王貞治さんの野球人としてのキャリアを振り返る時、真っ先に飛び込んで来るのがシーズン公式戦通算本塁打数868本という数字だろう。
868本!なんともすさまじい記録である。単純に計算すると、シーズンに50本のホームランを量産するという離れ業を17年以上も続けて達成できる数字だ。
2022年には、東京ヤクルトスワローズの村上宗隆選手が、王さんが1964年に打ち立てた日本選手最多のシーズン55本という記録を破る56号本塁打を達成し、大きな注目を集めたことは記憶に新しい。
その快挙には惜しみない拍手を贈りたいが、それでも22年間にわたる現役生活で868本というホームランを放ってみせたという事実は色あせることはないだろう。本塁打記録に挑む中、王さんは1977年には当時の米国メジャーリーグの本塁打記録であったハンク・アーロン選手の755本という記録を抜き、世界のホームラン王となったのだから。
そのホームラン王への歩みを仮にドラマ化するのであれば、ドラマの冒頭は、時は1954年11月、舞台は東京の隅田公園今戸グラウンドがふさわしいのではないだろうか。
当時、中学2年生の王さんは、野球クラブの一員として試合をしている最中だった。そこにたまたま散歩の途中である男性が通りかかる。その男性は、王少年を見ていた。王少年は投手としては左投げだが、打つのは右。男性は見ていて違和感を覚え、思わず王少年に声をかけた。その時のことを男性は次のように語っている。
「どうして右で打ってるんだ?」と言うと「別に理由はない」と。「左利きなんだから、左で打ってごらん」と。男性は王少年にアドバイスした。王少年はそのアドバイスを聞き入れて左打席に入り、そして二塁打をかっ飛ばすのである。
(NHKBS 昭和の群像 王貞治物語参照)
それが運命的な出会いの序章。その男性こそが当時の毎日オリオンズの現役選手であり、後に王さんをコーチとして指導する荒川博さん、その人だったのだ。
荒川コーチのもと一本足打法を開眼…
荒川さんとの出会いが縁となり、王さんは荒川さんの母校である早稲田実業学校高等部に進学し、野球部での活躍を経て、卒業後の1959年に読売ジャイアンツに入団した。鳴り物入りでジャイアンツに入団した王さんだったが、入団してからの3年間は期待されたほどの結果を残せなかった。
そこに再び登場するのが荒川さんだ。折しも監督が水原茂さんからジャイアンツの主砲として長く活躍し、「打撃の神様」とも称された川上哲治さんに代わった。その川上新監督が王さんをチームの主軸に育てるためにコーチとして荒川さんを招いたのだ。当時のジャイアンツとしては、他球団のOBをコーチとして招聘(しょうへい)することは考えられなかったという。だからジャイアンツの一員となった王選手と荒川コーチの再会は、やはり運命の糸が引き寄せたものだったと思わずにはいられない。
王さんに付きっ切りで指導した荒川コーチは、すぐに上半身と下半身のアンバランスな動きに問題があるという打撃フォームの欠点に気づき、それをカバーするために片足を上げてタイミングをとる一本足打法へのフォーム改造を提案したのだ。半年以上の猛練習の末、入団4年目のシーズン途中で一本足打法を解禁し、その試合から一気に打撃開眼。さらに一本足打法の精度を高めるために真剣を用いて天井からつった紙の短冊を切るという武道のような猛特訓を経て「世界のホームラン王」が完成されていった。
現役時代を振り返った王さんはこんな言葉を残している。
「少なくとも僕はホームランを打とう、打とうという意識で打席に立ったことはなかったですね。意識していたのはボールの芯とバットの芯を結ぶこと。そうすると、ボールはきちんと飛ぶようにできている。ちゃんと打てばボールは“行っちゃう”んです」
(プロ野球 名人たちの証言「王貞治かく語りき」二宮清純著)
そのような境地に至るほど一本足打法のすさまじい練習に、王さんは荒川コーチのもとで取り組んだのだろう。
素直に指導を受ける姿勢も大切
人材の成長が誰に、どのように指導されるかで左右されるのはビジネス界も同じだ。ただ、それは良い上司や先輩に恵まれたか否かという運、不運だけではないだろう。指導を受ける側の心構えも大切ではないだろうか。
荒川コーチは、初めて出会った時の中学2年の王さんの印象をこう語っている。
「王の素直さというのかな?左で打ってごらんと言ったら『はい』と言ってね。試合中だから普通は嫌だと言うんですよ」
(NHKBS 昭和の群像 王貞治物語参照)
荒川コーチはその素直さに好感を持ち、コーチとして再会してからも、あの素直な選手なら私についてくるだろうと考え、指導に熱が入った面もあるのではないだろうか。
指導を受ける人材が素直に教えを吸収しようという姿勢を示せば、指導者の意欲も増し、指導効果の高まりも期待できそうだ。
そういえば、最近ではあまり「ホームラン王」という言葉を聞かなくなったような気がする。ヤクルトスワローズの村上選手には、ぜひ令和のホームラン王になっていただきたいものだ。あの頃の王選手のように。