事業承継を果たした経営者を紹介する連載の第28回は、「北海道事業承継・引継ぎ支援センター」の承継コーディネーターを務める新宮隆太氏に、ご自身が事業承継に携わった印刷会社のM&A事例を紹介していただいた。
事業承継・引継ぎ支援センターは、経済産業省が設置する公的機関であり、各都道府県の商工会議所などの認定支援機関が運営する組織だ。組織の規模はそれぞれのエリアの人口や企業数によって異なる。北海道事業承継・引継ぎ支援センターでは、21人のアドバイザーが北海道全域の企業を対象に、金融機関などと連携しながら事業承継の課題をサポートしている。
もともと事業承継の課題を解決する事業は、「親族内承継」「従業員・役員などへの承継」「第三者承継であるM&A」に分かれていたが、事業承継の悩み全般をワンストップで支援する体制を構築するため、この4月に統合された。
「事業承継の支援業務に就く前は、まちづくりの会社に勤務をしていました。シャッター商店街などの問題に携わる中で、事業承継の悩みに触れる機会が多くあり、そんな企業さまを少しでも支援できればと考え、この道に進みました」(新宮氏)
事業統合前、従業員・役員承継、第三者承継をメインに支援してきた北海道事業引継ぎ支援センターの2020年度の相談件数は303件、成約件数が46件で、コロナ禍以降、相談件数は増加傾向にあるという。
「新業態に挑戦する企業を応援する事業再構築補助金を活用し、業態転換をする企業も増えています。コロナ禍の長期化により、資金や資産を食い潰してしまう前に、廃業・倒産を決断する企業もこれから増えていくだろうと考えています。中には債務超過になる会社もありますが、それも含めて、その会社が築いてきた歴史やノウハウを残し、雇用を守ることが我々のミッションです。
高齢だから事業承継するとも限りません。数は少ないですが、40代、50代の経営者からの事業承継のご相談もあります。少しでも会社に価値のあるうちに売却したいと考える動きも加速するだろうと考えています」(新宮氏)
新宮氏が担当した印刷会社の第三者承継の事例を紹介する。
札幌市内から車で1時間半ほどのむかわ町で印刷業を営む清文堂印刷は、創業60年の老舗印刷会社だ。一般のモノクロ印刷のみで、カラー印刷やデジタル印刷には対応していない。伝票の印刷や、自治体の広報誌の印刷を継続して受注してきた。
2001年に代表に就任した三宅幸一氏には後継者がおらず、70歳を前に事業承継を考え始めた。最初に北海道事業引継ぎ支援センターに相談したのは、2017年のことだった。
「決算書を見てまず驚いたのが、清文堂印刷の財務内容が非常に良かったことです。自治体の仕事を安定的に受けているために、安全性高く経営してこられていた。一方で、一般印刷(アナログ)メインであったために近年は業績が伸び悩んでいました」(新宮氏)
マッチングできる相手を探したが、札幌から少し離れた立地がボトルネックとなり、簡単には見つからなかったという。
そんな中、2018年9月に北海道胆振(いぶり)東部地震が起こる。むかわ町は震源地に近く、清文堂印刷は大きな被害を受けた。
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2018年9月の地震直後の清文堂印刷の社内。三宅社長はこの惨状を見て途方に暮れたが、社員たちは再建のために奮起した[/caption]
「社屋もボロボロになり、社員は幸い無事だったものの、家族にはケガ人もいました。社長は途方に暮れ、事業継続は難しいかもしれない、と考えたそうですが、社員が奮起し、一丸となって立て直しを始めたんです。地震の後、三宅社長からご連絡をいただき、事業承継の話はいったんストップしてくれ、と言われました。せっかく社員が頑張っているときにM&Aの話をすれば、モチベーションが下がってしまうから、と。そこで、M&Aの相手先企業を探すのを中断しました」(新宮氏)
それから半年後、会社が再び軌道に乗ったタイミングで三宅社長から「室蘭市の北海印刷に声をかけてみてもらえないか」と打診を受けた。北海印刷は従業員40人ほどで、清文堂印刷の倍以上の規模の印刷会社だ。デジタル印刷に対応しているだけでなく、企業の広告・宣伝も請け負っている。
北海印刷にとっては、自治体の販路と、室蘭よりも札幌に近いむかわ町の立地が魅力となり、株式譲渡の話が進んだ。
ところが、トップ面談も済ませていざ株式譲渡をするタイミングで、今度はコロナ禍に突入する。ただ、先行きが見えない状況になったものの、二人の社長に迷いはなかったという。
コロナ禍でもブレなかった社長の決断
こうして、1度目の緊急事態宣言の最中の2020年5月、株式譲渡契約が成立した。三宅社長が最初に相談に訪れて約3年後の成約となった。北海印刷はコロナ禍で飲食業、旅行業関連の広告宣伝領域の売り上げが落ち込んだが、公共事業を請け負う清文堂印刷は売り上げが落ち込むことはなかった。M&Aにより相互補完の関係が築けたといえる。
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2020年5月、株式譲渡契約を結んだ清文堂印刷の三宅氏(写真右)と北海印刷の徳永氏[/caption]
清文堂印刷の三宅社長にとって、M&Aにおいて譲れない条件はただ1つ、「社員の生活を守ってほしい」ということだった。会社にとって人が一番の財産であり、離職を招いてしまうのは北海印刷にとってもメリットはない。社員の雇用や待遇の継続についても双方が合意していた。
三宅社長はM&Aの社内説明用の文章を作り、社員に丁寧に説明した。誠意ある対応に、反発する社員は出なかったという。
「数ある支援経験の中では、社員が猛反発して大紛糾する事例もありました。社員の理解が得られたのは、三宅社長の信頼が厚かったからだと思います」(新宮氏)
株式譲渡後は北海印刷の徳永賢二氏が清文堂印刷の社長も兼任し、三宅氏は相談役として、必要なときだけ会社に顔を出す生活を送っている。
立地の悪さや昔ならではの業態は一見デメリットのように感じるが、視点を変えればメリットにもなり得る。地震の後、社員たちが会社を残したいと考えたのは、三宅氏の人柄によるところも大きいだろう。