農林水産省が旗振り役となって進めている「農業DX構想」。ドローンの活用や農作業の自動化などは比較的イメージしやすい取り組みといえますが、DX推進によって得られるメリットを把握しきれていない農業従事者も多いのではないでしょうか。本稿では「農業DX」の必要性や、実現に向けてどのような取り組みがなされているのかを紹介します。
コロナ禍で62.0%の消費者が自宅で食事、業務用農産物へのニーズが低迷
まずは、消費者の立場から見ていきましょう。戦後の高度成長を経て、1980年ごろに形成された「日本型食生活」は、主食である米に水産物、野菜、畜産物などが加わったもので、栄養バランスがよく、国際的にも評価されてきました。ところが、農林水産省が2011年に発表した「我が国の食生活の現状と食育の推進について」という資料の中では、米や野菜の消費量が減少していることが指摘されるようになりました。
また、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大は、日本人の食生活と健康に対する考え方に変化をもたらしました。例えば、農林水産省の「食育に関する意識調査」(2020年12月)によると、2020年4月以降において「自宅で食事を食べる回数」や「自宅で料理を作る回数」が「増えた・広がった」と回答した割合は62.0%と、全体の過半数を占めていることが分かります。在宅ワークの普及などにより外食需要が低迷したこともあり、業務用の農産物の需要は大幅に減少しました。
一方で、現場では農業そのものをいかに継続するかという課題に直面しています。その背景には労働力不足の深刻化があり、現場では人手や熟練者のノウハウに依存せず作業を進める方法、省力化、人手の確保、負担の軽減などを模索しています。
消費者が持つ、食に対する意識の変化と農林水産業の課題を踏まえて、昨今では「農業DX」の必要性が叫ばれています。農林水産省は日本の農業における課題を解決すべく、農業DXへの着手を促しています。深刻化する課題の解決に当たり、DXによる飛躍的な生産性向上は急務といえるでしょう。
データを活用している農業経営体数は12.0%にとどまる
2020年3月に閣議決定された「食料・農業・農村基本計画」では、デジタル技術を活用したデータ駆動型の農業経営によって、ニーズに対応した農業(FaaS:Farming as a Service)への変革を推進するさまざまなプロジェクトを「農業DX構想(仮称)」としています。同資料では農業DXの実現に向けた基本的な考え方とプロジェクトの内容をまとめており、農業関係者に農業DX推進の大枠を提示しています。そして、デジタル技術を導入したものの、十分活用されずに農業が衰退することのないよう、農業の本来の存在意義から農業DXの必要性を強調しています。
同計画における基本的な方針の1つが、スマート農業の加速化です。スマート農業とは、AI(人工知能)やロボット、IoT(モノのインターネット)などの先端技術を活用した農業をさします。
例えば、ロボットトラクタ(自動走行可能なトラクタ)やスマートフォンで操作する水田の水管理システムなどの活用により、作業を自動化することで省人化を図れます。さらに、ドローン・衛星のセンシングデータや気象データのAI解析などによって、農作物の生育状況や病虫害を予測できます。
農業DXは今後の食生活に欠かせないものですが、推進にはいくつかの課題が存在します。その中でも代表的なものは、新しいテクノロジーをいち早く現場に適用することです。
IoTやAI、スマート農機など最先端のデジタルテクノロジーや機器を活用したさまざまな取り組みが進められていますが、現時点ではその多くが実証段階にあります。
実用に向けては、新たな技術・機器の社会実装や、通信やデータを活用し得る環境の整備の推進が喫緊の課題といえます。
ここで、データ活用の実情を見てみましょう。「2020年農林業センサス」によると、データを活用している農業経営体数は18万3000件ほどにとどまっており、これは全農業経営体に占める割合でいうと2割に満たない数字です。全国的な農業DXは実現していないことが分かるでしょう。
農業DXは離れた地域に暮らす人々をつなぐ基盤づくりに役立つ
2022年2月時点ではまだ農業DXは十分に普及していません。しかし、これを推進することで多くのメリットが得られます。
例えば、次世代シークエンサー(DNAを構成する膨大な塩基配列を解読する装置)などのゲノム解析技術で、土壌の生物性(土の中の微生物や有機物の量と活発さ)を定量的に評価できれば、有機農業の優位性を消費者に訴求できる可能性があります。
また、農業従事者の高齢化や人手不足により、個々の集落が単独で農業を継続することが困難な地域が増えています。これに対してインターネットやSNSを駆使することで、これまで接点のなかった各地域の住民や異業種の人材をつないだり、農村地域における起業を促進したりするプラットフォームも生まれています。
さらに、鳥獣の侵入の検知・防止、追い払い、捕獲などについては、情報通信技術などを駆使した実証や社会実装が進展しつつあります。農業基盤整備においては、センサーやドローンなどのデジタル技術を活用した農業水利施設の日常的な点検、機能診断、監視の省力化、データ分析による保全管理の効率化が可能になると期待されています。
農業DXの実現に向けた多様なプロジェクト例…
ではここで、農林水産省による主導の下に取り組まれている農業DXのプロジェクトをいくつか紹介しましょう。
●スマート農業推進総合パッケージ
生産現場におけるデジタル技術の活用プロジェクトである「スマート農業推進総合パッケージ」では、スマート農業の実証や成果の広報をめざして下記のようなものを推進しています。
・農業機械のシェアリングなど新たな農業支援サービスの奨励
・データの活用や農地インフラなどの整備・農業高校などにおけるスマート農業教育
・アウトリーチ活動(スマート農業の海外展開に向けた調査や研究開発の支援、技術導入に向けた取り組みの推進)の強化
●eMAFFによる農業従事者への作業・資金支援
「農林水産省共通申請サービス(以下、eMAFF)」の認証基盤を活用した農業従事者への作業支援、資金調達など、各種サービスの提供方法に関するプロジェクトも進められています。
このプロジェクトでは、2021年度からeMAFFを本格的に運用しつつ、申請者・審査者の増加に対応可能なシステムの開発を推進しています。申請者・審査者の要望に応じた機能の改善により、オンライン利用率の向上をめざす取り組みも実施されています。
今後は「令和7年度までのオンライン利用率60%」というKPI(Key Performance Indicator)の達成に向けて、半年に1度、eMAFFの利用者から意見を聞く機会を設け、年度途中であっても可能な限り当年度のシステム開発に反映する方針を定めています。
●農林水産省地理情報共通管理システム
同じく、2022年度に運用開始する「農林水産省地理情報共通管理システム(eMAFF地図)」については、現場の農地情報を統合し、経時的変化を含めたデータの保管・管理の実現をめざしています。このシステムにより農地情報がデジタルデータとして統合されることを踏まえて、農地の利用状況の確認、適地適作の推進、農業機械の自動運行などの活用方法が想定されています。
●農山漁村発イノベーション全国展開プロジェクト
農村振興に関するプロジェクトとしては、「農山漁村発イノベーション全国展開プロジェクト(INACOME/イナカム)」があります。このプロジェクトでは、起業家間の交流や学習などを支援するプラットフォームを運営。農山や漁村が抱える地域課題に対して解決策を提示する起業者を募集しており、マッチングまでをサポートしています。併せて、地域資源の活用や循環経済の実現など、農山漁村の地域経済を活性化させるべく、今後は農林漁業以外の多様な人材をつなぐプラットフォームへの発展も検討中です。
●スマート農業実証プロジェクト
ロボット、AI、IoTなど先端技術を活用した、スマート農業の社会実装を加速させる足掛かりとなるのが「スマート農業実証プロジェクト」です。AI・ロボット・IoTなどの先端技術を生産現場に導入して技術を実証しつつ、ツールやソリューションの導入がもたらした経営への効果を明らかにすることをめざしています。同プロジェクトは1999年度から開始しており、2021年時点では全国182地区において実証を行っています。
●データ活用人材育成推進プロジェクト
農業DXの推進には、農業政策や行政内部の事務作業もDXを進め、データに基づく分析・予測・検証を繰り返すことが不可欠です。そこで農林水産省では、職員のデータリテラシー向上や、行政組織内のデータサイエンティストの育成に向けた「データ活用人材育成推進プロジェクト」も進めています。
すでに農林水産省ではCSF(豚熱:豚や猪に感染する伝染病。致死率が非常に高い)における経口ワクチンの効果検証のデータ整理・分析にBIツールを活用しています。BIツールの活用により作業時間が大幅に短縮され、県や市町村などのデータ単位やさまざまな条件を組み合わせた分析が容易になりました。
農業従事者の作業時間が8割近く削減された事例も
上述した多様なプロジェクトを通して、ドローン農薬散布により作業時間を平均81%削減、自動水管理システムで平均87%の作業時間削減など、作業負荷の軽減や生産性向上などにつながるさまざまな成果が確認されています。
そして、今後農業DXを展開していくためには、農林DXの主体となる人材がそれぞれの役割を果たすことが重要です。例えば、農業従事者・食品事業者などは、デジタル技術を活用して消費者・利用者に優れた顧客体験を提供すること、IT企業・アグリテック企業などには、農業従事者や食品事業者に優れたデジタルツールやソリューションを提供することが求められます。
国・地方の行政機関や各種の研究機関は、農業従事者やIT企業・アグリテック企業などが活動しやすい環境を整備したり、経営に有用な制度、資金、技術、知見などを提供したりする役割を担います。
農業DXを推進するための4つのポイント
最後に、農業DXプロジェクトを加速するために押さえるべきポイントについて触れましょう。
1つ目のポイントは、実証した新技術や開発した行政サービスなど、プロジェクトのアウトプットを消費者・利用者へ行き渡らせること、「デジタル技術により便利になった」、「デジタル技術を自分も使ってみよう」と思わせることです。そのためには、これまでデジタル技術に触れる機会が少なかった人でも、扱いやすいものを提供しなければなりません。
また、実際に使用して利便性を実感してもらいながら、消費者・利用者の声を反映して運用の改善を継続的に図る必要があります。
2つ目のポイントは、社会の変化やデジタル技術の進歩に対して、迅速かつ柔軟に対応することです。現在活用可能な技術やサービスを駆使して課題解決を図り、試行錯誤して成果を迅速に反映させることで、変革を積み重ねていくことが重要となります。また、検証結果に基づくKGI(Key Goal Indicator)およびKPIの設定も求められます。
3つ目のポイントは、農業・食関連産業以外の分野とも連携を取ることです。他分野の人材との意見交換や農業に関連する技術の勉強などを通して、農業DXが他の分野にどのように影響するのかが見えてくるでしょう。
さらに、他業種との連携で得られる効果を検討することも重要です。この取り組みを通して、農業DXによる費用対効果や効率性を確保できるよう、関係省庁や各ステークホルダーと連携して対応できるようになります。
4つ目のポイントは、データマネジメントの本格的な実施です。農業や食関連産業のDXを推進することは、今後これらの分野においてデータ駆動型の経営を実施することを意味します。そしてその実現には、
・オープンデータ・バイ・デザイン※の徹底
・機械判読性の強化
・既存データのクレンジングやデータ項目の標準化
・データ連係の検討など、データを効率的・効果的に活用できる環境整備
が必要です。また、データの改ざんなどを防いだり個人情報を保護したりするためのセキュリティ対策も欠かせないでしょう。
このような背景を踏まえ、農林水産省では、省内におけるデータマネジメントのための体制を整備する予定です。そしてデータマネジメントが実現した体制の下、「データ戦略タスクフォース第一次とりまとめ」など、政府が打ち立てたデジタル戦略にのっとり、各省庁とも連携しながら、データの品質保持や活用の促進を図る方針です。
以上のように、農業DXは農業従事者以外の関係者やIT企業などを巻き込み、今後の日本の農業を支えていくための試みです。省人化や効率化も重要ですが、農業DXによって得られるデータ駆動型農業の実施や他産業との連携などのメリットについても、検討してみてはいかがでしょうか。
※公共データについて、オープンデータを前提として情報システムや業務プロセス全体の企画、整備および運用を行うこと
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