千葉ジェッツふなばし(プロバスケットボールチームの運営)
事業承継を果たした経営者を紹介する連載の第8回は、プロバスケットボールチームを運営する千葉ジェッツふなばしの島田慎二会長。まだ、40歳代の経営者の事業承継だ。
島田会長は、業績低迷に苦しんでいた同チームをプロバスケットボールリーグ「Bリーグ」で観客動員数、勝率、業績すべてにおいてナンバー1のチームへと育て上げた人物だ。2019年6月にはチームを代表する富樫勇樹選手と日本人初の1億円契約を締結し注目を集めた。
そんな千葉ジェッツふなばしの思いもかけないニュースに、バスケットボール業界はもちろん、スポーツ界を超えて激震が走った。島田会長は、2019年4月にミクシィと資本提携し、発行済み株式の過半をミクシィが取得すると発表。さらに、8月には社長退任を発表し、新社長には29歳の米盛勇哉氏を就任させた。これら一連の動きの裏に、島田会長のどのような思いがあったのだろうか。
2019年度の千葉ジェッツふなばしの売り上げは17億円(前年比124%)。年間観客動員数は15万6000人。Bリーグナンバー1のチームに成長した
再建を果たし、若き新社長に事業承継
島田慎二(しまだ・しんじ)会長
1970年新潟県生まれ。日本大学法学部卒業後、マップインターナショナル(現・エイチ・アイ・エス)に入社。95年、ウエストシップ設立。2001年、ハルインターナショナル設立。10年に全株式を売却し、世界中を旅する。12年にASPE(現・千葉ジェッツふなばし)代表取締役社長就任。19年8月に社長を退任し、代表取締役会長に就任
そもそも島田会長に千葉ジェッツふなばしの経営再建が託されたのは、2012年。当時41歳だった島田会長は、スポーツチームの運営経験はなかったものの、投資家として以前お世話になった現名誉会長である道永幸治氏からの依頼に対し、「30代で起業し、経営者としての経験はある。自分が力になれるなら」と考え、千葉ジェッツふなばしの経営を引き受けた。
もともとゴールを決めて取り組むタイプだという島田会長は、経営再建は最短で1年を想定。長く続けるつもりはなかったという。それを実現すべく社長就任以降、力強く改革を推し進めてきた。
「2年くらいで倒産寸前というようなどん底のフェーズは脱しました。4年過ぎた頃にはある程度軌道に乗り、6年目にBリーグが発足した頃には、リーグトップクラスにまで成長していました。そうして成長を続ける中で、気が付けばこんなところまで来ていたというのが正直な感想です」(島田会長)
会社の急成長をうれしく思う半面、島田会長の頭の中には常に危機感があったという。
「再建フェーズということもあり、自分がグイグイ会社を引っ張り、結果的にここまで成長することができました。それをうれしいと思う一方で、会社における自分の依存度が高まっていくことに危機感を覚えていました」と話す。
自分に何かあったら会社はどうなるのか。また、社会的影響が大きくなったこの会社の将来をどう描くべきか。島田会長は考え続けていたという。その答えが2019年、ミクシィとの資本提携し新アリーナを建設。社長交代を同時に進めることだった。
2019年4月、数年以内に現在より多くの観客を動員できる新アリーナの建設構想を発表し、それを見据えた資本提携をミクシィと締結した。その後、8月20日の株主総会をもって島田会長は社長を退き、米盛勇哉氏が新社長に就任した。29歳の若き新社長就任のニュースは、周囲を驚かせた。
新社長の成長を阻害しないようバックアップ…
7年にわたり社長を務めてきた会社には、当然愛情もある。しかし、「自分の感情よりも、会社の成長を望む気持ちの方が強かった。愛情があるからこそ、この先の会社のことをきちんと考えるべきだと思いました」と島田会長は話す。
「私が去るときは、会社が変わるとき。再建フェーズから新しいフェーズに変わるこれからは、統制型の私のやり方とはまったく違うタイプの社長がいいだろう」と島田会長は考えた。
社員の中にも、優秀な人材はいる。しかし、「これまでの私のやり方を知っている人は、どうしてもそれを踏襲しようとしてしまう。外部から来た方が、客観的に会社を見て、いいところも悪いところもしっかり評価し、会社を運営していけるはず」と島田会長は考えたという。
新しい千葉ジェッツふなばしを託す新社長として選ばれたのは、29歳の米盛勇哉氏だ。島田会長が後継者を探す中で、知り合いから紹介されて会ったという。初対面は19年2月だった。
「賢い人だと感じました。若い割には落ち着いていて肝が据わっているのも経営者に向いている。実際の会社経営の経験はないが、知らないことはこれから経験すればいい」(島田会長)
島田会長と同様に、親会社のミクシィも米盛氏を次期社長候補として評価したことから、米盛氏は3月1日に千葉ジェッツふなばしに入社。4月には副社長に就任した。6月決算のため、実質的には7月からの新しい期は新社長に経営を任せたいと考えた島田会長は、6月頭に米盛氏に「社長をやってみないか」と具体的に打診したという。
「いつですか?来年ですか、再来年ですか、と言うから、いや今だ、と言った(笑)。彼も驚いたようで、1年くらいは修行したいと最初は固辞していたけれど、会長としてサポートすることを伝え、6月末には社員たちに交代を発表しました」(島田会長)
島田会長が社長交代を急いだのには理由があった。「リーダーシップ型の私が社長としていると、ナンバー2の立場とはいえども、他の社員と変わらないポジションに近くなってしまう。それなら1年後でも2年後でも大差ない。実際にトップにならなければ、実質的な経営の訓練、鍛錬はできない。その代わり、しばらくは会長として支えることでソフトランディングする方法を選びました」と話す。
突然年下の社長を迎えた社員たちにも、驚きと戸惑いはある。
「これからは、社員も一緒に組織をつくっていくことになる。もしかしたら、グイグイ引っ張る社長の下で働いた方が楽だったかもしれないが、こうした形の方が、社員にとっても成長機会になるだろう」と島田会長は話す。
8月20日以降も島田会長は「代表権を持ち、私も一緒に責任を持つ」と話す立場ではあるが、現在は米盛社長と同じ社内で過ごすこともなく、社長を飛び越えて現場と関わることもしていない。
「基本的な執行は任せ、判断に困ることがあれば相談を受けるというスタイル。何を私に相談し、何を自分で判断するのか、その勘所も経営者のセンスであり、社長の力量でしょう。彼の判断を見ながら、アドバイスをしています。自分自身も覚悟を決めてバトンタッチしているので、彼の判断でもし困ったことになったら、一緒に責任を負います。過保護に口を出して、彼の成長を阻害することはしたくない。今のように代表権を持つ会長としてバックアップするのは1年間程度。少しずつ会社の中での私の影を薄くしていきたい。新社長が成長し、私がいなくても問題ない状況ができることが理想」と島田会長は語る。
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新社長の米盛勇哉社長とサポートする島田慎二会長[/caption]
経営者は会社の長所を伸ばす努力を
48歳の島田会長。この先の人生はどのように考えているのだろうか。
「世の中にはいろいろなタイプの社長がいる。それはつまり、いろいろな生き方があるということ。私は30歳で起業した会社を38歳でM&Aし、千葉ジェッツふなばしを41歳でスタートし、今回48歳でM&Aしました。私は数十年間かけて1つのことをやり続けるのではなく、再建や成長フェーズを担当し、役目を果たしたら次に進むタイプの経営者です。この先も恐らくそのような形で新しいことに挑戦していくことになるでしょう」
こう語る一方で、島田会長は次のようにも考えている。
「自分が何かをやりたいというよりは、必要とされることに対して、これまで培ってきた経験を生かしていきたい。これまで助けてくれた人への恩返しもしたい。また、多くの支えにより成長させていただき、今の自分がいるので、今度は若手の将来につながるようなこともしていきたい」
社長を退いたとはいえ、会長としての経営サポート、講演やコンサルティングなど、担っている役割は多い。2回のM&Aを経験したことから、中小企業の事業承継のバックアップも、今後、手掛けていきたいと考えている。
「後継者不足で黒字倒産する会社も出るほど、事業承継は日本の社会的な問題になっています。事業承継を考える際には、創業当時のような気持ちで、自分の会社が何なのかをまず定義することが大事。社長のエゴではなく、社会に対して存在価値がある会社であると判断したならば、後継者を必要としていることを発信していかなければなりません。そうすれば、その思いに共感し、会社を残したいと考えてくれる人と出会えるはずです。承継者が親族であっても第三者であっても、共通して大事なことは、経営者が会社を良くしていく努力を怠らないことではないでしょうか。人間に長所と短所があるように、会社にも必ず、いいところがあります。そのいいところを伸ばし、欠点を減らす努力が経営者には必要です」と島田会長は語る。
新たなフェーズに入った千葉ジェッツふなばし。その指揮をとる米盛氏に島田会長が期待することはどんなことだろうか。
「これからの経営は、私のやり方をすべて踏襲する必要はない。自分で考えて決めていってもらいたい。ただ、この会社が社会に対してどうあるべきか、クラブの存在意義は何なのか、社員にはどうあってほしいのか。そこに強い使命と思いを持ち、それを実現するために組織が一丸となる。そんな筋の通った、骨太な経営を期待します」(島田会長)
社長のバックアップは子育てのようなものだと感じている島田会長。過保護になり過ぎず、放任になり過ぎず。愛情を持ち、これから程よい距離で新社長を支えていきたいと考えている。