エビス(足袋の製造・販売)
白記澄子(しらき・すみこ)
1973年大阪生まれ。神戸芸術工科大学を卒業後、広告制作プロダクション、博報堂を経て独立。2014年にエビスに入社し、6代目社長となる
事業承継のヒントを紹介する連載の第42回は、前回に引き続き「ゑびす足袋本舗」のブランドで足袋を製造するエビスのケース。1861年創業の老舗だが、5代目社長の経営により業績は悪化し、倒産の危機に陥った。そんな苦境に陥っていた上に、事業承継の準備を何もしていない状況で6代目社長に就任したのが、5代目社長の娘の白記澄子氏だった。どのようなプロセスを経て、事業承継を成し遂げたのだろうか。
2014年に社長に就任した白記社長は、「足袋のことはまったく分からない。でも、6年後に控えた東京オリンピック・パラリンピックでは、日本文化に光が当たるはずだ。そこがチャンスになるはず。とにかくオリンピックまでは頑張ってみて、それでもしダメだったらきれいにたためばいい」と覚悟を決めた。
まずは、財務状況を徹底的に洗い出し、クリーンな経営にするところから始めた。こうした財務の見直し、透明化は、本来、事業承継の準備として、先代経営者が必ず実行すべき項目だ。中小企業にありがちな経営者の公私混同による使途不明な支出などは、コンプライアンスの厳しくなった現在では許されない。それが発覚すれば、金融機関や取引先からの信用を失いかねない。
「過去に会社を興したが、一から作るほうがよほどラク。負の遺産を持った会社を引き継ぐのは本当に大変でした」と振り返る白記社長からも明らかなように、事業承継を契機として、過去の負の遺産を整理するのは先代の役割だろう。ただ、エビスのケースでは、負の遺産とはいえ外部からの借入金がほとんどなかったのは、事業承継をする上で非常にプラスに働いたのは間違いない。
同じ年に本社を移転。大所帯の頃のまま使っていた本社は家賃が高かったため、小さな賃貸物件に移った。そして、新しい本社の隣にアンテナショップを併設した。「足袋についての現状分析をしたところ、自分の足に合う足袋が見つからない“足袋難民”が多いと分かったんです。足袋の種類はたくさんあるが、それを知らない方が多過ぎる。触れる機会がない、それならば、お客さまに出向いていただけさえすれば、ご提供できる。お客さまの足を採寸し、お見立てする場所を作りたい。西日本には当時、その場でお客さまにお見立てするお店は1軒もなかった。また、お客さまが何を求めているかのリサーチにもなると考え、アンテナショップを開きました」(白記社長)。
2014年に大阪・玉造に開設したゑびす足袋本舗のアンテナショップ。口コミで評判が広がり、関東からも多くのお客さまが訪れるという
業績が悪化している状況では、財務の見直しや家賃などの経費の削減だけでなく、なんらかの新しいチャレンジも必要。ただ、外部から老舗企業に入ってきた人材がそれをやろうとすれば、周囲との摩擦が生じる可能性がある。スムーズな事業展開を考えるなら、先代社長のバックアップの下、入社した人材が新事業として取り組み、実績を上げて新社長に就任というプロセスが理想的だ。そうした形がとれなかったため、白記社長に心労が降りかかった。
それまでは呉服屋に足袋を卸すBtoBのビジネスモデルだけを展開してきたエビスにとって、消費者とじかに接するビジネスは初めての挑戦。そんな新たな改革を起こそうとする白記社長に抵抗する勢力もあった。「本社を移転して、さらにお店を出すとは何事か、女がしゃしゃり出てくるな、など、散々言われました。事情を知らない外部の人から見たら、私はいきなり会社に入ってきて、親を追い出して社長になった悪者なんですよ」と白記社長は当時を振り返る。
何かと因縁をつけてお金を支払おうとしない取引先もあった。数時間かけて集金に行くと居留守を使われる。中には、毎日電話を掛けてきて、罵声を浴びせる呉服屋の店主もいた。心身は疲弊し、毎日這うようにして出社していたというが、白記社長は「何とか、オリンピックまでは……」と自分に言い聞かせて踏ん張った。
新商品「こたび」で勝負…
[caption id="attachment_45689" align="alignright" width="200"] おしゃれに健康に履けるようにと開発した、日常使いもできる「こたび」[/caption]
突破口となったのは、オリンピックを見据えて開発した新製品「こたび」だ。鼻緒ズレ軽減に特化し、サンダルにも合う、土踏まずまでの丈の一風変わった形の足袋だ。
「着物を着る人は年々減少しています。着物を着る機会だけでなく、日常生活に足袋を取り入れられないかと考え、履くと足がきれいに見え、おしゃれでありながら健康になれるような足袋を目指しました。長年培ってきた技を集結し、ミリ単位で角度を探りながら作り、外反母趾や開帳足、むくみなどの軽減にもつながる足のアーチサポーター『こたび』が完成しました」と白記社長は説明する。
[caption id="attachment_45690" align="alignright" width="200"] 夏場の浴衣の最大の悩み、鼻緒ズレも「こたび」なら解消できる[/caption]
前職はデザイナーだった白記社長、本領発揮とばかりにデザイン性も重視し、2019年に「こたび」はグッドデザイン賞を受賞した。
宣伝費にかける予算はないため、Facebookで告知したところ、良い反響を得られた。しかし、これからさらにドライブをかけて売っていこうとしていたタイミングでコロナ禍に突入。ずっと目標にしてきたオリンピックの開催も白紙になってしまった。「さすがに心が折れかけた」と話す白記社長だが、作り上げてきた「こたび」には自信があった。
結婚式やお茶会など、イベントの開催がなくなったため、2020年の売り上げは8割減となったものの、2021年には売り上げが復活。アンテナショップも順調で、現在は直営店のほか、全国の百貨店などで定期的にお見立て会を実施し、お客さまとの接点を増やしている。
「そもそも足袋の需要が減っている中で、売り上げが伸びているのは奇跡のよう。2021年の夏場の3カ月間は、『こたび』は月に800足を売り上げました。医療品ではありませんが、お客さまから『膝・股関節の痛みが軽減された』『むくみが出なくなった』『外反母趾が治ってきた』『低体温症だったのが、体質改善された』などといった声も届きます。こうした声が一番うれしいですね」と白記社長は笑顔を見せる。
[caption id="attachment_45691" align="alignright" width="300"] 仏パリの展示会に出展。「こたび」は、海外でもファンを増やしつつある[/caption]
白記社長は「こたび」の他にも、レース足袋、くるぶし丈の「くるたび」、冬用のふわモコ足袋など、デザインと機能性を兼ね備えた新商品を次々に展開している。「今後は海外展開にも力を入れていきたい」と白記社長。まずはヨーロッパで拡大し、米国にも進出したい考えだ。海外の展示会にも、2022年から少しずつチャレンジできるようになった。仏パリの展示会に出展後、ゑびす足袋を取り扱うショップができた。
1人で抱え込まず、専門家に頼ろう
先代からの引き継ぎなしに社長に就任したが、新事業を軌道に乗せて、何とか事業承継を果たした白記社長。その苦労を聞くと、事業承継における準備の大切さがよく分かる。
ただ、いくら準備が大切とはいっても、先代社長のアクシデントなどで、白記社長のように、何の準備もなく事業承継に挑まなくてはならない場合もある。そんな場合のアドバイスを白記社長に聞いてみた。
「会社を立て直すための新しいチャレンジをするには、やはり資金が必要です。私は中小企業向けのさまざまな支援があると知りませんでした。まずは自治体や商工会議所のアドバイザーを頼って、ぜひ相談してみてほしいと思います。アンテナショップの開業も、ホームページ制作も、お金がないからできるだけ自分でやろうとして、へとへとになりました。今思えば補助金を使い、プロにお願いできたはずです」。こうした資金繰りは、先代と力を合わせた事業承継でも生かせるだろう。
白記社長は、「理不尽な目に遭ったときは、専門家に頼るのが一番」ともアドバイスする。「例えば、毎日電話をかけて嫌がらせをしてきた呉服屋の店主については、弁護士に相談しました。『弁護士さんに相談させていただき、しかるべく対応を取らせていただきます』と伝えたら、その日から電話はピタっと止まりました。これに限らず、最初は自分が何とかしなければ、と孤軍奮闘していましたが、ここ数年はようやく周囲を頼れるようになりました」。経営者といえども万能の存在ではないだけに、時には周囲の力を借りる姿勢も大切だ。
「老舗ののれんを守りたい一心で、頑張ってきました。途中で投げ出すという選択肢は私にはなかった。他の手段を考える余裕がなかった」と振り返る白記社長。「こたび」も好調で、手応えをつかみつつある。
「足袋を存続させ、のれんを守りながら健康に寄与する会社にし、弊社のように困っている会社は日本に多くあるはずなので、その会社の手助けになるようなコンサル業務を担える部署も作っていきたい」(白記社長)
白記社長はこれからも奮闘を続ける。