ファミリー居酒屋 河庄(飲食店)
新宮隆太(しんぐう・りゅうた)
中小企業診断士・M&Aシニアエキスパート
北海道事業承継・引継ぎ支援センターの承継コーディネーターとして、中小企業におけるM&Aをはじめ、事業承継全般を支援する専門家として活動。数多くの成約実績、事業承継支援経験を持つ。中小企業診断協会北海道理事〔M&A事業化担当役員〕、事業承継研究会代表なども務める。
事業承継を果たした経営者を紹介する連載の第29回は、前回に引き続き、北海道全域の企業の事業承継を支援する「北海道事業承継・引継ぎ支援センター」の承継コーディネーター・新宮隆太氏に、白老(しらおい)町の飲食店の事例を紹介していただいた。
白老町は北海道中南部に位置し、幌戸(ポロト)湖畔に先住民族のアイヌの文化を守るための「ウポポイ(民族共生象徴空間)」があることで有名だ。「ファミリー居酒屋 河庄」は、この地で30年以上にわたり、地元に愛されてきた。
1988年にこの店を立ち上げた河崎光典さんは、自身で山に入り山菜やキノコを採取したり、川でイワナやヤマベなどを釣ったりしてお客に提供する。地元の人でも予約が取れないほどの繁盛店で、中でも人気なのが「16種類の天然きのこ鍋」だ。
「16種類の天然きのこ鍋」。河崎さんが山に入り、目利きをして採取したキノコで作り上げた河庄の看板メニューだ
ヤマベの天ぷら。川魚も人気だ
河崎さんは70代後半で、子どもはいるが白老町を出て、公務員として働いていたため、第三者から後継者を探していた。
「人気店なので、承継のお話はよくあったようです。ただ、河崎さんのオリジナルメニューを札幌や東京に広めたい、というような打診ばかりで、すべて断ってきました。河崎さんは、白老町を愛してくれて、白老町で河庄を継いでくれる人を探していたのです」(新宮氏)
そんな時、河崎さんの目に留まったのが、お店の常連客だった三国夫妻だ。夫の三国豊さんは35歳で河崎さんの息子よりも若い。妻の志の生さんと3人の子どもを連れて、家族5人でよく河庄を訪れていたという。
河崎さんは地元の人たちに愛され、人脈も広い三国夫妻にほれ込み、「お店を継いでくれないか」と口説いた。
豊さんは函館出身で、ホームセンターに勤務しており、一家は転勤で10年前から白老町に移り住んでいた。白老町での勤務は10年になり、そろそろ別の店舗に転勤になる時期だった。小中学生の3人の子どもたちは、できれば転校させたくない。何より三国夫妻は、10年間暮らした白老町のことが好きになっていた。二人とも飲食店の経験はなかったが、豊さんは釣り好き、志の生さんは料理が得意だった。
事業譲渡に向き合った2人の経営者…
三国夫妻は河崎さんの申し出を受け入れ、居酒屋河庄を継ぐことになった。ところが、新宮氏がアドバイザーとして入り、具体的な事業承継を進めていこうとしたタイミングで、コロナ禍に突入。緊急事態宣言で河庄は休業を余儀なくされた。
「緊急事態でも、河崎さんはまったく動じませんでした。『俺は約半世紀にわたってこの店をやっている。緊急事態が終わったら、ちゃんとお客さんは戻ってきてくれるから大丈夫だ』と。この言葉に背中を押され、三国さんは予定通り勤めていたホームセンターを退職しました。
それどころか、河崎さんはこのピンチをチャンスに捉え、自粛期間を研修に充てました。山菜やキノコ、魚の取り方から料理、接客までをみっちり教え込むことができました」(新宮氏)
河崎さんの宣言通り、緊急事態が明けたらお客は戻ってきてくれた。地元でも人気の夫婦がお店を継いでくれたことで、お客は喜び、河庄は以前にも増して人気店になったという。
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北海道むかわ町のファミリー居酒屋 河庄。右から2番目が創業者の河崎さん。両端が事業を引き継いだ三国夫妻[/caption]
「居酒屋河庄は法人ではなく、河崎さんは個人事業主でした。そのため、今回は株式譲渡ではなく、事業譲渡契約という形になります。土地や建物、什器(じゅうき)や備品などを売買する契約です。三国夫妻にとっては開業の扱いになるので、白老町の創業補助金や事業承継補助金、河崎さん側の持続化補助金などを活用しました。これもれっきとした事業承継です」(新宮氏)
事業譲渡後も河崎さんは三国夫妻と一緒に厨房に立っているというが、今後は山菜や海産物を使った加工品を作り、ウポポイ内でお土産品として販売したいと考えているという。
手遅れになる前に、専門家に相談を
多くの企業の事業承継に携わってきた新宮氏は、「経営者に寄り添い、本音を語ってもらうことを意識している」と言う。
「経営者の方がおっしゃっている言葉と実際の思いが違う場合がよくあります。例えば、息子は決断力も能力もないから第三者に継がせたいんだ、とおっしゃったからといって、その言葉の通りM&Aを進めてもうまく進まない。よくよく話を聞くと、本音では息子さんに継いでほしいと思っていた、というケースもあります。隠れた本音を見極め、思いに寄り添いたいと思っています。息子さんが大企業に勤めているから、公務員だから、銀行員だから、と最初から選択肢から外すのではなく、いろいろな可能性を探っていくことを心掛けています」
事業承継を考えている経営者にアドバイスをもらった。
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札幌商工会議所内にある北海道事業承継・引継ぎ支援センター。自治体ごとに事業承継・引継ぎ支援センターがあり、専門のアドバイザーが事業承継の悩みをサポートしてくれる[/caption]
「事業承継のお悩みは、顕在化しにくいものです。特に、M&Aはなかなか言い出しにくいと思いますが、まずはアラートをあげて、事業承継をしたいという意思表示をしてください。経営者が病気になる、業績が悪化するなど、手遅れになってしまうことが多くあります。
早ければ早いほど、いろいろな選択肢が増えます。50代の方が10年後を見据えてご相談していただいても構いません。事業承継は、早く動いて損はありません。少し勉強してから、セミナーに行ってから、などと先延ばしにせず、何の情報も持っていない段階で問題ありませんので、まずはご相談ください」(新宮氏)
事業承継・引継ぎ支援センターは各自治体の商工会議所の組織だ。経験豊富な事業承継の専門家がサポートしてくれるので、事業承継を考えている経営者はぜひ相談してみてほしい。