ニッケン刃物(ハサミの企画・製造・販売)
事業承継を果たした経営者を紹介する連載の第38回は、岐阜県関市で70年以上にわたり刃物の製造・販売を行うニッケン刃物の2代目で現会長の熊田幸夫氏の事業承継ストーリー(後編)。初代の文夫氏から事業を引き継いだ幸夫会長は2018年10月に息子の祐士社長に事業承継した。その経緯を紹介する。
熊田幸夫(くまだ・ゆきお)
1947年7月、岐阜県関市生まれ。1970年に日本大学生産工学部を卒業し、アメリカへ3年間語学留学。1973年から創業者である父親が経営する日本研削株式会社(現・ニッケン刃物)に入社し、自社商品の輸出を始める。主にアメリカ、韓国への輸出を拡大させ、1980年に代表取締役社長に就任。その後、海外からの仕入れにも目を向け、パキスタンや中国からの仕入れルートを開拓。自社工場では製造しきれない種類の刃物をそれら協力先から仕入れ始める。また、2008年に第三種医療機器の免許を取得し、ハサミ製造で培った技術を基にデンタルツール(口内ケア商品)の製造販売を始める。2018年に次男の祐士氏に事業承継した
熊田会長には2人の息子がおり、祐士社長は次男だ。熊田会長も祐士社長も、長男が後を継ぐだろうと考えていた。しかし、長男は大手企業に就職し、結婚して東京で家族を持った。「長男が帰ってこないことが分かったので、次男が帰って来てくれないと困るなぁ」と思っていたところ、2014年に祐士社長が関市に戻って来ると申し出てくれたという。
祐士社長も大学を卒業後、大手電機メーカーに就職していた。「兄がいたので、このまま骨をうずめる気でいました。それでも、子どもの頃から家業を身近に見てきて愛着があったので、『兄が継がないなら自分が』と関市に戻ることを決めました」と祐士社長は話す。
入社後、オリジナル商品開発で力を発揮
家業を継ぐと決めた祐士社長は、「自分が社長になるなら、若手社員が生き生きと働ける活気ある会社にしたい」と考えていた。未来への希望を胸に戻ってきた祐士氏だが、7年ぶりに自社の工場を見て衝撃を受けた。
「息子が帰ってきて最初に、『僕が学生時代に手伝っていた頃のハサミとちっとも変わらないじゃないか』、と言うわけです。そういやそうだな、と思いました。でも、品質を守り長く続けていることも大事だと私なりにやってきたんです」と熊田会長にも言い分はある。
アニメ「刀剣乱舞」とコラボした日本刀型ペーパーナイフ
ただ、ハサミを作っている会社は他にもあり、「他社と同じ製品を作っているだけでは生き残っていけない」と祐士社長は考え、新商品開発に乗り出した。第1弾として祐士社長が2015年に開発したのが、若手社員とアイデアを出し合って生まれた日本刀はさみだ。この頃はインバウンド需要が旺盛な時期で、展示会を通じて観光物産の問屋と次から次へと取引が実現した。その後生まれたのが、2017年に開発した日本刀型ペーパーナイフだ。
これが「刀剣女子」と呼ばれる日本刀ファンの女性たちの間で人気となり、SNSで拡散され、大ヒット商品となった。そのほか、「ワンピース」や「新世紀エヴァンゲリオン」などの人気アニメともコラボして、特に日本好きの海外旅行客にヒットした。主要アニメとコラボできたのは、やはり関市のブランドと70年続けてきた老舗の信頼があってこそだろう。
2018年、事務所新設のタイミングで事業承継した。左が新社長の熊田祐士氏
熊田会長が祐士社長に事業承継したのは、2018年。「ちょうど私が70歳のタイミングでした。周りの同級生はみんなリタイアしており、私もそろそろ引退するような年齢になったんだなぁと思っていたんです。ちょうど老朽化した事務所を新設するタイミングで、移転の挨拶と同時に社長交代の挨拶も出したらいいかなと考えました。息子は34歳。私も若く社長になったので、特に迷いはありませんでした」
事業承継して約4年たったが、熊田会長は今も毎日、8時から17時まで出社して働いている。「同級生にはまだそんなに働いているのかと笑われるんですが、やっぱり楽しいですからね。何もすることがないと言っている同級生たちを見ていると、働けることはありがたいと思います。昔からずっと懇意にしている取引先4~5社は、引き継がずにまだ私が受け持っています。ツーカーの仲ですから。先方の担当者も高齢になってきているので、相手が変わるタイミングで、こちらも変わればいいかなと考えています」と話す熊田会長の仕事への意欲は衰えていない。
現在の仕入れ先のメインであるパキスタンの工場。コロナ禍までは、熊田会長は何度も現地に足を運んでいた
新型コロナウイルスの感染拡大の影響でこの2年間は海外に行けていないが、「今年こそは仕入れ先のパキスタンに行けるかなと楽しみにしているんです。販売のほうも気になっていて、早く韓国に行きたくて仕方ない」と目を輝かせる。
親子ゲンカも多いが、若い世代に任せていきたい…
新型コロナウイルスの感染拡大は、新社長が就任したばかりのニッケン刃物の業績にも大きな影響を与えている。ニッケン刃物は近年、祐士社長の開発した新商品により、これまでのBtoBだけではなく、BtoCにも新たな市場を開拓してきた。そのBtoCの売り上げを支えてきたのがインバウンド需要だったため、売り上げが激減してしまったのだ。例えば、人気だった日本刀型ペーパーナイフの売り上げは35%も落ちてしまった。
それでも祐士社長は父の日のギフトとして名入れペーパーナイフを商品購入型クラウドファンディングに出品するなど、積極的に新しいことに挑戦しファンを獲得している。かつての武将が使っていた名刀を精工に模した武将シリーズや、ギター型のハサミなど、新商品を次々に考案している。このような祐士社長の働きぶりに、熊田会長は「私にはこんなにいろいろなアイデアは出てきませんから、本当にありがたいと思っています」と笑顔を見せる。
[caption id="attachment_44335" align="alignright" width="300"] 上:実物を精巧に模した日本刀はさみ(織田信長タイプ)
下:2021年冬に売り出したばかりの楽器シリーズ[/caption]
そうした評価をする一方で、創業者の意志を継ぎ、堅実に事業を続けてきた熊田会長と、若手社員をどんどん採用し、新しいことに挑戦しようとする祐士社長は、意見が食い違うことも多いという。「考えが違うので、難しいですよね。しょっちゅうケンカをしています。社員たちの前では言い争わないと決めているのですが、帰った後は声を荒らげて大ゲンカになったりすることもあります」と苦笑する熊田会長。
ただ熊田会長には覚悟もある。「私の父が任せてくれたように、私も若い人に任せて引き下がらないといけないとは思っています。自分がいつまでもやれるわけではないですから。息子も、会社をいかに良くしていくか、若い人をどう育てていくかを考え、頑張っていることは見えるので、私も任せていきたいと思います」
これからの祐士社長には、「社員を大事にして、きちんとコミュニケーションを取って、会社を盛り上げていってもらいたい」と祐士社長に期待を寄せる。一方、祐士社長は「今後もオリジナル商品の開発をどんどん続けていきたい。若いアイデアで、ワクワクするような刃物を作る会社にしていきたい」と展望を語る。
そんな2人だが、実はまだ大きな課題が残っているという。「一番の悩みの種は株の譲渡です。実はまだ私が大半を持っている状態で、財産面の事業承継は終わっていないんです。利益が出ていると税金が高くなり、簡単には移せません。業績が思わしくない年もありましたが、その時はまだ息子が継ぐと決まっていなかったために移せませんでした。代替わりの時に私の保険を解約したりして、それがまた利益につながり税金を押し上げる形になってしまいました。株式譲渡のタイミングは非常に難しいです」。こうした経験を踏まえ、これから事業承継をする経営者には、早めに税理士に相談しながら進めることをアドバイスする。
さらに、「周囲に後継者がいなくて悩んでいる人はたくさんいます。親子承継は難しい面もありますが、私は後継者がいて、しかも一生懸命やってくれているので、本当にありがたいですし、幸せだなと思います」と、自らの承継を振り返ったうえで、次のように事業面の承継についてもアドバイスする。「今、会社があるということは、皆さんがやってきたことは失敗ではなかったということだと思います。ですから、ご自身の経験から良かったと思うことを、次期後継者に伝えてください。そして任せていく。それが事業承継なんだと思います」
毎日プールで泳ぎ、体を鍛えているという熊田会長。健康を維持しながら、大好きな仕事を継続していきたいと考えている。