一般的に、流行は年代や性別によって温度差があります。若者が夢中になる傍らで、大人が冷ややかな視線を浴びせていることも珍しくありません。その点でモグラ退治のヒットが興味深いのは、老若男女を巻き込んだ一大ブームになったことです。そしてモグラたたきという総称は、退治してもキリがない様子や、場当たり的な対処を比喩する表現として現在も使われていたりと、ブームの枠を超えて言葉にまで波及した特殊な例です。
これだけのブームになりながらも、開発元の東洋娯楽機製作所では当初「くだらない」と軽んじられたゲームでした。そんなモグラ退治が、どうやって大ヒットまで上り詰めたのか。その道のりをたどります。
東洋娯楽機製作所で初めてモグラ退治の企画案が出されたとき、周りの評価は芳ばしくありませんでした。企画案を提出した山田数夫氏は、副社長という権限で強引に試作機を作らせましたが、やはり周りからは「商品にする価値は無い」「お金を払って遊ぶわけがない」と散々な評価を浴びせられました。シンプル過ぎて、子どもだましと受け取られたのです。
モグラ退治の元になったのは、知人が持ち込んだ「アスレチック要素のあるゲーム」という企画にあったスケッチでした。その企画が頓挫してからも、山田氏はある1枚のスケッチに心を引かれていました。それは「子どもがひざを付いて、モグラをたたく」ものでした。山田氏はスケッチに可能性を感じ、ゲーム作りに挑みます。
山田氏は「子ども目線で作るのが大事」が商品開発の持論でした。モグラ退治にも、子どもが楽しめる目線で開発が行われます。商品仕様は、箱型のきょう体に並ぶ穴から、頭を出したモグラをたたくというものにします。そして試作品を会社の1階に設置したのですが、初めは誰も手にしませんでした。しばらくすると、モグラを上司に見立て「社長」「副社長」と呼びながら、ふざけてたたく社員の姿を目にします。その光景から子どもが楽しむだけではなく、大人のストレス解消にもなるという手応えを感じた山田氏は、モグラ退治という商品名で出荷します。
好評でも改良、コミカル、潜在力でブームに
最初に出荷されたモグラ退治は予想に反し評判が良く、さらに2号機、3号機で人気が爆発しました。その理由は、小さな欠陥を摘み取る姿勢と、ゲームの世界観の2つでした。
まず小さな欠陥を摘み取る姿勢として挙げられる代表的なものは、子どもの目線を大切にしたことです。1号機ではもぐらが出てくる穴の配置が横長の2列でした。そのため、幼児は体を左右に移動し手を伸ばさないと、端や奥の列にある穴から出てくるモグラをたたけなかったのです。これは致命的な欠陥ではなかったものの、山田氏は見過ごしませんでした。
山田氏はきょう体の前面にくぼみを設けて穴の配列を扇状にする、盤に傾斜をつけるなど、幼児が遊びやすいように改良した2号機、3号機を出荷しました。小学生や大人は遊べるから構わない、幼児だからどうでもいい、といった姿勢を取らなかったことが大ブームにつながったのでしょう。
こうした全年齢を対象にした改善努力は、結果として思わぬ市場開拓をもたらします。幼稚園の体育や、老人ホームの運動、医療施設でのリハビリ、社員採用の反射神経や身体能力を測るテストにまで採用されました。
次にゲームの世界観にコミカルさを最優先したのも、人気爆発の理由に挙げられます。
ゲームのジャンルによっては、映像や造形など、何もかも現実そっくりに再現する手法があります。しかしモグラ退治はそうした路線を追求しませんでした。山田氏はきょう体のデザインは現実を連想させるリアルなものではなく、カラフルで明るい雰囲気に仕上げました。モグラを退治する小道具のハンマーも頭部をクッション製とし、ハードなイメージを排除しています。畑を荒らす害獣駆除というリアリティーではなく、コミカルな世界でストレスを解消するゲームに仕立てたのです。
このコンセプトの副産物は、プレーヤー本人だけでなく、ダンスや太鼓ゲームのように周りで見ている人も楽しめるパフォーマンスの要素を潜在させた点が見逃せません。プレーヤーがモグラを真剣にたたく姿が、周囲にはこっけいなものに写り、笑いを誘います。これで見る側も一緒に明るく騒ぎながらストレスを解消できたのです。
この2つの理由によってモグラ退治は1人で遊ぶゲームにもかかわらず、テーマパークやショッピングセンターなどでイベントを開催すると、人だかりができるほどブームに発展しました。
アイデアは最初から評価されるとは限らない
モグラ退治はブームを背景に輸出されるようになります。たたくというシンプルなゲームでありながらストレスを発散できるので、国境を超えても人気を博しました。後年には金融危機の際に、モグラを悪徳銀行家に置き換えたゲームが登場するほど海外でも定着しました。
さらにゲームだけではなく、オバマ氏が大統領時代に、過激派組織イラク・シリア・イスラム国への軍事行動に関するコメントの比喩として「モグラたたき」を用いました。米国では「Whack a mole(モグラたたき)」が日本語と同じく「退治してもキリがない」という意味の比喩で浸透しているのです。
このようにゲームと言葉の両面で文化史に足跡を残したモグラ退治ですが、企画を提案したときは低評価でした。しかし周囲の予想に反する大成功を収めたのは、山田氏が子どもだましに潜んでいたストレス発散に気づいたからです。
爆発的な潜在力のあるものでも最初から高評価とは限りません。気づかれずに日の目を見ないこともあるでしょう。企画提案や商品開発では、周囲に流されずに裏側に潜在するものを見極め、万人に伝わるように磨き上げていくことが重要だと学べます。
参考文献
・増川宏一『日本遊戯思想史』平凡社
・佐藤安太『おもちゃの昭和史』角川書店
・串間努『少年ブーム』晶文社
・成美堂出版編集部『ロングセラー商品の舞台裏』成美堂出版
・「もぐらたたきを作った男」山田数男氏インタビュー