廃業寸前だった着物の製作所は、なぜ13年間も続いた赤字経営を黒字に転換することに成功できたのでしょうか?「OKANO」五代目社主の岡野博一氏に話を聞きました。
<目次>
・市場が縮小し続ける呉服市場で、なぜ黒字化に成功したのか?
・日本の伝統工芸品は、海外のブランドと比べて〇〇が高過ぎる
・「一人前になるまでに10年」を1年に短縮
・「DXを推進する」といわずにDXを推進する方法とは
・文化はもうかる!
市場が縮小し続ける呉服市場で、なぜ黒字化に成功したのか?
日本には数多くの伝統工芸品が存在しますが、福岡県福岡市の博多地区で作られている「博多織」もその1つです。
博多織は、しなやかさと丈夫さが特徴の絹織物です。鎌倉時代の1241年を起源とし、江戸時代には幕府の献上品としても扱われ、以来現在まで700年以上続く歴史を誇っています。1976年には、国の伝統的工芸品に指定されました。
株式会社岡野
代表取締役社長
岡野 博一氏
この博多織を、「OKANO」というブランドで製造・販売するのが株式会社岡野です。同社は1897年に創業した伝統のある着物の製作所ですが、長らく赤字経営が続いていました。しかし、OKANOの五代目社主であり、同社代表取締役社長も務める岡野博一氏は、社長就任後にさまざまな改革を推し進めることで、13年間も続いた赤字経営を黒字に転換することに成功しました。
「呉服はもともと庶民の着物ではありませんが、戦後復興の経済成長によって庶民でも買えるようになり、市場は一時的に拡大しました。とはいえ、その後は呉服市場を支えてきた消費者の高齢化や団塊世代のお金の使い方の変化、少子化などの影響を受け、市場は縮小し続けています。私が26歳で社長に就任した当時も売り上げは芳しくなく、廃業寸前の状況でした」(岡野氏)
なぜ岡野氏は、廃業寸前だった博多織のビジネスを立て直せたのでしょうか?
日本の伝統工芸品は、海外のブランドと比べて〇〇が高過ぎる
岡野氏が伝統工芸の世界に入ったのは1999年のこと。当時の岡野氏はすでに大学を卒業しており、人材コンサルタント会社を設立・経営していましたが、家業であった博多織の事業が廃業寸前だと知り、26歳で事業を引き継ぐことを決断します。
この決断の背景には、岡野氏ならではの勝算がありました。
「事業引き継ぎの前に、世界の伝統工芸ビジネスの市場調査を実施しました。国内では多くの伝統工芸が衰退しつつあったものの、海外には顧客のニーズの変化や内需縮小を見越し、輸出を前提としたビジネス戦略やマーケティング施策を打ち立て、ビジネスとして成功を収めたケースが多く見られました。
例えばフランスの『エルメス』もその1つです。エルメスはもともと馬のくらを作っていた工房ですが、エルメスのファンは『エルメス』という名の下に作られたスカーフや香水も欲しがります。これこそが、ブランドを売るビジネスモデルです。事業を継承するに当たって、商品を売るのではなく、ブランドを売るという意識改革を実行し、『OKANO』というブランドのアイテムのファンを作るべきだと思いました」(岡野氏)
岡野氏はさらに、エルメスのような海外のラグジュアリーブランドと、日本の伝統工芸の経営手法の違いにも着目。財務諸表を調べたところ、日本の伝統工芸品の原価率は、海外ラグジュアリーブランドの2倍ほど高かったといいます。つまり日本の伝統工芸品は、販売価格に対して原価の割合が高く、利益が上がりにくいビジネスモデルだったのです。
「なぜ日本の伝統工芸品の原価率が高いかというと、日本は職人が一気通貫で制作しているのに対して、ラグジュアリーブランドは分業体制を取っているからです。
利益率の高いビジネスになれば、職人の報酬も高く設定できるため、より仕事に打ち込める環境になります。若い人材も採用しやすくなるため、職場環境に好循環が生み出せます。しかし日本では、原価率が高いため職人に還元される報酬も少なくなります。そうした状況が続けば、職人の仕事に対するプライドも徐々に失われ、若い人材の育成も難しくなってしまいます」(岡野氏)
「一人前になるまでに10年」を1年に短縮…
改革の必要性を痛感した岡野氏は、ものづくりの現場における業務効率を上げるために、さまざまな施策を打ち立てます。
その1つが、言葉や測定方法の統一とマニュアル化でした。
「地元の職人たちの話を聞いていると、彼らが使っている言葉や鯨尺(布を測るための物差し)が、その職人ごとに異なることに気付きました。そこで、言葉の意味や測り方を統一して、可能なものからマニュアル化・システム化しました。これにより仕事の効率は、おおよそ10倍程度上がったと見ています」(岡野氏)
さらに、若手の職人の育成にも力を入れました。
「私が入社した当時、博多織を1人で織れるようになるまでは10年かかると言われていました。しかし、『若手を早く一人前にすることも職人の仕事の1つ』と位置づけ、新人に教えることで評価も上がる文化へ徐々に変えていきました。その結果、今では入社1年の若手でも、博多織を織れるようになっています」(岡野氏)
「DXを推進する」といわずにDXを推進する方法とは
岡野氏は製造工程だけでなく、販売にも力を入れました。現在OKANOでは福岡と東京に直販店を、ネットではオンラインショップを構えており、伝統工芸の世界では珍しく、企画から製造、販売までを統合して行う「SPA(製造小売業)」のビジネスモデルを採用しています。
「オフラインとオンラインのどちらのチャネルでも、欲しい商品を買えるような体制を整えています。例えばオンラインショップでは、職人が顧客に対し、ネット経由で直接商品を説明することも可能です。店舗では、POSシステムと本社の在庫管理システムをリアルタイムで結んでいるため、在庫管理はもちろん、いつどこでどんな人が何を買うのかといった情報を参考に商品を開発することも可能です。現在は、デジタルで顧客と生産現場をつなぎ、完全受注生産を実現する方法も実験しています」(岡野氏)
OKANOではさらに、新商品のストールを販売する際にクラウドファンディングを活用。目標金額を達成したといいます。
「クラウドファンディングの目的は資金調達ではなく、どんな人がどの程度の金額で、博多織のストールを購入するのか検証することでした。伝統工芸界ではとかく“消費者はこの商品を欲しがるだろう”という臆測で生産しがちです。しかし、ビジネスとして商品を売り出すには、消費者が欲しいものを直接確認すべきです。弊社では、費用負担を軽減しつつ、新たなニーズを調査できるデジタル技術を重宝しています」(岡野氏)
このように新たなデジタル技術の導入に積極的な岡野氏ですが、従来とは異なるやり方を次々にスタートすることで、従業員からの反発はなかったのでしょうか?
「特に反発はありませんでした。これは私が『DX』という言葉を一度も使っていないためだと思います。デジタル化を推進するためには、『DXを推進する』といった曖昧な説明ではなく、何のためにデジタル化をするのか、その目的を伝えることが大切です。
私はデジタル化を推進するに当たり、職人たちに対して『DXを導入する』ではなく、『仕事がより楽になり、商品の質が上がり、他の仕事が楽しくなるからデジタル技術を導入する』と説明しました。小売りの現場に対しては、『デジタル化によって顧客満足度が上がる』と話し、納得してもらっています」(岡野氏)
文化はもうかる!
苦境にあえいでいた博多織のビジネスをさまざまな改革で復活させた岡野氏ですが、日本の伝統工芸をビジネスに転換していくためには、まだまだ足りないものが多いと分析します。
「いくら良いものを作っても、ビジネスにならなければ、資本主義経済の中では残っていけません。『音楽』と『音楽ビジネス』が違うように、『文化』と『文化ビジネス』は違うはずです。この『文化ビジネス』とは何なのかを理解している人が、非常に少ないと感じています。
もしかしたら『文化はもうからない』と考えている人も多いかもしれませんが、フランスを例に見れば、むしろ『文化はもうかる』のは間違いありません。日本の伝統工芸の復活のためには、『文化ビジネス』を手掛ける優秀な人材がもっと育つことが必要と考えます」(岡野氏)
岡野氏はむしろ伝統工芸の世界にこそ、ITなど最新のデジタル技術を取り入れるべきと主張します。
「そもそも織物産業は、機械の発達と共に発展してきました。その歴史を考えれば、人が行う必要のない作業や手作業よりも良い品質に仕上がる工程は、機械に任せるべきといえます。中には“機械に仕事を取られる”と危惧している人もいるかもしれませんが、全てが取って代わられることはありません。むしろ、機械ではなく手作業でなければ仕上げられない部分にこそ、人間の力が必要になってきます。
伝統とは、革新が連続して残ってきたものです。よって、変わり続けることは当然です。伝統的工芸品とデジタルの組み合わせは、さまざまな可能性が引き出せる、非常に相性の良いものだと思います。ITと伝統工芸界のコラボレーションが、これからもより加速することを期待しています」(岡野氏)
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