「M&Aの仲介会社などを挟まず、できれば相対で譲渡契約の締結を進めたいと考えました。最初に提示された金額から、デューデリジェンス(企業価値の査定やリスク調査)後に金額を下げられてしまうことも多いと聞いていたのですが、ワールドさんは非常に誠実にスピーディーに回答、実行くださいました。会長と会食の際は、ワールドさんの企業理念や今後の方向性を丁寧にお話しいただきとても安心しました」(笹川氏)
売却に当たり、笹川氏から提示した条件は、社員約70人の雇用を守ることだけ。話し合いの結果、売却後1年間は、笹川氏がイマジンプラスの顧問を務め、後方から営業支援を行うことに決まった。また、企業研修やマイクロソフトのコンテンツ制作などを請け負っていた子会社のイマジンネクストについては、笹川氏が引き続き社長を務めることになった。
「ワールドさんの目的が販売系を伸ばすことだったため、『イマジンネクストは笹川さんが社長を続けられたらいかがですか?』とご提案いただきました。私にとってはイマジンプラスの社長を退任して1年間顧問を務め、子会社をそのまま残せる最高の形になりました。少人数のクリエイター集団の会社ですから、社員にとっても良かった。ワールドさんはM&Aの経験が豊富で、私の今後についても親身に考えてくださってありがたかったですね」(笹川氏)
イマジンプラスの株主は、笹川氏の他には、社外取締役1人と、創業時から同社を支援する1人の計3人だけだった。「以前、株式上場の準備をした際に、顧問弁護士や税理士など、いろんな方に株を持っていただいたこともありました。でも、上場を取りやめて数年後に、1.3倍くらいにして買い戻していたんです。私の他の株主2名は売却をすんなり承諾してくれましたし、結果的に株主が少なかったためにM&Aをスムーズに進めることができました」と笹川氏は話す。
イマジンプラスの財務諸表には問題なく、これまで訴訟のようなトラブルもなかったこともあり、デューデリジェンスは短期間で終了。11月に譲渡契約を締結し、翌2021年の1月15日が実行日となった。
万が一、譲渡契約前に情報が漏れて何かトラブルが起こると破談になってしまうため、譲渡契約は水面下で進められた。契約締結後の11月末、まずは課長以上の役職者10人を集め、笹川氏は今回のM&Aを決めた経緯を説明した。
「赤字が続いている会社の経営状況、私の本音、社員の雇用と会社を守るためには、M&Aが最善だと判断したことを正直に伝えました。社長は会社を売って逃げるのかと思う人がいたら、思ってくれていい。私は十分やり尽くした。お金もつぎ込んできたけど、24年間、大きな事件、事故、トラブルなくこれまで会社経営を続けてこられたのは、本当にみんなのおかげだと思っている、悔いはないと伝えました。話の途中で涙ぐむ役職者もいました。会議の後、みんなが寄ってきて、社長が逃げるなんて、そんなことを思う人は誰もいませんよ、と言ってくれました」(笹川氏)
一般社員には情報を伏せたまま、年が明けた。1月15日の実行日の前日、笹川氏は全社員を集め、説明の場を設けた。「社員にどう伝えたらいいのか、これが一番難しかった」と笹川氏は振り返る。役職者からは、「社員が不安にならないよう、明るく報告してほしい」と依頼されていた。
このお願いの通り、笹川氏は明るい声を心がけ、「皆さん、今日は素晴らしいお知らせがあります」と社員たちに切り出した。「上場企業にグループインします。これからもっと会社を伸ばせるし、大きくなる。みんなハッピーになります」。
「そうは言っても、私は退任しますし、社員のみんなにとっては強制転職のようなものです。ワールドさんがどんな会社か、社員にどんなメリットや変化があるのか、丁寧に説明しました。人間は変わりたいと思っても、なかなか変わることができません。この変化はある意味大きなチャンスなので、まずはこの経験から、変化に対応する力を身に付けてほしい。社長を退任した私も、みんなと同じように、大きな変化に直面している。創業社長が会社を手放すのは勇気と覚悟がいること。でも、私も一からまたやり直していくから、みんなもまずはこの変化の波に乗り、その上でこの先の人生を考えてほしい。そう語りかけました」(笹川氏)
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コロナ禍で
リモートワークになる前のイマジンプラスの社内の様子。約70人の社員が働いていた。その雇用を守るため、笹川氏はM&Aを決意した[/caption]
社員の反応はそれぞれで、無反応に見えた人もいれば、のちに丁寧なメールをくれた社員もいた。「新卒2年目の営業の女性社員が、目を潤ませながら寄ってきて、社長、本当にお疲れさまでした、ありがとうございました。と言ってくれました。私も一生懸命話したので、こんな若い子にもちゃんと伝わったんだなと思うとうれしかったですね」と笹川氏は話す。
これが、社員たちと接する最後の機会となった。経営を全面的に委ねたので一切お任せして、落ち着くまでは社員たちとの接点を持たないほうがいいと笹川氏は考えたのだ。
最悪の状態になってからではM&Aも難しくなる
M&Aの実行から9カ月。今の笹川氏の心境を聞いた。
「改めて、売却を決断して良かったと思っています。2021年は年始からずっと、緊急事態宣言が延長、延長で続きました。あのままもし私が経営を続けていたら、赤字が増え続け、さらに大幅なリストラに踏み切るしかなかったでしょう。そうやって人数を減らして縮小しても、赤字を克服できたかどうか……」と笹川氏。
M&Aを進めている時に、必要な資料の準備をお願いしていた経理部長には、「まだ資金繰りには余力があるのに、M&Aする必要があるんですか」と聞かれたことがあったというが、その時、笹川氏は「資金繰りに詰まってからでは遅いのよ」と伝えたという。
「創業社長はどうしても会社を手放す決断ができず、残念ながら経営状況がどうしようもなく悪くなって倒産するしかないという話もよく聞きます。そういう会社をたくさん見てきている銀行さんは『状況が悪くなる前に決断できたのは英断だと思いますよ』と言ってくださいました。2020年秋のタイミングだったから、ワールドさんという良い企業にM&Aができたのだと思っています。本当に財務が悪化してからでは売れません」(笹川氏)
笹川氏は社員の現状についても、「社員たちは上場企業の中でさまざまな大型案件を担当し、忙しそうだと聞いています。業務内容も変わって大変でしょう。でも、忙しい中にもきっと充実感と新しい経験があるだろうから、今まで以上に力を発揮してくれたらと思っています」と笑顔で語った。
30歳で東京に出てきて、多忙を極める日々だった。高齢の親と一緒に過ごす時間を増やすべく、今は月に2回、地元の北海道に帰っている。それができるのも、イマジンプラスの社長を退任したからだと考えている。
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笹川氏は北海道の難病の子どものための自然体験施設、公益財団法人そらぷちキッズキャンプ(写真)の理事を務める。そのほか、シングルマザーや子ども食堂も応援中[/caption]
「私はこれからも、“ライフリノベーター”として、自分を変革、進化させ続けていきたい。目標は、生涯現役で働き続けること。働くというのは、何もビジネスに限ったことではなく社会との関わり。これまでもライフワークとしてシングルマザーの支援や若い起業家、地元北海道の応援などの活動をしてきました。今後はもっと社会に役立つ貢献活動を続けていきたいと思っています。そのためには健康な体と頭の維持が必要です。今はイマジンプラスの顧問として営業サポートをしながら、子会社の経営、長年の睡眠負債の解消、筋トレに励んでいます」(笹川氏)
最後にこれからM&Aを検討する経営者に向けて、笹川氏にアドバイスを聞いた。
「M&Aに限らず、事業承継を視野に入れたとき、財務を健全化し、株式所有についても整理しておくに越したことはありません。中小企業の場合、社長個人のお財布と公私混同しているケースもあります。よく分からない個人会社がある、働いていない親族に給与を払っているといった状況なら見直しておいたほうがいいと思います」と、まずは準備のポイントを語る笹川氏。
続いて、実際にM&Aを検討する際には「私はM&Aの知識がそれほどないまま契約を進めてしまいましたが、情報収集などの準備や勉強をしておく必要があります。売り先となり得る同業や競合企業と情報交換して、何かあったときに相談に行けるコミュニケーションを取っておくことをお勧めします」と笹川氏は助言する。
悩みながらも、これが最善だったと思える決断をした笹川氏は、次のステージを前向きに、明るく生きている。