スポーツで汗をかいたときや外出時の水分補給の定番として、大塚製薬の「ポカリスエット」を愛飲している人も少なくないでしょう。ポカリスエットは1980年の発売開始以来、40年以上にわたり飲まれ続けているイオン飲料です。
ポカリスエットを生んだ大塚グループは、創業者の大塚武三郎が1921年に徳島県・鳴門に大塚製薬工業部を設立したことに始まります。社員数10人、塩田の残渣(にがり)から炭酸マグネシウムを造る化学原料メーカーとしてスタートしました。
それまで自社で造っていた化学原料が医薬品に利用できる品質だったこともあり、1946年から輸液(点滴液)事業を開始、この事業は成功を収めます。1964年には四国以外の販売部門が分社化して大塚製薬株式会社を設立。翌年に炭酸栄養ドリンクのオロナミンCを発売し、同商品は日本の栄養ドリンクの代表的存在となりました。
オロナミンCは大ヒットしましたが、社内ではオロナミンCに続く新しい飲料の開発が求められていました。そんな中、1973年に清涼飲料の原料となる熱帯果実を視察するため、技術部長がメキシコを訪れたことからポカリスエットのストーリーは始まります。
視察を行っていた技術部長は、現地の水事情の悪さからおなかを壊してして入院してしまいます。診察した現地の医師は「体内の水分と栄養分が失われているから、水分を飲んで、栄養も取るように」と炭酸飲料を手渡します。
さらに技術部長が見たのが、手術を終えた医師が栄養補給のために点滴液を飲用している姿でした。手術後の医師が点滴液を飲むように、水分と栄養を一緒に補給できる飲み物があればいいのではないか−−。
技術部長は帰国すると、「飲む点滴液」の商品化を提案しました。
輸液を飲料にするという技術部長のアイデアは、驚きをもって迎えられます。しかし、商品化のタイミングではないというのが最終的な判断でした。今は、世の中がそれを求めていないということです。
求められるタイミングがやってきた…
それから4年後の1977年。世の中は健康志向になり、ジョギングブームが到来しました。また、趣味でスポーツをする人が増え、汗をかくシーンも日常の中で増えてきました。
汗をかくと、体内の水分やナトリウムなどのイオン(電解質)が失われます。汗をかく機会が増えた今、汗で失われた水分やイオンを手軽に補給できる飲料が人々に必要ではないか−−。時機を得て、技術部長の「飲む点滴液」というアイデアは「汗の飲料」としての開発が始まりました。
汗にはナトリウム、カリウム、マグネシウムなどのイオンが含まれています。しかし、こうしたイオンを原料として飲料を造ると苦味が強くなり、商品には適しません。試行錯誤が続き、試作品は1000種を超えました。
最終的に絞り込まれたのは、糖質濃度の薄いタイプと濃いタイプ。研究室では、薄いタイプは物足りず、濃いタイプのほうがおいしいという意見が多数を占めていました。
しかし、「汗の飲料」は涼しい研究室ではなく、汗をかいたときに飲まれるものです。ある日、研究員たちは山に登り、汗をかいた後に山頂で2つのタイプを飲んでみました。すると、薄いほうがおいしいと感じます。なぜなら、糖質量が少ないほうがさっぱりするので、汗をかいたときにはおいしく感じるのです。
こうして糖質濃度の薄いタイプをベースに開発を進め、「汗の飲料」が完成しました。名前は、汗を意味する英語の「スエット」に、さわやかな青空を思わせる響きと語呂の良さから「ポカリ」をプラスして「ポカリスエット」に決定。1980年4月に発売が開始されました。
ところが、イベント会場などで試飲してもらっても「味が薄い」と不満の声が多く聞かれます。そこで営業マンたちは、草野球のグランドやサウナの脱衣所など、汗をかく場所で次々にサンプリングを実施、配布本数は初年度だけで3000万本に達します。汗をかいた後なら味は薄くなく、おいしく感じられます。サンプリングでおいしさ、水分とイオンを補給できる効果を知った人たちが継続的に飲むようになり、ポカリスエットはロングセラーになりました。
ポカリスエットは現在、世界の20以上の国・地域で販売されるグローバルブランドになりました。そして大塚製薬は2020年1月に、アイデアが生まれたメキシコの地に新会社を設立し、ポカリスエットの本格的な販売に乗り出しています。
技術部長が「飲む点滴液」のアイデアを出したとき、すぐに商品化に動き出していたら今のポカリスエットは生まれなかったかもしれません。実は、この技術部長は大ヒット商品となったオロナミンCの生みの親で、社内では「味の天才」と呼ばれていた人物でした。そうした人物のアイデアでも、すぐに商品化に乗り出さなかった。ここに、ポカリスエットがロングセラーになった秘密があるように思われます。
私たちは、目を引くアイデア、ユニークなアイデアが生まれるとすぐに実現しようとスピードを求めがちです。しかし、本当に今がそのアイデアを実現すべきタイミングなのか。ふと立ち止まって考えてみることの重要性を、ポカリスエットの例は教えてくれているのではないでしょうか。