ビジネスを加速させるワークスタイル(第15回)
似ているようで違う、法人向け光回線の選び方
公開日:2021.12.27
仕事から家に帰った後の大きな楽しみといえば、やっぱりご飯。食の西洋化が進んでいるとはいえ、夕食に温かいお米を食べて明日への英気を養っているビジネスパーソンは多いことでしょう。電気でご飯を温める電子ジャーは、1970年に世界で初めて象印マホービンが発売。日本の食卓を変え、同社の方向性も大きく変えたロングセラーです。
象印マホービンの創業は、1918年。市川銀三郎と金三郎の兄弟が大阪で立ち上げた市川兄弟商会が、その歴史の始まりです。兄の銀三郎はそれまで繊維問屋で働いており、弟の金三郎は電球に使う白熱電球を加工する職人でした。金三郎がヨーロッパから輸入されていた魔法瓶に興味を持ち、商人である兄と魔法瓶の製造・販売に乗り出したのが市川兄弟商会です。
当時の魔法瓶は高価なもので、日本での需要は多くありませんでした。しかし、市川兄弟が魔法瓶に目を付けたのは第一次大戦が終わったばかりの時期でヨーロッパでの生産が滞っており、東南アジアの植民地に住む欧米人の需要は大きいものがありました。そこで、市川兄弟の魔法瓶も東南アジア向けの輸出で売り上げを伸ばしていきます。
時がたち第二次大戦が終わると、魔法瓶はそれまでの携帯用から卓上用に主な用途が移っていきます。1948年には、頭部の形がペリカンのくちばしに似ていることから「ポットペリカン」と呼ばれるようになった卓上用ポットを発売。1961年に象印マホービンと組織を改称しました。1963年にはポットを傾けるだけでお湯が注げる、オート栓の「ハイポットZ型」を発売し、これが大ヒット商品に。会社は魔法瓶のトップメーカーに成長します。
そして1968年に創業50周年を迎えた象印マホービンは、さらなる飛躍のため、新たな商品の開発を経営目標のひとつに掲げます。そこで目を付けたのが、ジャーでした。
今でこそご飯を炊いた炊飯器で保温するのが当たり前になっていますが、当時は鍋や炊飯器でご飯を炊くと、保温用のガラス魔法瓶であるジャーに移し替えて保存していました。象印マホービンもそれまでの魔法瓶製造で培った技術を生かし、1953年にジャーを発売。ヒット商品となりますが、次第に人気に陰りが見えてきていました。保温力が低く長時間の保温ができないこと、またガラス製品で割れやすいことが大きな理由でした。
そこで新商品の開発スタッフが考えたのが、ジャーの電化でした。1950年代後半には白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機が「三種の神器」ともてはやされ、1960年代半ばにはカラーテレビ、クーラーが登場し、家庭に電化の波が押し寄せていました。ジャーも電化すれば、長時間の保温が可能になることが見込まれました。
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執筆=山本 貴也
出版社勤務を経て、フリーランスの編集者・ライターとして活動。投資、ビジネス分野を中心に書籍・雑誌・WEBの編集・執筆を手掛け、「日経マネー」「ロイター.co.jp」などのコンテンツ制作に携わる。書籍はビジネス関連を中心に50冊以上を編集、執筆。
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