ビジネスを加速させるワークスタイル(第15回)
似ているようで違う、法人向け光回線の選び方
公開日:2021.12.22
ピー・キューブ(テレビ番組・企業プロモーションなどの映像制作)
事業承継を果たした経営者を紹介する連載の第35回と36回は、大阪市でテレビ番組を中心とした映像制作を手掛けるピー・キューブの創業者、池田由利子氏。早いタイミングから「50代になったら次の世代に社長のポジションを譲りたい」と考えていた池田氏は、2018年7月に当時副社長だった奥田祐司氏に事業承継した。
そもそも、池田氏の社会人としてのキャリアはリクルートからスタートする。短大在学中、就職活動を始めようとしたが、当時、就職活動のガイドブックとされていた、企業情報をまとめた「リクルートブック」が自宅に届かなかった。
「御社は短大卒の学生を差別するんですか? とクレームの電話をかけたんです。そうしたら、『よかったら取りに来ませんか』と言われ、翌日、家から最も近かった神戸支社に取りに行きました。すると、その担当者がとてもスマートでカッコよく、話も面白かった。こんな人と一緒に働きたい!と思い、そのままリクルートの採用試験を受けました。リクルートブックを受け取ったのに、結局一度も開きませんでした(笑)」と池田氏は振り返る。
1985年に日本においても通信の自由化が始まり、電電公社が民営化されNTTとなった。リクルートも当時、電話回線リセール業の新規部署を立ち上げており、池田氏はそこで3年間働いた。ただし、20歳だった池田氏は、起業はおろか、長く働くつもりはまったくなかったという。
「当時、女性は20代半ばになったら結婚して仕事は辞めるのが当たり前でした。私も25歳で結婚しようと思っていました。だから、23歳で辞めて、2年間は好きなことをしようと思っていました」
計画通りリクルートを退職し、ダイビングのインストラクターになって南の島で暮らしたいと思っていた。ところが知人から「手伝って」と言われ、テレビ番組制作の世界へ。大学時代、地元神戸のローカルテレビ局の番組制作に携わった経験があり、その時の知り合いから「人手が急に足りなくなった」と、タイミングよく声がかかった。
天気、スポーツ、グルメなどを扱う早朝の情報番組を担当。最初はスタジオでアシスタントディレクターを務め、少しずつ特集のロケなどを任されるようになった。「今でこそ、ディレクターは女性が多くなりましたが、当時は男性ばかり。リクルートは男女半々だったので、驚きました。同じ立場の男性と一緒にいても、私のほうにコピー取りやお茶出しを頼まれることもたびたび。時代錯誤だなと思いましたね。旅ロケも私が行くと女性用として別の宿泊用の部屋を取る必要があるからと最初は行かせてもらえませんでした。その後少しずつ、リポーターの女性出演者が安心できるようにディレクターも女性がいいよね、とロケも任されるようになりました」
池田氏がピー・キューブを立ち上げたのは1996年。起業しようという高い志があったわけではなく、テレビ局からフリーランスではなく法人のほうが仕事を頼みやすいと言われたのがきっかけだった。
「会社をスタートした時点では早朝番組を手掛けていたので、朝8時には生放送の仕事が終わります。その後学校に行ったり、他の仕事をしたりするスタッフもいて、学生アルバイトを含め8人くらいでスタートしました。社長としてどんな会社にしていきたいとか、社員たちをどうマネジメントしていくかという意識はあまりなく、当時はただ、仲間たちと一緒に面白い番組を作りたい、という気持ちが強かったですね」
\ かんたん入力で登録完了 /
執筆=尾越 まり恵
同志社大学文学部を卒業後、9年間リクルートメディアコミュニケーションズ(現:リクルートコミュニケーションズ)に勤務。2011年に退職、フリーに。現在、日経BP日経トップリーダー編集部委嘱ライター。
【T】
「事業承継」社長の英断と引き際