手のひらサイズのミニカーのブランドといえば、タカラトミーが発売する「トミカ」が有名です。
トミカは1970年にミニカー市場に参入し、発売から6年目の1976年には、販売台数が1億台を突破。2015年には総計6億台を超えました。それまでに販売されたミニカーを並べると、地球を1周する規模になるといいます。
トミカはもともと、国産のミニカー市場では後発でした。それにもかかわらず、トミカはなぜ先発のメーカーを追い抜き、40年以上続くロングセラーシリーズへ成長したのでしょうか。その秘密に迫ります。
なぜトミカのミニカーのサイズは約7cmなのか
前述の通り、日本にはトミカ以前にも国産のミニカーはありました。ですが粗悪品も多く、海外メーカーが扱うミニカーのほうが、人気がありました。
そこでトミカは、海外メーカーの製品を参考に、それを上回るミニカー作りを目標にしました。
トミカがまずこだわったのは、サイズでした。当時のミニカーは、海外で主流だった「1/43」スケールという、乗用車なら全長10cm前後の大きさになる縮尺を採用していたのに対し、トミカは縮尺の単位を統一せず、全長約7cm台に収まるサイズに統一しました。この約7cmというサイズは、子どもの手のひらに収まるのを念頭に置いたサイズとなります。
そして、ミニカーの造形にも力を入れました。全長7cmと小型サイズながらも、ドアが開閉したり、サスペンションを装備していたり、クレーン車のクレーンが動いたりなど、細部にこだわりました。この造形は、後に大人にも愛好者を生む下地となりました。
これに加えて、パッケージ(外箱)の大きさやデザインも統一しました。個々の商品にシリーズ番号を割り振るなど、デザイン面でも商品のイメージを洗練させました。
子どもは高級車よりも働く車が好き…
トミカは、子どもたちが“面白い”と思う車をチョイスする点でも秀でていました。一般的に「かっこいい」と思うミニカーを作ろうとすれば、高級な乗用車をラインアップに多く入れるのが定石かもしれません。しかしトミカの場合は、そうした車をラインアップに入れつつ、従来のミニカーには見られなかった、消防車やパトカー、救急車やゴミ収集車といった「働く車」にも力を入れました。
確かに子どもにとっては、高級車で遊ぶより、憧れの職業で使われている車のほうが魅力的に映るでしょう。「ごっこ遊び」にも使えます。子ども心を理解し、働く車のラインアップを強化したことが、トミカの成功の一因といえるかもしれません。
ちなみに、1970~2000年のトミカの売り上げ1位は「日野はしご消防車」、2005~2014年の売り上げトップ5は「ポンプ消防車」「白バイ」「清掃車」「救急車」「はしご消防車」だったといいます。消防車は両方に入る人気ぶりです。
大きな世界観を提供する
トミカはまた、「世界観」という大きな枠組みもつくりました。もともとミニカーは、海外で鉄道模型のジオラマを作る際の付属品として生まれたものです。そこでトミカは、ミニカーのルーツを参考にし、駐車場、ガソリンスタンド、商店、ビル、道路など、ミニカーの舞台となる「建築物」や「場所」も発売しました。
ミニカー単体で商品構成を完結させると、模型のように眺めて、コレクションとして扱う程度の遊び方で終わってしまうでしょう。しかしトミカは、乗用車や働く車が走る「街のジオラマのような商品」をラインアップに加え、子どもがミニカーを通して大きな世界を想像しながら遊ぶという、より大きな遊び方をつくり出したのです。
変わり種のミニカーこそトミカのブランド力
トミカの成功は、突き詰めれば経営姿勢といえるでしょう。ミニカーはサイズが小さい以上、クオリティーで圧倒的な技術差はつけにくいため、商品コンセプトや商品ラインアップなどでライバルと差別化する必要があります。
トミカはこれまで数多くのミニカーと、その関連製品を生み出してきました。その中には、動物運搬車や移動照明車など、ほとんど目にする機会のない変わり種のミニカーも多く見られます。一見すると、一部のファンに向けたマニアックな物作りをしているように見えますが、こうしたとっぴなアイデアを、長年許容し続ける上層部の姿勢がなければ、これらの製品は店の棚に並ばなかったでしょう。
トミカの成功の裏には、顧客(子ども)が本当に欲しいものを提供し、コンセプトやラインアップで独自の世界観を生み出す工夫がありました。たとえ後発だったとしても、それ以上のものを顧客に提供できれば、先発メーカーを追い抜くことは可能なのです。
参考文献
Neko hobby mook『トミカライフ1970~2005』ネコ・パブリッシング
中本裕、他『ミニカーコレクションの世界 トミカのすべて』童想舎 1984年
森山義明監修『トミカ徹底大カタログ』勁文社 1999年