ビジネスを加速させるワークスタイル(第15回)
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公開日:2020.04.28
日本には多くの音楽教室がありますが、その中でも長い歴史を持つのが「ヤマハ音楽教室」です。1954年に始まり、これまでに送り出してきた卒業生は550万人以上を誇ります。まさに音楽教室のロングセラーです。
ヤマハ音楽教室の生みの親は、日本楽器製造(現・ヤマハ)第4代社長の川上源一です。日本楽器製造は1887年に創業した老舗の楽器メーカーで、オルガン、ピアノなどを製造していました。源一は第3代社長であった父・嘉市の後を受け、1950年から会社の陣頭指揮を執り始めました。
音楽教室のアイデアが生まれたのは、1953年、源一が欧米に視察旅行に出掛けたときのことでした。ヨーロッパや米国の街では、人々がさまざまな場所で楽器を演奏し、音楽を楽しんでいます。住宅街ではどこからともなく音楽が聞こえ、知人の家に招かれると家族は楽器演奏で迎えてくれました。こうした人々と音楽の関係に、源一は衝撃を受けます。
当時の日本では、西洋音楽は演奏会に行って著名な音楽家の演奏を聴くものという考え方が主流で、自分で楽器を演奏するという文化はほとんど育っていませんでした。「楽器を買ってもらっても、楽しみ方を知らないままでは申し訳ない」。こう考えた源一は、日本での音楽教室の開設を構想します。
そして翌1954年、銀座の日本楽器製造東京支店の地下で「実験教室」を開講。生徒数150人という小さな教室でしたが、徐々に生徒は増えていき、1959年には「ヤマハ音楽教室」へと名称を改めました。
それまで、日本の音楽教育は“音楽の専門家”を育成するのを目的に、音楽学校などで厳しく指導するのが一般的でした。それに対して、源一が考えたのは、純粋に“音楽を楽しむ人”を育てる教育です。
この教育方針の柱となっているのが「総合音楽教育」「適期教育」「グループレッスン」の3つです。ヤマハ音楽教室では、楽器演奏だけではなく「聴く」「歌う」「読む」「作る」といった力も育み、音楽を総合的に捉えられるようにします。
また、子どもは年齢によって体の状態も精神の発達レベルも異なります。身体的・精神的な発達に応じて、その時期に最もふさわしい教育が考えられています。グループレッスンは、音楽の喜びを他の生徒と分かち合い、豊かな音楽体験ができるようにとの意図があります。
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執筆=山本 貴也
出版社勤務を経て、フリーランスの編集者・ライターとして活動。投資、ビジネス分野を中心に書籍・雑誌・WEBの編集・執筆を手掛け、「日経マネー」「ロイター.co.jp」などのコンテンツ制作に携わる。書籍はビジネス関連を中心に50冊以上を編集、執筆。
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