デザイン・シンキングを進める企業の中には、社内で正式に承認されないまま、まずは意欲ある社員たちがボランティアとして“草の根”的にプロジェクトを運営するケースが少なくない。これをスムーズに実行するには、単に意欲の有無だけではなく、通常業務に支障がないように社内ルールを守ることができるメンバーを選ぶ必要がある。活動自体が面白くてワクワクする、いわば「部活」のような雰囲気があれば、メンバーが集まりやすい。
デザイン・シンキングを活用したことによる実績が出れば、経営トップからも注目されやすい。だが結果が出るまでには、デザイン・シンキングに関心のある一部の社員たちがボランティアとしてプロジェクトを運営するケースが少なくない。とはいえ、社内的に承認されていないプロジェクトであれば、通常業務と並行して手がける必要があるし、夜間や休日などにワークショップなどを行えば、メンバーに多くの負担がかかるだろう。そんな状況でも通常業務を確実に処理し、社内に迷惑をかけないようにしないと、せっかくのプロジェクトが潰されてしまいかねない。
積水ハウスで、こうした“草の根プロジェクト”を運営する設計部・大阪設計室の畠井嘉隆部長は、独自のさまざまな工夫を加えて成功に導いた。その結果、2012年には若い主婦層の「ギャルママ」をターゲットにした賃貸住宅「イマドキmamaの家」を販売できたほか、15年10月には1階部屋を「1戸建て」感覚で生活する新しい賃貸住宅の提案につながった。この住宅は竣工後、約1カ月で買い手が決まるほどの人気商品だ。いずれも社内のボランティア社員などとワークショップを重ねたり、生活者の行動観察などを行ったりして、その内容を間取りに反映し設計したものである。
畠井部長はプロジェクトメンバーを集めるに当たり、心がけている点がある。それは畠井部長が所属する部署からはメンバーを取らないこと、さらに中核となる畠井部長以外は開発プロセスに応じてメンバーを入れ替えるなど、流動的にしていることだ。
こうすることでメンバーの負担を減らせるほか、多様なメンバーからさまざまな意見を引き出しやすくなる。ユニークなアイデアを出せる人や論理的に考えることが得意な人など、ディスカッションの内容に応じて必要なメンバーの特性が異なる点も考慮した。例えばイマドキmamaの家の開発では、社内の女性社員が中心メンバーとなって議論したり住宅の模型を組み立てたりして開発を進めた。「一戸建て」感覚の賃貸住宅では、社外から3人がメンバーに参加し、住宅メーカーとは異なる視点で意見を言ってもらった。
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試験的なプロジェクトを積み重ね、次第にプロジェクトを拡大していった[/caption]
「各メンバーの上司には必ず断っているし、通常業務には絶対に支障を来さないようにしている。プロジェクトの時間を確保するため、むしろ通常業務を効率的に処理しているメンバーもいるほど」と畠井部長は言う。
必ずしも自分の業績評価につながらないメンバーが、そこまでモチベーションを持って取り組むのはなぜか。メンバーを選ぶときはデザイン・シンキングに関心を示し、何でもやってみようと前向きで意欲のある社員に声をかけるだけではない。畠井部長自身がプロジェクトを楽しみ、メンバーにも楽しんでもらう、いわば社内「部活」のノリで実施しているという。メンバーが面白いと感じたことで、次第に社内で口コミが広がり、プロジェクトに参加したい社員も出てきた。
「通常業務に支障が出たら、必ずプロジェクトを降りてもらうと言っているが、今までそうしたメンバーは1人もいなかった」(畠井部長)
1階部屋を「一戸建て」感覚にした賃貸住宅へ
こうしたデザイン・シンキングの手法をさらに活用し、1階部屋を「一戸建て」の感覚で生活できる新しい賃貸住宅を提案した。生活者のライフスタイルを分析し、結果を間取りに反映して設計。2015年10月末の竣工後、約1カ月ですべて契約が決まり、翌16年1月からは順次入居している。
対象の部屋は、大阪府堺市にある3階建て賃貸住宅の1階部分にある4部屋で、それぞれ2LDK(約60平方メートル)に相当する広さ。賃貸住宅は一般的に、2階や3階などの上層階に比べて1階は人気が劣り、家賃も上層階より安くなりがちだ。そこで新しい間取りを考え、家賃や内装のコストを維持したままで入居率アップにつなげるのが狙いだ。
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「イマドキmamaの家」のワークショップ風景。多くの女性社員がボランティアとして参加し、生活者の視点で間取りを考えた[/caption]
プロジェクトは14年10月にスタート。1階には住みたくないという人の意見も交えながら、生活者の行動観察やインタビューなどを重ね、4つのライフスタイルに分類した。具体的には「女の子の乳幼児がいる夫婦」「幼稚園に通う元気な男の子がいる夫婦」「自分の趣味の世界を生かしてコミュニケーションしたい40代の夫婦」「子どもが独立した50代の夫婦」といった生活者像を仮定し、それぞれのライフスタイルに応じて部屋の間取りを設計。さらに裏口を効果的に使えるようにして、一戸建てに住んでいる感覚を生み出した。
例えば、女の子の乳幼児がいる夫婦向けには、子どもを寝かしつける畳の部屋を設けたり、駐輪場からすぐにつながる裏口を備えたりするなど工夫が施されている。元気な男の子がいるファミリー向けには、裏口から風呂場に直行できる間取りにして、泥だらけで遊ぶ子どもをすぐに洗えるようにした。床を少し下げて簡易的な2階を作り、子どもの遊び場にするという1階ならではの工夫もある。
さらに、趣味の世界を生かしてコミュニケーションを交わしたい40代の夫婦向けには、店舗のような広い裏口を設け、リビングとつなげることで、趣味を教える教室などを自宅で開けるようにした。子どもが独立した50代の夫婦向けには、室内にたたきを設けてリラックスできるようにしたり、プライバシーを確保する特別な塀を通して共用スペースの緑を眺められたりするようにした。裏口は駐車場に直結している。
新しい間取りを考えたため、設計の手間はかかるが、材質などを工夫したことで内装にかかったコストは従来の間取りとほぼ同じという。同社によるデザイン・シンキングの活用はまだトライアルの段階だが、今後はさらに、暮らす人に合わせた部屋作りと家賃設定を提案できる可能性もありそうだ。
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(左)新しい賃貸住宅の内部(家具などは展示用/以下同じ)。女の子の乳幼児がいる夫婦向けには、畳の部屋を設けたほか、ダイニングテーブルなしのフラットな生活を提案(写真:今 紀之)(右)趣味の世界を生かしてコミュニケーションを交わしたい40代の夫婦向けの部屋。玄関とは別に、裏口として広い出入り口を取り、室内で趣味の教室を開催した場合でも多くの人と交流できるような間取りにしている。外から見ると、店舗のような印象を受けるという[/caption] [caption id="attachment_17853" align="aligncenter" width="568"]
(左)元気な男の子がいる夫婦向け。裏口から風呂場に直行できる間取りにし、泥だらけで遊ぶ子どもをすぐに洗えるほか、簡易的な2階を作り、子どもの「秘密基地」のような遊び場を構築(右)子どもが独立した50代の夫婦向けの部屋。室内にたたきを設けるなど「和」のテイストを重視することで非日常を演出し、リラックスできる間取りにした[/caption]