愛工舎製作所(業務用ミキサーの開発・製造)
少子高齢化が進む中、中小企業の事業承継が課題になっている。後継者が見つからず倒産してしまう会社もあることなどに危機感を覚えた政府は支援を強化している。ただ、事業承継の主役は、経営者であり、自らが考え、動かないと何も解決しない。いつ、どのタイミングで承継するのがベストなのか。本連載は、承継を決意した経営者に話を聞いた。
牛窪 啓詞(うしくぼ けいじ)
1945年、埼玉県蕨市生まれ。浦和高校卒業後、早稲田大学政治経済学部に進学。病気がちな父・平作氏の跡を継ぐため、卒業後すぐに愛工舎製作所に入社。1974年、29歳のときに社長に就任。自社製品の開発・改良に努めるのと同時に、積極的に海外展開も進めた。2016年、長男の洋光氏に事業を承継し、同社会長に就任
第3回は埼玉県戸田市の愛工舎製作所。パンやピザを焼くオーブンやミキサー、発酵機などを開発・製造する。製パン・製菓機器というニッチ市場で確固たる地位を築き、国内外の有名チェーンで導入されているだけでなく、世界が注目する気鋭のシェフからも指名買いされているという。牛窪啓詞会長は、2016年に現社長の洋光氏に事業を承継したが、自身もまた、2代目として父の平作氏から会社を受け継いだ経験を持つ。牛窪会長に話を聞いた。
愛工舎製作所の創業者である父・牛窪平作氏の長男として、牛窪啓詞会長は生まれた。待望の男の子だった。姉2人と妹1人の4人きょうだい。幼い頃から後継ぎとして育てられたという。
平作氏の事業のスタートは、米や味噌を売る小さな個人商店だった。その後、1938年に牛窪鉄工所を設立。かき氷を作る氷削機で基盤を固めた。戦後、急速に洋食文化が広がったことに注目した平作氏は、パンやケーキを作るためのミキサーの開発に着手し、愛工舎製作所と改名した。
平作氏は体が弱かったこともあり、牛窪会長は大学卒業とともに、すぐに愛工舎製作所に入社した。最初の1年間は、工場で真っ黒になって働いた。現場での「不便」「不具合」「不満」を見つけては、いくつもの改善策を提案したという。
社員は年上ばかり。指揮するためには役職が必要だと訴え、2年目に専務に就任。病気で休みがちな父親に代わり、経営を担うようになる。「任されたというより、やるしかない状態だった」と牛窪会長は当時を振り返る。
イノベーションと挑戦で成長…
1974年、牛窪会長がハワイへの新婚旅行中に平作氏が倒れ入院する。帰国後は、すでに話せない状態だったという。そこで牛窪会長が29歳で社長に就任した。
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写真牛窪啓詞会長と愛工舎製作所が製造した製パン用のミキサー[/caption]
ここから牛窪会長の経営者としての躍進が始まる。めざしたのは、社員がやる気を持って働ける会社づくりだった。そのため、社員とのコミュニケーションを密に取り、チームワークを大事にしてきた。
全国主要都市に営業所を開設し、販路を拡大。有力ディーラーを集めた「愛工会」、有力仕入れ先を集めた「愛工協力会」を発足し、関係各所と強固な関係性づくりにも尽力した。「父が病弱だったため、他の会社で修業することができなかった。多くの会社と密に関係を持ち、学ばせてもらった」と牛窪会長は話す。
社長就任は、くしくもオイルショックの年。必要な部品が手に入らず、すぐに韓国に調達に行った。「地方の中小企業であっても、グローバリズムの波にはあらがえない」と、牛窪会長は早い段階からグローバル展開にも積極的に取り組んできた。牛窪会長が経営者として大事にしてきたのは、「挑戦」と「イノベーション」だった。
「これまで自分が頑張ってこられたのは、すべて社員の協力のおかげ。人間は自分一人では何もできない。リーダーシップとは、いかに多くの人の協力を得られるかだ」と牛窪会長は語る。
「生涯現役」をめざし、チャレンジを続ける
2016年、70歳になったことを機に、牛窪会長は会長に退き、息子の洋光氏が社長に就任した。「自分がいつどのように退くべきか、時間をかけて考えてきた。事業承継はお客さまや金融機関、取引先など、多くの関係者の協力がなければできないこと」と牛窪会長は話す。
現社長の洋光氏に対し牛窪会長は、「人を幸せにする強い会社をつくってほしい。商売以外にも学びはたくさんある。人から学ぶこと、本や友人、日々の経験、そのすべてから学ぶ姿勢を大事にし、自分を磨いていってほしい」とエールを送る。
社長に就任した当時は「若いな」と皮肉を言われたという牛窪会長も、6月には74歳の誕生日を迎える。「これまで100%仕事だった」と自身が認める通り、家庭を顧みない人生を送ってきた。経営者に休みはない。寝ているときも、見るのは仕事の夢ばかり。
そんな牛窪会長を、妻の美恵子さんが支えてきた。現在も蕨商工会議所の会頭を務め、経済同友会など数え切れないほどの組織でさまざまな役割を果たしている牛窪会長だが、忙しい毎日の中でも、国内と海外に年1回ずつ妻と旅行に行くと決めた。
さらに、新時代、令和を迎えようとしている現在、シニアスタッフを集め、新たな機器開発に挑戦するための新会社の設立を計画している。愛工舎の経営からは一歩引くが、新たな分野で挑戦を続ける。牛窪会長にとって事業承継はゴールではない。根っから仕事大好き人間の目標は、「生涯現役」だ。