少子高齢化が進み、中小企業の事業承継が課題になっている。後継者が見つからず倒産してしまう事態に危機感を覚えた政府は、支援を強化している。ただ、事業承継の主役は経営者自身だ。自らが考え、動かないと何も解決しない。後継者はどのような基準で選ぶべきか。いつ、どのタイミングで承継するのがベストなのか。承継を決意した経営者に話を聞く連載をスタートする。
第1回は鳥取県倉吉市で「地域密着サービス業」をメインに事業を展開する流通。現会長の江原實(みのる)氏が1977年に創業した。後継者は、息子である剛(たけし)氏。親子の承継物語に迫る。
借金を抱え、40歳で起業
江原 實 (えばら みのる)
1937年、鳥取県倉吉市生まれ。中央大学卒業後、日本通運勤務などを経て1977年、山陰流通センター株式会社(現:流通)創業。2007年、代表取締役会長に就任。12年、取締役会長(非常勤)となり現職
江原實氏は問屋を経営する両親の下、鳥取県倉吉市で生まれ育った。家業の後継者には兄がいたため、實氏は東京の大学に進学し、大手運送会社に入社した。しかし、5年務めた頃、会社員は転勤が多く大変だからと家族に呼び戻された。
10年ほど家業を手伝った頃、實氏にピンチが襲う。高校時代の友人が温泉旅館を立ち上げる際に、借入金の保証人を頼まれ、サインをしたのだ。結果、その旅館は倒産。多額の債務が實氏に降りかかった。家業の問屋で働きながら返済できる額ではない。そこで決意したのが、40歳での起業だった。
何の事業をすればいいのか。これまでの経験を生かすには、運送業しかなかった。このとき、實氏にはある戦略があった。それは「大手にはできないことだけをする」。これが、負債を抱えてマイナスからスタートする實氏が見いだした一筋の光だったのだ。
「小さなトラックでの短距離輸送は、手間がかかるため大手企業はやりたがらない」。こう狙いを定めた實氏は、1時間以内で運べる地元製造業の貸し切り輸送、コンビニチェーンのルート配送、地域の個人宅の引っ越しなどを積極的に請け負った。
事業が軌道に乗ってからも、トラックの大型化や、長距離輸送などで業績を伸ばすのではなく、あくまでも地域密着型のサービスにこだわった。その視点で實氏が選んだ戦略は、事業の多角化だ。地元企業や自治体の祭りやセミナーの会場設営から運営サポートを担うイベント事業、地元結婚式場や学校のバス送迎事業を立ち上げた。
息子の申し出を却下「お前には無理だ」
實氏は長女と長男の2人の子どもに恵まれた。後継者については、「どちらかと言えば、姉である娘のほうが勝ち気な性格。将来は娘の夫に会社を継いでもらい、夫婦で会社経営するのもいいかもしれない」とぼんやり考えていたという。
しかし、そんな父親の思いとは裏腹に、後継者に名乗り出たのは息子の剛氏のほうだった。東京の大学に進学し就職活動をしていた剛氏は正月に帰省したとき、真剣な表情で「会社を継がせてほしい」と訴えた。
息子からの思いがけない申し出に、「内心うれしかった」と話す實氏だが、口から出た言葉は、父親ではなく経営者としての厳しい一言だった。
「経営は甘いものではない。お前にはできない」。こう言って、その年は剛氏の申し出を断った。
翌年の正月、剛氏はもう一度實氏に訴えた。「やっぱり、後を継がせてほしい」
そんな息子の言葉にも、實氏は首を縦に振らなかった。「俺はものすごく苦労して50人の会社のトップになったけれど、今だったら5000人や5万人の組織のトップをめざすこともできる。おやじの作った会社を継ごうなんて考えなくていい」と再度断った。息子の覚悟を見極めたかったのだ。それでも食い下がる剛氏に、東京で運送会社の修業先を見つけ、3年間働かせることにした。
承継後5年間だけ代表権を持つ…
東京での修業を終え、鳥取に帰ってきてからも、剛氏をすぐに流通に入社させるのではなく、地元の放送局で1年間働かせた。立ち上げたばかりのイベント事業の成長を見据えてのことだった。
1999年、ようやく剛氏は流通に入社する。営業課長としてイベント事業に携わった後、松江支店の支店長を任せた。
「基本事業である引っ越しの業績が出せる店舗を任せた。私は40歳と遅い創業で、このときすでに60歳を過ぎていた。体調を考えてもこの先社長として第一線にいられる時間はそんなに多くはない。最短で成長できるポストを考えた」(實氏)
2年半支店長として働いた後、剛氏を副社長として本社に迎える。このときはまだ剛氏への評価は厳しい。例えば、「朝早く来いと言っても遅れてくることがあった」と言う。そんなときは、父である實氏が直接注意するのではなく、当時の専務に「厳しく怒ってくれ」と頼んだ。家庭でも一緒にいる父が息子を怒ると公私の区別がつきづらい。叱り役は専務に任せた。
剛氏が徐々に責任感を増してきたと感じた實氏は、事業承継のタイミングを定めた。それは、会社が創業30周年を迎える2007年9月。6月決算を承認する決議と合わせて新体制を発表。實氏が70歳になるタイミングでもあった。
實氏はあらかじめ承継までの期間を年表にして、剛氏に見せた。社長として独り立ちするまでの期間を可視化するとともに、「承継後の5年間は自分も会長として代表権を持ち、サポートする。しかし、5年後は一切経営には関わらない」と伝えた。
2人が代表権を持っていた期間に、親子で意見が食い違うことはなかったのだろうか。
「基本的にはサポートに回り、社長の意見を尊重した」という實氏。大きなケンカはなかったという。それは、家業を継いだ父と兄のケンカを見て「こんな親子にはならない」と反面教師にしていたことが大きいという。
事業運営は社長の仕事、商工会議所の会合や、ゴルフコンペへの参加などの社外活動は会長の仕事と役割分担をした。
経営者として夢を語る新社長に、「〇〇の場合はどうする」と、冷静にマイナス面を指摘するのが会長の役目だった。どこまでの範囲を想定できているのかを試し、足りない部分を指摘した。
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現社長の剛氏(左)と会長の實氏
剛氏は幼稚園の卒園文集にすでに「将来は社長になる」と書いていたという。「社長になりたいという申し出を2回も却下されるとは思っていなかった」という剛氏だが、「今なら経営者である父の気持ちが理解できる」と話す[/caption]
趣味のゴルフと狩猟を楽しむ日々
75歳で経営の一線から退いた實氏は、現在81歳。月に2回ほど定例の役員会議や会社の行事のときだけ顔を出す。運動会では20代の若手社員と一緒にリレーも走る。退いてすぐは寂しさもあり「こりゃ、失敗したな…」と会社に行きたくなったと言うが、「会社に社長が2人いる状態になるのが最も悪いパターン。しっかり退くべき」とぐっとこらえた。
現在は趣味に没頭する毎日だ。週に1回はゴルフに行き、50年以上続けているハンティング(狩猟)も楽しむ。50年間、無事故無違反で免許を持ち続けたことで表彰を受けた。
自身の事業承継を振り返り、「悔いはない。自分なりにはうまく承継できたのではないか」と實氏は話す。そして、そのポイントとして次の3つを挙げてくれた。
1)他の会社で修業させたこと
2)あらかじめ年表を見せたことで、社長に少しずつ覚悟が芽生えたこと
3)細かく指示をせず、できるだけ考えさせてきたこと
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流通の主軸は運送業、イベント事業、バス送迎事業。現在、100人のスタッフが働き、2018年度の売り上げは7億円[/caption]
父の後を継いだ剛氏は、19年2月には鳥取・島根専用の中途採用向けサイトを立ち上げ、人材事業にも進出した。自社の事業を「地域密着サービス業」と明確に定め、地域になくてはならない会社をめざし奮闘する。そんな剛氏に対し、「人が育たない会社は必ず転ぶ。片腕となるようなスタッフをしっかり育ててほしい」と實氏はエールを送る。
流通のケースは、承継に前向きな2代目が存在した点は非常に恵まれていたと見ることもできる。しかし、承継が成功した要因は、なんといっても、長男が継ぎたくなる会社を作り維持し、後継者の能力に関しても妥協しなかった實氏の経営者としての手腕・姿勢によるものだろう。