デザイン・シンキングもしくはデザイン思考として、知られる手法について具体的な事例を基に解説する連載の第9回は富士ゼロックスと岩手県遠野市による事例です。一般的な研修とは異なり、ワークショップを中心にした学びの場を提供することで、課題の解決力を身に付けることができる取り組み。テーマは“遠野市の未来”となっており、市職員が参加することで具体的な議論が繰り広げられています。
富士ゼロックスと岩手県遠野市が協力して手がける「みらい創りカレッジ」。ソーシャルデザインの手法により2014年4月のスタート時から1年間で約3600人の社会人や大学生が来訪するまでになった。
柳田国男の「遠野物語」で有名な岩手県遠野市。駅から車で約15分の場所に、遠野市の活性化を狙った研修施設「遠野みらい創りカレッジ」がある。富士ゼロックスと遠野市が協力して研修プログラムの開発から施設の運営まで行っており、2014年4月のスタート時から1年間で約3600人の社会人や大学生が来訪するまでになった。なぜ、みらい創りカレッジが人気を集め、遠野市の活性化につながるのか。その理由は独特な研修プログラムにあった。
一般的な研修プログラムといえば座学による講義がほとんどで、主な内容は業務の習得などだろう。みらい創りカレッジの場合はワークショップが中心で、学ぶ内容は課題の解決能力だ。企業向けなら例えば、新しい事業化や商品開発の発想法などを学ぶ。ただ、みらい創りカレッジでは統一したテーマがある。それが遠野市の未来だ。
遠野市の産業はどうあるべきか、今後の町づくりや地域の活性化策はどうかなどを、発想法を学びながら考える。重要な点は、ワークショップに住民や市役所の職員も参加させ、社会人や大学生と具体的な議論ができるようにしたことだ。このためアウトプットが、遠野市の新たな産業振興策だったり特産品を生かした新規事業だったり、実践的な提案になっている。今までに来訪した3600人の知見が、遠野市の活性化策になるわけだ。
参加する社会人も単に発想法を学べるだけでなく、住民や職員と意見交換することで、自分が持っていた地域向けビジネスのアイデアを検証したり、新たに発想したりすることができる。
2014年11月に個人として東京から研修に参加したのが東洋インキSCホールディングスの販売会社、東洋SCトレーディング・マーケティング部事業開発グループの花房明子氏だ。最初は新規ビジネスのヒントをつかむためといった漠然とした理由で臨んだが、遠野市の食材を海外展開できないか、と考えるようになったという。
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企業の研修会にも活用し、ワークショップを通じて新商品開発などに向けたアイデアにつなげる(左写真) 企業が研修会に活用している様子。企業からの参加者のほか、住民や市役所からも参加し、一緒になって地域の課題や遠野の未来を考えることで、新たな気付きを得られるようにしている。イベント会場としても使われている(右写真)[/caption]
このときの研修プログラムは、東京のコンサルティング会社ウイルウインドと未来新聞が手がけたものだった。未来新聞の手法では、自分が今後どうしたいかを「未来の新聞記事」として執筆することで気付きを得るようにしている。
「未来の新聞記事を書くことで、自分でもわくわくするプランが出てきた。遠野市がイタリア・サレルノ市と交流があることを聞いて、ビジネスへの道筋が見えてきた」と花房氏は話す。2015年2月の研修プログラムには上司の田中洋一・マーケティング部長を連れて再び来訪。田中部長もワークショップに参加する中で事業化への手応えをつかんだ。東京に戻って社内で検討した結果、事業化へのゴーサインが正式に出た。今後は日本酒など遠野市の産品をサレルノ市に展開していく考えという。
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親子を交えたワークショップの様子。いたずら好きの妖精「ゴブリン」をテーマに研修施設内で工作やゲームを行う。座敷わらしやかっぱの伝説など妖怪にちなんだ遠野市らしいイベントだ[/caption]
デザイン思考的な営業手法を活用
複写機ソリューションを販売する富士ゼロックスが遠野市で研修施設を手がける理由は、復興支援事業のためだ。きっかけは、岩手県釜石市で復興支援に取り組んでいた富士ゼロックスの樋口邦史・復興推進室長と遠野市長の出会いにあった。県央付近にあって被災地にも近い遠野市の地の利に着目し、復興支援の拠点として捉えていた。そんな遠野市も人口減少による過疎化が進行し、地域の活性化に迫られていた。
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岩手県遠野市と富士ゼロックスが取り組むプロジェクトの概要[/caption]
富士ゼロックスには、ユーザーとの対話を通じて課題を発見・解決するデザイン思考的な営業手法がある。釜石市の復興支援でも医療ソリューションの提案に生かしていた。遠野市が抱える課題も同様な手法で解決できないかと、住民にヒアリングしたり遠野市の未来を考えるイベントを開催したりした。そうした取り組みから、地域の活性化に向けて住民と来訪者が交流できる「場」が必要になると判断。みらい創りカレッジの設立に結び付いた。
遠野市側で担当する産業振興部の石田久男・連携交流課長は、「富士ゼロックスとは実現まで何度も対話を重ね、次第に信頼関係を築いてきた。最近は海外からの大学生が訪れる機会も増えている。イタリアのサレルノ市と姉妹都市でもある遠野市の良さを多くの人にもっと理解してもらいたい」と話す。
復興支援の一環として研修施設を始めた富士ゼロックスだったが、国内外から来訪者が増え、さまざまな交流や事業が生まれたことで、コミュニティーづくりが新たなビジネスのチャンスになるのでは、と感じ始めている。
「具体的な収益確保の手段は検討の段階だが、今後は同様な研修施設を別の地域にも横展開するなどBtoC(コミュニティー)市場として確立させたい」と遠野みらい創りカレッジ総合プロデューサーも務める樋口氏は期待する。
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年間3600人が来訪する遠野みらい創りカレッジ[/caption]
※掲載している情報は、記事執筆時点(2016年1月)のものです