近年、広島東洋カープ(以下、広島)出身の監督が目立っている。2016年、2017年のセ・リーグ連覇を果たした緒方孝市監督、2010年~2014年を率いた野村謙二郎氏、そして現在は阪神タイガースの監督を務める金本知憲氏。彼らに共通するのは、1990年代中盤の広島で活躍した元チームメイトであり、当時チームを率いていた三村敏之監督の下で花開いたプレーヤーという点。
その三村敏之氏は、1966年のドラフト2位で広島に入団。1972年には、一流バッターの証しとされる3割(打撃成績リーグ第2位)という成績を残したが、その後、現役を通じて、再び打率が3割を超えることはなかった。現役17年間の通算成績は、打率.255、149本塁打、490打点、49盗塁だった。
引退後も広島に残った三村氏は、コーチや二軍監督を経て、監督に就任すると、1994年から4年連続でAクラス入りを果たした(5年目は5位)。1992年から2012年までの21年間で、広島がAクラス入りしたのは1994年から1997年の4シーズンだけで、いずれも三村氏が率いていた。
三村氏が率いる広島は、1996年前半戦で首位を独走するも、長嶋監督率いる巨人に11.5ゲーム差を逆転されて2位となった。当時、流行語にもなった「メークドラマ」の前に辛酸をなめたのである。
三村氏は、現役時代には常に3割を打つ力を持ち合わせていない二流選手として、自らの限界を知ったという。そして、監督としては自身のような二流選手を育てて強いチームをつくることで、巨人のような3割30本を超える一流打者が何人も並ぶチームに挑み続けた。そんな三村氏の著書「超二流のススメ。」を読み解きつつ、彼の哲学を紹介していく。
プロの打者は、アマチュア時代には3割を打ってきた選手ばかりである。必然的に、プロに入ってもそれを目標にする。しかし、多くの選手はプロの投手の変化球に対応できない。新人はその変化球を打つために練習する。しかし、ようやく変化球を打てるようになったときには、今度はアマチュア時代に打てていたはずのストレートが差し込まれて打てなくなってしまう。結局、どちらも満足に対応できずに終わり、プロ野球人生を終えることになってしまうのだと、三村氏は論じる。
その落とし穴にはまらず、プロとして活躍し続けるにはどうすればいいのか。
「その時に自分をしっかりと知って、一流を目指すのではなく、『超二流』を目指そうという意識が持てるかどうか」と三村氏は考える。
超二流とは、まず自分の実力を知り3割バッターになることを諦める。そして2割5、6分をしっかりと打てる実践的なバッティング技術を身に付ける。こうした方針の切り替えができるかどうかにかかっていると、三村氏は説明する。
「全部のボールは打てないけれども、ある範囲のボールは確実にこなせる。そうなれば、ゲーム中にある程度、ボールを予測することでカバーできるようになる。例えばストレートを待っていて、その時に変化球が来れば確かに打てないけれども、予測することで今度は変化球がこなせるようになる」
まずは現状の自分をしっかり固めて、それに1つひとつ「工夫」を積み重ねていくのである。自分が一流と信じられなければ、プロの世界に足を踏み入れることは難しい。しかし、一旦足を踏み入れたならば、今度はこの世界で生き残るために考えを切り替えなければならない。
生き残るために自分を二流バッターだと認め、基本に忠実になり、今の自分が確実にできることを固める。その上に「工夫」を重ねて、「超二流」に向かってまい進するというのが、三村氏の考え方である。自分を一流だと思っている人間にとって、この「考えを切り替える」ことが最も困難を極める大仕事であり、それを支援するのが監督やコーチ、トレーナーの仕事である。
金本氏が超一流選手として開花した理由
三村氏は実力が伴わない段階から一軍でプレーするチャンスを与えられたと現役時代を振り返っている。一軍は試合数も多く、試合から試合への移動時間も増えるため練習量が減り、二軍で鍛えているライバルに追い越されるのではないかと不安になった。
ところが実際には自分の実力が、予想を超えて伸びていたことを知った。一流のプレーを見ることにより、自分の意識が高くなっていたからだ。そんな自身の経験から、基本的には選手はなるべく早く一軍に上げた方が伸びるというのが三村氏の持論である。
しかし、例外もある。それが金本知憲氏だ。彼を初めて見た三村氏は「自分がやろうとしたこと、やらなければいけないことは、たとえ寝る間を削ってでも、とことんやり続けられる素質」を感じたという。そして、金本なら「将来的に一流といわれる領域に到達することができる」と思い至ったと回想する。同時に「すぐに一軍に上げても少しくらいは戦力になるかもしれないが、そんなレベルの選手で終わるのはもったいない」とも考えたという。
一軍に上がれば、一流選手のプレーを目の当たりにすることができるため、意識が向上して超二流へと開眼する可能性はある。しかし、ベンチを温めている時間も多くなるため絶対的な練習時間は減少し、一流となる基礎を築くことが難しくなるというのだ。
一方で、二軍で鍛えるということは、そうした一流選手のプレーに触れる機会はなくなるが、基礎を築く絶対的練習時間を確保することができる。金本氏の素質を見抜き、大きく育てるためには後者の環境が必要と判断したのである。
企業における部下の育成・指導の勘所
野球は、超一流選手だけがプレーするためのものでもなければ、彼らだけで勝てるわけでもない。控え選手も含めて、全員で戦い、相手チームよりも1点でも多く点を入れたチームが勝つゲームである。
ペナントレースにおいて、最終的な勝敗の数に影響を及ぼすのは、レギュラーである超一流選手が打つか打たないかに加えて、チャンスに送り出したピンチヒッターが打ったり、リリーフがピンチを抑えたりといった采配、球場に詰めかけたファンの声援など多岐にわたる。
企業においても同様に、1人の超一流社員がいれば、その組織が安泰かといえばそうではない。メンバー全員にそれぞれの役割をしっかりと果たしてもらわなければ、事業を継続することはできない。
例えば、一流高校、一流大学を出て、一流企業に就職した人材の中には、自分こそ「一流」だと思うケースもあるだろう。しかし実務に就くと、真に「一流」といわれる社員はごくわずかで、ほとんどの社員は「二流」というのが現実だ。
そういう人材に出会ったら、三村流の育成方法を思い出していただきたい。社員が自らを「二流」であると認められる環境をつくり、基本をしっかりと身に付ける機会をセッティングすることで、その二流社員は自分ができることを確立する可能性を手に入れられる。その後、向上心を維持させられれば、工夫に工夫を重ね「超二流」に近づき、あるいは真の「一流」になるチャンスをつかむことができるのである。
マネージャークラスの人材が部下の社員にできることは、その素質を見抜き、実力を気付かせ、工夫を重ねるために必要な環境やアドバイスを与え続けることである。金本氏は、当時、一軍に上げてくれないどころか自分にだけ厳しくする三村氏のことを快く思えなかったという。しかし、後に万人が認める超一流の選手として活躍するに至った金本氏は、「最大の恩人は三村さん」と公言するようになった。
三村氏の指導論・育成論を読むと――社員を育てるためには、そのとき社員にどう思われるかではなく、全体を見渡す人材として、社員に何をすべきかを伝え、貫くことなのだといえる。