ビジネスを加速させるワークスタイル(第15回)
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公開日:2020.10.27
東京都練馬区の遊園地「としまえん」が8月31日に閉園しました。営業最終日には多くの利用客が訪れ、名物の回転木馬「カルーセルエルドラド」などの前で写真を撮って名残を惜しむ様子がさまざまなメディアで報道されました。
「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」や「東京ディズニーリゾート」といった大型テーマパークが多くの利用客を集める一方、近年、遊園地の閉園も相次いでいます。2002年には神奈川県川崎市の「向ヶ丘遊園」、2003年には兵庫県宝塚市の「宝塚ファミリーランド」、2009年には東京都日野市の「多摩テック」が営業を終了しています。
そんな中、開園から160年以上を数える小型の遊園地が今も人々を楽しませています。東京都台東区浅草にある「浅草花やしき」(以降、花やしき)です。
開園から160年以上を数える遊園地と書きましたが、花やしきは最初、植物園としてスタートしました。造園師の森田六三郎が「植物園を開園し、自分が育てた植物を多くの人々に見てほしい」との浅草寺に嘆願書を提出、2400坪の土地を浅草寺から拝領して開園した「浅草花屋敷」の始まりです。花やしきの名前は、まさに花屋敷だったことに由来しています。
浅草花屋敷はボタンと菊細工を主に展示する花園(かえん)でしたが、1872年頃から遊戯施設が置かれるようになります。ほかにも珍鳥・猛獣の展示、西洋あやつり大写真やヤマガラの芸などで評判となり、大正天皇もお忍びで来園されるほど人気を博しました。
昭和初期の案内図を見ると、トラやシロクマなどの動物小屋ほか、活動写真館、演芸館、ブランコ、後の遊園地でよく見られるようになったコーヒーカップのような遊戯施設などが敷地内にあり、すでに先進の総合エンターテインメント施設だったことがうかがえます。
1940年代に入るとおとぎの馬車、豆汽車、回転木馬などが設置され、遊園地としての性格を強くしていきます。しかし、浅草の人気スポットも戦禍の影響から逃れることはできませんでした。規模の縮小を余儀なくされ、1944年には空襲に備える建物疎開令によって木造建築物をすべて取り壊すこととなり、営業中止に追い込まれてしまいました。営業が再開されたのは、終戦から2年がたった1947年。遊園地「浅草花屋敷」として再出発し、1949年には名称が現在の「浅草花やしき」となります。
花やしきは現存する日本最古のローラーコースターがあることでも有名ですが、このローラーコースターが設置されたのが1953年。1960年には観覧車が45メートルの高さまで上昇する人工衛星塔(後のBeeタワー)が建てられるなど、戦後の復興とともに設備が充実していきます。
日本が高度成長期を迎える中、娯楽を求める人々のニーズとも相まって、花やしきは再び浅草の人気スポットとなりました。1985年には、風営法の規制により、開園以来続けてきた入園無料でアトラクションごとに利用券を購入する営業形態は変更しましたが、浅草のランドマークとしての存在感は変わりませんでした。
2004年にはそれまで経営を行っていた業務用遊戯機器メーカーのトーゴ(旧・東洋娯楽機)が会社更生手続きを申し立てたことにより、地元浅草に本社を置く玩具メーカーバンダイグループが支援に乗り出し、同グループのバンプレストの子会社、株式会社花やしきが事業を承継しました。2008年には多目的ホール「花やしき座」がオープン、2016年にはイルミネーション営業の「ルミヤシキ」がスタートするなど、新たなエンターテインメントを提供しながら人々に愛され続けています。
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執筆=山本 貴也
出版社勤務を経て、フリーランスの編集者・ライターとして活動。投資、ビジネス分野を中心に書籍・雑誌・WEBの編集・執筆を手掛け、「日経マネー」「ロイター.co.jp」などのコンテンツ制作に携わる。書籍はビジネス関連を中心に50冊以上を編集、執筆。
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