座長として、吉本新喜劇のお笑いを引っ張るすっちーさん。すっちーさん演じる「すち子」と吉田裕さんとの「乳首ドリル」のギャグがテレビで人気を博し、一躍全国区の人気芸人となった。現在、最も注目される芸人の1人であるすっちーさんに、これまでの芸人生活での決断や、新喜劇の人気の秘密、大阪の魅力について聞いた。
―すっちーさんは、ビジネスパーソン向け媒体のインタビュー経験はありますか。
あれっ!? もしかしたら初めてかもしれません。
―今日は、大阪の話とともに、ビジネスパーソンの生き方にも参考になる話も伺えれば。
そりゃできるかどうか、自信ないなあ。(笑)
―吉本興業に入って21年、吉本新喜劇の座長に就いて3年がたとうとしています。
ありがとうございます。おかげさまです。振り返ってみると、よう節目節目で決断してきたなあと思います。
今で満足したら、来年はない
―すっちーさんにとって、決断を迫られた節目は何回ありましたか。
自動車整備士をやっていた20歳ごろ、将来に悶々(もんもん)としていましてね。それで24歳の時に、幼なじみをお笑いの世界に誘ってコンビを組みました。当時、24歳でお笑いの世界に入るのは遅いほうでした。これが1回目。
周りが売れていく中で、11年間漫才で頑張ってきましたが、35歳でコンビを解散します。漫才で培ってきた芸を喜劇で生かせるんとちゃうかなと、新喜劇に入団します。あまりケースのない、中途入団です。まあ、小籔さん(小籔千豊新喜劇座長)などの先輩から後押しされたのもありましたけど。これが2回目です。今思えば、節目節目で動いとってよかったです。もし動いていなかったらと思うと、ぞっとしますね。
―安定は求めなかった?
芸人ですからね。コンビを組んでいた時も、そこそこは食えていました。でも「今攻めなあかん。今に満足したら来年はないぞ」という思いは強かった。コンビを解散したのは、ちょうど結婚して子どもが生まれた時でした。先日出演したテレビ番組で、一流企業を脱サラした人を特集していて、共演者は「辞めるのか! もったいな!」とか言っていたけど、僕は「芸人じゃなくてもそうした決断するんやなあ」と共感しましたね。
コンビを解散した時、かみさんに「しばらくアルバイトをせなあかんかもしれんけど、ええか?」と言ったら、「ずっとやないやろ」と一言。かみさんには感謝してます。
―座長に就任した時の決断も大きかったのではないですか。
新喜劇に入団してからはずっと「座長になりたい」と言っていましたよ。でも、これは僕の決断じゃない。会社に呼ばれて「今度から座長に就いてください」と言われて、ちょっと待てと。事の重大さは分かっていましたから。座長になったら、難波かいわいに、「すっちー、新座長!」なんてのぼりがそこかしこに立つんですわ。それを見て、ホンマ、怖なりましたよ。だって、お笑いのグランプリで優勝しても難波にのぼりは立たないでしょう。新喜劇は大阪に育てられている。そして大阪の人に愛されているんやと、大阪での存在の大きさを実感させられました。それを背負っていかなあかんのやと。
新喜劇は“幕の内弁当”…
―新喜劇の人気の秘訣(ひけつ)はどこにあると考えますか。
入団時に「漫才は目先の笑いを求める。でも新喜劇はちゃうぞ」と先輩に言われました。お客さんは、新喜劇の笑いを求めている。新喜劇の笑いは、いつ出るかいつ出るかといった具合で出るもんやと。
定番かもしれないけど、師匠たちのギャグなんか、もう古典の域ですわ。それだけを演じても、ベタな笑いにしかならないかもしれません。そやけど、舞台だとめちゃくちゃウケる。それを上手に引き出すように、周りも演じるんです。そして最後に劇場がドッカーンと来る。
―新喜劇の笑いは皆で演じるものだと。
チームワークは大事ですね。ここでこう絡んでもらおうとか、あそこでこけてもらおうとか、若手も生かしながら、ドッカーンと来るための構成を考えます。師匠たちの笑いだけでなく、その伏線となる周りの芸人一人ひとりの笑いも大事。新喜劇ってね、笑いの“幕の内弁当”なんです。子どもからお年寄りまで、いろんな笑いがある。どの年代も笑わせてこそ新喜劇になるのだと思います。
―その中で、吉田裕さんとの「ドリルすんのかい、せんのかい」とやり合う「乳首ドリル」のギャグも、ドカンと来ますね。
このギャグはね、お客さんと一緒につくってきたと言ってもいいんです。すち子の役だって、そもそも僕は女役を演じるのが苦手だった。ただ、女芸人のまねをしていたらそれがウケて、そんならいっぺんやってみよか、となって、だんだんすち子のキャラクターができてきた。「乳首ドリル」のギャグも、吉田とこんなのどうやろと始めて、お客さんの反応を見ながら、少しずつ変えていっている。最初から今みたいにウケたわけではないんです。ギャグはお客さんと一緒につくるもんです。ビジネスの世界でも、例えばメーカーのものづくりでは、お客さんの声を聞きながらあっちこっち変えたりしますよね。(笑いもビジネスも)一緒なんちゃうかな。
―座長になって周りとのコミュニケーションは変わりましたか。
もともと新喜劇には中途入団ですから、すでに入団していた若手芸人とのコミュニケーションは大事にしてきました。「乳首ドリル」なんかもそこから生まれた。座長になってからは特に、若手との距離感を意識して、あえてこちらから声をかけるようにしています。会話の振りとして「おまえの家どこやった?」と。「先輩、もう何回目ですか、全然覚えてくれませんやん」「おっ、そうやった、そうやった。そんならまだ時間はあるな、じゃ飲みに行こ」といった具合で。そんなこと、もう何十回と繰り返しています。
これからも、なんばグランド花月で生きていく
―すっちーさんにとって、大阪は大事な場所ですね。
生まれ育ち、決断をし、戦う所です。それと、僕を見守り、成長させてくれた所です。大阪をそのまま、なんばグランド花月に言い換えたっていい。劇場からすぐ近くの日本橋に、もう15年以上住んでいます。朝が弱いので、仕事場のすぐ近くに住んでいるというのもあるのですが、人情味があって、ちょっとわい雑な感じの残る街にいるとホッとするんです。東京や地方から帰ってきて、新大阪からタクシーで日本橋一丁目の交差点に着くと、パチンコ店があってドラッグストアがあって、どこにでもあるような街並みを眺めて、あーここが僕の拠点なんやと思うんです。
―仕事場から離れて暮らしたいとか、高級住宅地で暮らしたいとか思う方もいますね。
僕は全く思いませんね。劇場に近くて遅刻しないし、便利だということもありますよ。でもやっぱり僕はこれからも劇場で生きていくんやと。日本橋の交差点の風景を見ながら思っているんです。
―最後に、大阪の顔を表現するとどんな感じになりますか?
こんな感じ!
大阪は開けっぴろげで、ええかっこしなくてもいいし、すべてをさらけ出すことのできる文化がある。だから新喜劇があるのだし、僕もそこで頑張れるんです。
すっちー
1972年大阪府摂津市生まれ。自動車整備士を経て、幼なじみと漫才コンビ「ビッキーズ」を組んでデビュー。コンビ解散後、2007年に吉本新喜劇入団。14年に座長就任。2009年ごろから始めた大阪のオバハンキャラ「すち子」で全国的に知られる。舞台だけでなく、テレビ、ラジオ出演多数。
【最新情報】
主演映画『商店街戦争~SUCHICO~』が2017年3月4日から全国公開。
大阪市大正区の商店街で撮影された“人が死なない”アクション+人情喜劇!