嫁や娘へのプレッシャーはかなりのものだったと考えられます。
当時の風俗史・女性観を知る上で欠かせない書物に、儒学者「貝原益軒」による「和俗童子訓」というものがあります。全5巻から成るこの書物は基本的には良い家庭や良い子を育むための教育論書なのですが、その中には「いい女とは、主人や舅姑に慎みを以て仕える・子どもを産める・男の言うことをなんでも聞くなどの女のこと」や「悪い女とは、子どもを産めない・悪い病気になる・おしゃべりが過ぎるなどの女のこと」といった具合に、現代ではにわかに信じられないような女性評の記述がありました。
仮にも教育論を語る書物の中で、平然と「子どもが産めない女性は悪い」などと書き、それが評価されたことを考えると、やはり当時は「女性蔑視」の意識が社会全体に根付いていたと考えられます。
また、現代でも言葉として使用される「三くだり半(みくだりはん)」が生まれたのもこの頃。当時の三くだり半といえば「男性が別れたいと思ったらいつでも自由に別れられるが、女性がいくら別れたいと思っても絶対にだめ」というひどいものでした。その理不尽さは、夫があまりにひどい場合の救済策である「駆け込み寺」の建立に表れています。
これらのことから見て、当時の社会や人々の意識がいわゆる「男性至上主義」「男尊女卑」の下にあり、上流階級や一般庶民に関係なく女性が虐げられていた時代だったと考えられます。
「男尊女卑」文化が定着し、女性が長い間男性社会に虐げられてきた江戸時代を経て、ようやく日本に近代化の波が訪れます。大政奉還、明治維新、文明開化などにより明治政府が確立し、日本に新しい「欧米文明」が押し寄せた時代です。
服装や食べ物、技術や思想などさまざまな「新しいもの」が流入する中、それでも江戸時代然とした「男性至上主義」が色濃く残っていました。「家督は男性が継ぐ」「参政権(選挙権)は男性のみの権利」「女性は社会に出ず、家庭に入ること」「形ばかりの一夫一婦制」「女性のみに押し付けられる貞操観念」「質草・モノとしての女性の扱い」「女性のみに課せられる姦通罪」など、近代化とは名ばかりの「男尊女卑」が続いていました。
これらの状況に対し、「楠瀬喜多(くすのせ・きた)」「平塚雷鳥(ひらつか・らいちょう)」「津田梅子」といった女性たちが「女性の権利の回復」や「女性に不利な法律の改正・撤廃」をめざして立ち上がりました。長い間虐げられていた女性たちは彼女らの声に呼応し、この流れは全国に波及、その結果、政治・社会・教育面で成果を上げ、女性の地位向上に大きな功績を残しました。
こうした変化を発端にして昭和初期にかけて行われた「女性解放運動」を契機に、その後の法整備や社会通念の転換が進みました。しかしその動きも、やがて「太平洋戦争」によって急激に頓挫することとなります。
戦時中:「産めよ増やせよ」
1931(昭和6)年に起きた「満州事変」を皮切りに、日本は一気に戦争への道をひた走ります。当時の日本はといえば物資は乏しく、庶民は日々の生活にも困るほど困窮していました。
これを重く見た政府は、国力向上のため「国民精神総動員運動」という一種のプロパガンダ政策を進めていきます。お国のために役立つ物を強く称賛すると同時に言論や集会を規制し、政府や軍の意向に異を唱える者を厳しく処罰し、精神面から国力を上げる作戦に出たのです。
このような状況の中、当時の政府が女性たちに求めたのは「夫を命懸けで支え、お国のために働く子を育てる良妻賢母」の姿でした。それは、「戦地に赴く夫の後顧の憂いを断つために自殺した妻を賛美する」「兵士になる男子を産むことを賛美・強制する」「富国強兵策としての堕胎罪の創設(兵士になる(可能性のある)子を堕ろすことを禁じる)」といった形で実現していきます。
当時の政府や軍部は、現代では考えられない狂気に満ちた政策・法律・教育などによって、女性(というより国民全体)を酷使しました。戦争という狂った時代の狂った施策の数々の果て、女性の地位や権利、さらには人権までもが奪われていったのです。
「戦後」から現代:法治国家へ
そして1945(昭和20)年8月15日、陰惨な戦争が終結し、日本は復興へ向けて新たな一歩を踏み出しました。
同年、日本初の「婦人参政権」が認められ、女性が政治の舞台に立てる環境が整います。その翌年には戦後初の総選挙によって初めて「女性議員」が誕生しました。これにより、1878(明治11)年の「楠瀬喜多」から始まった「婦人参政権獲得運動」がようやく結実したのです。
その後も憲法制定や法整備が進み、これまで男性主権・男性限定だった権利保護の対象が女性にまで拡大していきます。また単なる範囲拡大のみならず、女性の社会的立場や男性との肉体的・精神的な差異をも盛り込んだきめ細やかな内容を持った法律により、これまで男性に虐げられてきた女性の権利を本来あるべき姿に回復させる動きは現在進行形で続いています。
ここまで急激に女性に対する法整備が進んだ背景には、明治時代の文明開化から始まった欧米文化の流入や近代のグローバリズム意識の醸成、日本企業の海外進出の常態化といった「海外の意識」が大きく影響していると考えられます。
しかし、ここで注意してほしいのは、ここまでグローバリズムが浸透した平成の時代にあってなお、「夫は仕事、妻は家事」「男は強く、女は弱い」「社会や会社は男が動かすもの」という江戸時代然とした意識を持ち、そのことに何の疑問も持たない日本人男性が少なくない、ということです。
これまで見てきた日本史の流れを見ると、いわゆる「近代的男尊女卑思想」は江戸時代に生まれ、昭和初期の「戦時中」に国民に浸透したと考えられます。しかし江戸時代や昭和初期の思想や固定観念で、これからさらに広がっていくグローバルビジネスの世界を渡り歩くことは不可能です。
他者の信念に口を出す気は毛頭ありませんが、少しでも「男尊女卑思想」を持っているビジネス・パーソンには、自身の考えがどの時代で止まっているのかを考え、反省してほしいと思います。