ビジネスを加速させるワークスタイル(第15回)
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公開日:2017.12.26
日本プロ野球史上、最速の投手は誰か?この話題になると必ず名前の挙がる1人の投手がいる。阪急ブレーブスで活躍した山口高志(やまぐち たかし)氏だ。
通算成績は、50勝43敗44セーブ、防御率3.18。1975年に新人王と日本シリーズMVPを獲得、1978年には最優秀救援投手に輝いた。流星のごとく現れ、初年度にいきなり2冠を獲得し日本の野球ファンを魅了するも、剛速球投手としてはわずか4年と短命であった。現役生活は8年。鮮烈な印象を残しながらも、短期間でプロのマウンドから姿を消してしまった。しかし、山口氏はその後、コーチやスカウトに転身して力量を発揮した。
今回は、阪神の藤川球児投手を覚醒させた山口氏のコーチ手腕から「上司と部下の理想的な関係」を探っていきたい。
藤川投手といえば、ピンポン球のように打者の手元で浮かび上がる「火の玉ストレート」で球界を震撼(しんかん)させた現役のセットアッパー(中継ぎ投手)だ。ドラフト1位で入団しながら5年間芽の出なかった彼が、日本を代表するリリーフにまで登り詰めたのは山口氏の指導のたまものだった。
山口氏は関西大学野球部から松下電器を経て、1974年に阪急ブレーブスからドラフト1位指名を受けた。大学卒業時にもドラフト1位指名を受けていた山口氏だが、一度はプロ入りを断っていた。その理由は体格だった。投手の体格は背が高ければ高いほどよいとされている。それが威力のあるボールを投げる資質とされていたからだ。
ところが山口氏の身長は169㎝と、当時でも決して恵まれたものではなかった。その体格故に、大学4年のときはプロで通用する確信が持てなかったと述べている。その決意を覆してプロの世界に挑んだ山口氏には、体格という問題を乗り越える武器があった。
山口氏にはもともと身長以外の面で好投手に必要な別の資質が備わっていた。例えば、指の面積が広くスピンがかかりやすいことや腕が伸びてボールに力を乗せやすいなで肩など。その利点を存分に生かしつつ、彼は身長を補うために、全身を使って上から下にたたきつけるような独特なフォームを編み出した。
そのフォームは、プロ入り1年目から実を結んだ。12勝をたたき出し、新人賞と日本シリーズMVPを獲得。その剛速球は、日本プロ野球史上最速投手の1人に名を連ねるほどだった。
しかし、全身を使うフォームは体への負担も大きかった。それがもろ刃の剣であることを、チームメイトにして実働20年、キャリア通算1065盗塁の「世界の盗塁王」福本豊氏は早い段階で見抜いていた。
「そんなフォームやったら体がもたん。必ずケガするぞ」。
だが、その言葉に対して山口氏はこう答えた。
「フクさん、ありがとうございます。でも自分は太く短くでいいです」。
球史に残る剛速球投手は、決して全力投球のフォームを変えなかった。結果、福本氏の予見は現実のものとなり、1978年の日本シリーズ直前、山口氏の腰はついに限界を迎えた。以後「史上最速の剛速球」の球速を再び目にすることはなかった。実働は4年で、その後は故障に苦しみ、わずか8年で選手生活を終えた。
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執筆=峯 英一郎(studio woofoo)
ライター・キャリア&ITコンサルタント。IT企業から独立後、キャリア開発のセミナーやコンサルティング、さまざまな分野・ポジションで活躍するビジネス・パーソンや企業を取材・執筆するなどメディア制作を行う。IT分野のコンサルティングや執筆にも注力している。
【T】
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