ぎょうざの満洲(中華料理店の経営および食品製造販売)
金子梅吉(かねこ・うめきち)会長
1936年、群馬県生まれ。64年、埼玉県所沢市に中華料理店「満洲里」を開業。72年、西武新宿線新所沢駅前への出店を機に屋号を「満洲飯店」に改め、さらに77年に「ぎょうざの満洲」に変更。98年に長女の池野谷ひろみ氏に経営をバトンタッチし会長となる
事業承継を果たした経営者を紹介する連載の第4回は、埼玉県を拠点に全国約100店舗を展開するぎょうざの満洲(埼玉県川越市)の創業者・金子梅吉会長。同氏は1998年、62歳の時に現社長の池野谷ひろみ氏に事業を承継した。現在は会長として娘の経営を支える。親子円満な事業承継の秘訣に迫った。
ぎょうざの満洲の創業は1964年。金子梅吉会長が28歳の時に創業した。埼玉県所沢市の住宅街の一角に開いた第一号店「満州里」が原点だ。1977年に屋号をぎょうざの満洲に改名し、現在では埼玉・東京を中心に、全国92店舗を展開する。
ぎょうざの満洲の人気を支えるのは、金子会長が創業時から大事にしてきた「3割うまい」のポリシーだろう。
これは「売り上げの3割は必ず原材料費に充てる」という意味だ。売り上げに対して、3割が原材料費、3割が人件費、3割が光熱費などのその他経費、残りの1割を利益目標とする。多店舗展開していくと、スケールメリットにより原材料費は下がるが、その場合は野菜や肉の品質を上げ、必ず原材料費3割をキープするという。
「“3割うまい”のポリシーなくして現在の発展はあり得ない。これは当社の自信であり誇りだ」と金子会長は胸を張る。
金子会長は群馬県沼田市(当時は利根郡)に生まれた。幼い時に父を事故で、母を病気で亡くし、兄や姉に育てられる。中学卒業後から新聞配達やトラック運転助士、タクシー運転手などをして働いてきた。
「商売が大好きだったので、自分で何か商売をしたかった」と話す金子会長が最初に携わったのは牛乳販売店の経営だった。当時は花形の商売だったというが、他社との競争のため値引きをして売らなければならないことに疑問を感じた。「自分で値付けができる商売をしたい」と考え、立ち上げたのが中華料理店だった。
埼玉県の鶴ヶ島脚折店
看板メニューの焼き餃子は6個で237円(税込)。この餃子はもちろん、麺、総菜、スープ、デザートまですべて自家製
ひろみ氏と共に社内のIT化を推進
金子会長は長男の利行氏(現・調理部長)と長女のひろみ氏の2人の子どもに恵まれた。後継者に選んだのは、「物事に夢中になって取り組む姿が自分によく似ている」と感じたひろみ氏の方だった。年齢や性別は関係ない。経営者の素養と会社への愛情がある人が社長を担うべきだと考えた。
1986年にぎょうざの満洲に入社したひろみ氏は、以前は食品を扱う商社に勤めていた。パソコンを使った経験を持つひろみ氏の話を聞き興味を持った金子会長は、いち早く社内のシステム化に動き出す。「アルファベットを覚えるところから始めた。やり始めると面白く、夢中になった」という。
寝食を忘れるほど没頭し、1年半ほどでパソコンの機能をマスターした金子会長。まず、手書きだった青色申告書に無駄を感じ、パソコン入力へと切り替えたという。その後、店舗管理・製造物流管理・在庫管理・販売管理をシステム化。今では社員たちはスマートフォンで給与明細を確認し、本社工場の勤怠システムは静脈認証を取り入れている。いち早くITを取り入れたことが、同社の成長を後押しした。
後継者の判断に間違いがないと確信して承継を決意…
金子会長が事業承継を決意したのは1998年。金子会長が62歳、ひろみ氏が37歳の時だった。「長く一緒に経営をしてくると、考え方が似てくる。娘の判断に間違いがないと確信できたとき、会長に退くことを決めた」と金子会長は話す。
経営に必要なのは、時代を読む力だと金子会長は考えている。60歳を過ぎて、娘の方が時代を読む力が優れてきたと感じた。実際この頃になると、指示してきた立場から、娘に相談することが増えていたという。
ひろみ氏は社長就任後、当時30ほどだった店舗を92店舗(2019年5月現在)まで急拡大させた。売り上げも毎年右肩上がりで、2018年6月期には81億円を計上している。「スピードが速過ぎると心配することもあるが、このペースで行くと、きっと目標の200店舗を達成できるだろう」と金子会長は見ている。
ひろみ氏と金子会長は今でも経営の伴走者であり良きライバルだ。「普通の親子と同じようにケンカをすることもあるが、とにかく仲良し」と金子氏は笑顔を見せる。毎朝、金子会長が出社すると、娘が笑顔で迎えてくれる。それが喜びだという。
そんなひろみ氏が父親に「川越市にいい物件を見つけた」と相談したのは2018年。金子会長もすぐに見学に行き、気に入った。2019年1月より本社工場を現在の川越市的場新町に移転し、主にスープ工場として稼働している。土地は8,000坪、建坪は2,000坪、スープの製造設備は600坪ある。
「創業からずっと、スープ作りにこだわってきた。スープをきちんと仕込まないラーメン屋に成功はない」というのが金子会長の信条だ。
ただ、新しい本社工場は、駅から離れており立地が良いとはいえない。しかし金子会長は先を読んでいる。「工場の裏手を走る関越自動車道には、どんどん新しいインターチェンジ(IC)ができている。今は不便でも、恐らく近い将来、川越ICと鶴ヶ島ICにも新たなICができるだろう。そうすればアクセスはぐっと良くなる」。
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2019年1月から稼働を始めたばかりの川越本社工場。総務などの本社機能のほか、600坪のスープ製造施設を備えている[/caption]
金子会長は「振り返ってみて、自分にとってはこれ以上の後継者はいなかったと思っている。これから娘がどう仕上げていくのか楽しみ」と話す。3代目社長の選任はひろみ氏に任せているが、「夢を抱いてつくった会社だから、同じ夢を持つ人に会社を引き継いでほしい」と願いを寄せる。
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埼玉県東松山市のウオーキングイベント「スリーデーマーチ」を一緒に楽しむ金子会長(写真左)と娘で現社長のひろみ氏[/caption]
後継者については、「必ずしも血縁にこだわる必要はない」と金子会長は考えている。「社員の中にも優秀な人がいる。孫も入社しているが、もしそこまで能力が届かないのであれば、能力のある社員から社長を選ぶのが妥当だろう。ただ、今日から社長だと言われて、急に何かができるようになるわけではない。だから子どもが親の背中を見て育つように、我々は一生懸命取り組む姿を見せるしかない。そうすれば、自然と後継者は育つ」。
後継者を育てるリーダーに対して、「どんな仕事もシンプルに考え、分かりやすく教える。そんな優しい先輩であってほしい」と金子会長はエールを送った。
83歳になった金子会長の健康の秘訣は、50歳から始めたマラソンだ。妻や娘と共にホノルルマラソンにも参加している。目標は、90歳までフルマラソンを走り続けることだという。