実例に学ぶ不正対策の2回目は現金の盗難や顧客情報の悪用に相次いで直面した介護会社のケース。できるだけ魔が差さないような環境をつくり、入社時、退職時に誓約書を提出させるなど、不正撲滅に力を注いだ。
不正に毅然とした態度を取ることと、きめ細かな不正防止策。内部不正を経験した経営者は、必ずこの2つを対策として挙げる。
「おとなしそうな女性だったから、会社のお金を横領したと聞いたときは『まさか、あの娘に限って』とにわかには信じられなかった」。
20年近い業歴を持つ、ある介護会社のX社長は、10年近く前の事件を振り返って語る。
介護保険を利用して訪問介護などの介護サービスを受ける利用者は、料金の1割を自分で支払うのが原則。銀行振り込みなどで支払うケースが大半だが、中には現金払いを希望する利用者もいる。ある日、自宅を訪問したヘルパーが数千円の利用料を受け取ってきて、事務所の机にしまった。
ところが、翌日銀行へ持って行こうとして机を開けると、そのお金が見当たらない。しかも同じ事務所でもう1回、同様の紛失が起きた。その机に現金が入っていることを知っているのは、数人の社員に限られる。調べてみると、集金してきた女性社員がお金を盗んだことが分かったのだ。
被害額は合計で1万円いくかどうかとわずかだったが、これを機にX社長は不正防止のためのさまざまな対策に踏み出す。
不正は許さないという態度を鮮明にする…
具体的には事務所などに監視カメラを設置したり、机の鍵を厳重に管理するようにしたり、現金を事務所に置かず、すぐに銀行に預けるという決まりをつくったりした。監視カメラは「見守りカメラ」と呼び、社員に不信感を持たせないような配慮をした。
「誰でも魔が差すことはあり得る。できるだけ魔が差さないような環境をつくるのが経営者の役目と考えた」。X社長はそう話す。
ただ、その後も社員の財布から現金がなくなる事件が数件あった。そのときは迷わず警察に届け出て、捜査を依頼した。社員に対して「不正は許さない」という態度を鮮明にするために、あえて大ごとにしたという。
一方でX社長は、顧客情報の漏えいにも直面してきた。最初は、介護事業に乗り出して5年ほどがたった頃。突然2、3割の減収に見舞われた。調べてみると、退職後、同じ市内で介護会社を創業したある介護スタッフが、以前の顧客リストをもとに営業をかけていたことが分かった。
この元社員はチームリーダークラスだった。介護サービスの利用者は、サービスを提供していた会社より、自分の面倒を見てくれたスタッフとの結び付きが強いもの。そうした人に勧誘されれば、容易にそちらに移ってしまう。
誓約書で情報漏えいを防ぐ
X社長も「かつては、誰でも介護ビジネスを始められるというムードだったし、多少はノウハウをまねされるのは仕方がないとも思っていた。でも、当社の顧客の自宅を訪ねて『独立するから来てくれ』と勧誘されたのでは見過ごせない」と対策に乗り出した。
X社長は、元スタッフを相手に損害賠償請求の訴訟を起こした。その後も、退職した社員が顧客リストをもとに営業活動をする例が数件発生。その際は、動きが耳に入った段階で、弁護士名で内容証明を送り、こうした行為を控えるよう警告してきた。
さらに、社員の入社時と退職時には、業務で知り得た顧客情報をもとに業務外の営業活動などをしない旨の誓約書を提出させている。加えて退職時には、業務関係の情報が残っていないか、私物の携帯電話のチェックもする。
こうした対応を厳しいと思う人がいるかもしれないが、X社長は不正を根絶するためには、ここまでしなければならないと強調する。ただ、X社長はこれらの対策と並行して、風通しの良い組織づくりにも取り組んできた。
「小手先の不正防止策だけでは、それをすり抜ける社員もいる。組織の風通しを良くして、不正を隠蔽できない体質の会社にすることが何より大切」と考えたからだ。その一環として、改善・革新提案の表彰制度を設けた。
また、シフトの関係で全社員が集まる機会は少ないため、ウェブ上で会議を開き、「おかしい」と思ったことはその場にいなくても、意見が言えるようにした。さらに、社内SNSを使って、幹部らによる会議の中身を社員が閲覧できるようにするといったさまざまな対策を講じてきたのだ。
「最近は『辞めた社員がうちの顧客を勧誘している』という話はすっかりなくなった」とX社長は手応えを感じている。
日経トップリーダー
※次回「集中連載 会社を傾ける社員の不正を許さない」は3月21日(火)公開です