配達や営業などで使う業務用バイクの定番。ショッピングや通勤など日常使いでもファンが多く、「バイクはカブに始まり、カブに終わる」という言葉もあるほど愛されているのが本田技研工業(以下、ホンダ)のバイク、スーパーカブです。
スーパーカブは1958年に発売が開始され、2017年10月には生産累計台数が1億台を突破したというバイクのロングセラーです。先進国から発展途上国まで、160を超える国々で販売され、世界の暮らしを支えています。
スーパーカブという名前の通り、ホンダはスーパーカブの前にカブという製品を発売していました。1952年に発売を開始したカブは自転車に取り付ける補助エンジンキットで、好調な滑り出しを見せたものの、次第に時代の趨勢に合わなくなり人気が落ちていきました。
その頃人気を博すようになっていたのは、フロアに足を乗せて運転するスクータータイプのバイクです。各社がスクーターを発表する中、ホンダも1954年にジュノオを発表してスクーター市場に参入します。
ジュノオは全天候型の大型スクーターで、前面にはアクリル樹脂製の大きな風よけが装備されていました。この風よけの上部を倒すと、雨よけになるという仕組みです。また、オプションとして上部にルーフが取り付けられるようになっているなど、画期的なスクーターでした。
しかし、このジュノオは成功を収めることはありませんでした。大きな理由は、運動性の悪さです。大型スクーターのジュノオは車重が170kgありましたが、その割にパワーが小さく、運動性に欠けていました。また18万5000円という価格はライバルだった三菱のシルバーピジョンやスバルのラビットといったスクーターより2~3万円高かったこともあり、ジュノオの販売は伸びず、翌1955年には生産を終了してしまいました。
ホンダは、スポーツバイクのジャンルでは1949年から製造を続けているドリームが好評を博していました。しかし、ホンダには、原点である大衆的な小型車こそ創るべきではないかという意識があったといいます。ジュノオが生産を終了してからも、ホンダの創業者である本田宗一郎は必ず再び勝負を懸けたいと考えていました。
クラッチ、エンジンなど再挑戦で掲げた高い目標…
そんな折、宗一郎はヨーロッパを視察します。当地でよく見かけるのは、自転車に小型エンジンを取り付けるモペッドタイプのもの。しかし同タイプのカブが受け入れられなくなったように、小型エンジンで出力が大きくないモペッドは道路事情の良いヨーロッパには適しているものの、道路の舗装率がまだ低かった日本には適していません。
低パワーのモペッドでもなく、車体の大きなスクーターでもなく、本当に今日本で求められているバイクとは何か――。そこで考えられたのが、小型で、未舗装の道でも快適に走れる出力があり、女性でも容易に扱えるほど操作性が良く、飽きのこないデザイン性の高いバイク、といったコンセプトでした。
例えば、操作性を高めるために自動遠心クラッチのシステムの採用を決断します。それまでのバイクではクラッチの操作を左手のレバーで行うようになっており、煩雑さがありました。しかしスーパーカブで考えられた自動遠心クラッチは、左足の角度を変えるだけでギアの上げ下げとクラッチのオンオフが同時にできるようになっており、クラッチ操作の煩雑さを取り除いた画期的なものでした。
宗一郎はエンジンの出力にもこだわりました。カブの初期モデルは同じ排気量50CCでも1馬力でしたが、4馬力を目標にしたのです。その無謀ともいえる目標を開発者たちは必死にクリア、なんと4.5馬力を実現してしまいました。
こうした技術的な挑戦だけではなく、サイズやデザインでも従来にない挑戦をしました。タイヤの外径はヨーロッパのモペッドが24インチから26インチだったところ、日本人の体格を考えて21インチにして小型化を図りました。そして、女性がスカートをはいていても乗り降りがスムーズにできるようデザインにも工夫を施したのです。
こうした大胆な挑戦の結果誕生したスーパーカブは、1958年8月に5万5000円で発売されました。すぐに大ヒット商品になり、1958年中に2万4千台を売り上げ、1959年には16万7千台の販売を記録しました。日本の年間オートバイ総販売台数が30万台ほどの時代で、オートバイの新車の2台に1台がスーパーカブということになります。
利便性の高いスーパーカブは、一般ユーザーのデーリーユースから中華料理店・そば店の出前、商店の配送、銀行などの営業、郵便・新聞配達、警察官のパトロールなど幅広い用途で使われ、瞬く間に日本人の足となり、そして世界市場へと羽ばたいていったのです。
1954年に発売を開始したジュノオは、翌年に生産を終了する事態となりました。ここでスポーツタイプのバイクに特化するという選択もあり得たでしょう。しかし、そこから大胆な挑戦をしたのが本田宗一郎率いるホンダという会社でした。ジュノオが受け入れられなかったことに打ちのめされることなく、日本人が本当に求めているバイクは何かを考え続け、大胆な目標を掲げ、スーパーカブを生み出しました。
製品はもちろん「売れる」という見込みの下に開発するわけですが、すべての製品が成功するわけではありません。しかし、失敗に打ちのめされることなく、より大胆な目標を掲げて、再挑戦をする。そんなスピリットがヒット商品、ロングセラー商品を生み出すために必要なことをスーパーカブの誕生ストーリーは教えてくれているのかもしれません。