国内外で愛される日本酒「獺祭」ですが、誕生当初は多くの困難が待ち構えていました。しかし3代目蔵元の桜井博志氏は、デジタルの力を活用するなど改革を推し進めました。
「獺祭(だっさい)」といえば、山口県岩国市に拠点を構える旭酒造株式会社が製造する、日本酒の代表的な銘柄のひとつです。その評判は日本国内にはとどまらず、フランスで開催されている日本酒コンクール「Kura Master」では、同コンクールが始まった2017年から4年連続で金賞に輝いています。
旭酒造は古くからから酒造りを行ってきた、歴史と伝統のある酒造メーカーです。しかし、3代目の蔵元である桜井博志氏が会社を引き継いだ1984年当時は、まだ獺祭も生まれておらず、売上高も1億円に満たない、地元でも4番手程度の小さな造り酒屋だったといいます。
純米大吟醸は、原材料を白米、米こうじ、水のみとし、さらに米の精米歩合(精米して残った米の割合)は50%以下とし、低温でゆっくりと発酵させる「吟醸造り」を採用するなど、通常の日本酒よりも製法の条件が厳しい反面、香り高さと濃厚な味わいが特徴です。
「1960年ごろ、日本酒はとても高価なものでした。職人の日当で、2級酒の一升瓶が1本買えるかどうか、というほどでした。ところが、私が酒蔵の社長になった1984年には、日本経済が発展したこともあり、職人の日当で20~30本も買える時代になっていました。
こうした時代に、これからの日本酒、ひいては私たちの酒造りはどうあるべきかを熟考した結果、『酔わせることではなく、味わい、楽しんでもらえるお酒を造りたい』という考えに至り、新たな純米大吟醸酒を作ることに挑戦しました。このコンセプトで生まれたのが、獺祭です」(桜井氏)
獺祭を開発し始めた当時の日本酒業界では、「純米大吟醸」という概念こそあるものの、実際には存在していないに等しい「幻の日本酒」だったといいます。そんな中で生まれた獺祭は、1990年に東京向けのプライベートブランドとして誕生しました。
獺祭は徐々に市場から評価されるようになったものの、ビジネスとして成功させるには、さまざまな壁を乗り越えなければなりませんでした。その“壁”の象徴的だった出来事は、日本酒造りの基本である「杜氏(とうじ)制度」からの脱却です。
当時の日本酒の製造法といえば、 “杜氏”という外部の専門職人を雇い、その下に“蔵人”という職人が付いて仕込みをするのが一般的でした。しかし旭酒造は、ある理由で杜氏も蔵人もいなくなってしまいました。
「1990年代半ばから、業界で獺祭への風当たりが強くなりました。というのも、ある大学の先生からは『純米大吟醸は芸術品のようなもので、たくさん作るのは杜氏に対する冒瀆(ぼうとく)だ』と非難されてしまいました。しかも当時は経営もうまくいっていなかったこともあり、杜氏さん、蔵人さんに逃げられてしまいました」(桜井氏)
勘や経験はデータ化できる
杜氏も蔵人もいなくなってしまった旭酒造は、日本酒の製造過程を自社の社員で担う「内製型」に切り替えました。
一般的に日本酒の味と品質管理は杜氏の経験と勘に左右されますが、同社ではタンク内の温度やこうじを作るときの時間・温度経過のデータを見ながら対応しているといいます。
「日本酒は、水に浸した蒸米にこうじ菌と酵母菌が取り付くことで作られます。そのため水と温度の管理がとても重要になり、もろみ(発酵中の液体)を発酵させるには、0.1度単位での温度調整や秒レベルの時間調整が必要です。こうじ菌と酵母菌にとって最適な状態を保つには、データが必要不可欠でした」
さらに、日本酒の味を左右する発酵にも時間をかけ、もろみから生酒を造る「上槽」作業に、日本で初めて遠心分離機を導入。冬場に仕込む伝統的な日本酒の作り方も変え、自社工場内にある小さなタンクを使って年間3,000回以上仕込みをするなど、数々の改革を進めました。
こうした改革の結果、旭酒造では獺祭を安定供給することに成功。多くのファンと世界に通用するブランド力を獲得し、2021年度時点における旭酒造の売り上げは141億円。これは桜井氏が社業を継いだ当時の売り上げの約150倍です。
「1973年からずっと日本酒業界の売り上げは落ちているにもかかわらず、当時の多くの酒造メーカーはビール業界をまねて、大規模生産型の酒造りを信奉し、コストカットを重ねてきました。その結果として品質が落ち、売り上げが減少してしまいました。
ですが、酒蔵にとって製造は一番大事な部分です。やっぱり自社の社員が作るべきだと思います。私たちはある意味、普通の企業を目指しただけです。
今になって振り返ると、あの時に杜氏さんや蔵人さんが残っていたら、現在ほど旭酒造を発展させられなかったと思います。彼らが去ったため危機的な状況ではありましたが、結果として『おいしさを追い求める』という私の理想の酒造りにまい進できました」(桜井氏)
[caption id="attachment_48883" align="aligncenter" width="400"] 「おいしさを追い求める」旭酒造の製造現場[/caption]
何でもデジタル化すれば良いというわけではない
酒造りにデータを活用している旭酒造ですが、一方でアナログな手法も引き続き活用しています。例えば紙を酒蔵の壁に貼り出し、手書きで温度などのデータを記入しています。これは従業員がデータを“読む”ために行っているといいます。
「データはパソコンの中でも管理していますが、画面だと一覧性がないため、紙でまとめたうえで判断を行っています。
せっかくデータを取得しても、人間がそれを判断できる状態にならないと意味がありません。私たちが気付いていないだけで、データの中に現れていない現象もたくさんあると思っていますし、データの流れから今後どのような現象が起こり得るか推測し続けなければなりません。
AIも試してみましたが、酒造りに関してはまだ人間には勝てませんね。何でもデジタル化すればいいほど甘い世界ではありません」(桜井氏)
現状維持ではいけない。真面目にモノづくりに取り組むべし
旭酒造ではさらに生産を強化する方針を打ち出しており、本社近くに新しい工場を建てる計画を立てています。それを見据えて、優秀な人材を確保するために、今後5年間で社員の給料を2倍にし、来年の新卒社員の給与を30万円に引き上げることを明かしました。
「当社では酒造りをする際に、効率化よりもまず人を大事にしてきました。旭酒造は地方の酒蔵ですが、日本酒業界では最も多くの製造スタッフを抱えています。本当に良いものを作るときは、良いスタッフを集めなければなりません。外資系の会社に負けないような、優秀な社員を集めたいと思っています」(桜井氏)
採用基準としては、文系・理系は問わず、お酒が飲めなくても問題はないとのこと。ただし研究職は採用せず、海外での販促も含めて酒造の現場に出ることを求めています。
「人生の中でどういう仕事をするかは大事ですから、損得や打算で就職先を決めるのではなく、業務内容を愛せるか、自分にとって良い明日が想像できるか、という判断軸で決めてほしいと、面接の際には話をしています。社内でも同じ価値基準を共有してほしいと思っています」
桜井氏によって大きく飛躍した旭酒造では、2016年から4代目の社長を桜井一宏氏が務めています。一宏氏は「Forbes JAPAN 100」2021年“今年の顔”に選ばれるなど、世代交代が進みつつあります。
獺祭はすでに海外での売り上げが国内を超えており、2018年にはパリにレストラン『獺祭・ジョエル・ロブション』をオープン。今年10月にはニューヨークに酒蔵を完成させ、来年頭をめどに現地での生産と販売を開始する予定となっています。
桜井氏に、日本企業に対するメッセージと、同社のこれからの方針を聞いたところ、キーワードとして出てきた言葉が「モノづくり」でした。
「日本の企業は30年前に立ち返って、まじめにモノづくりに取り組むべきだと思います。海外の後発メーカーと価格で勝負していたのは過去の話です。アジアの国々も所得が上がり、日本酒も2020年には過去最大の海外売上高を記録しました。現状維持ではいけないということをきちんと認め、その上で努力を積み重ねれば成功する道はいくらでもあると思います
私たちは『最高の酒』を目指します。最高の酒をお客さまに飲んでいただきたいし、酒造のメンバーには日本酒の品質向上を追及し続けてほしい。今はグローバルにお酒が売れる、つまり世界をマーケットにできる時代になったので、世界中のお客さまにもっと獺祭を知っていただきたいですね」(桜井氏)
旭酒造株式会社
旭酒造代表取締役会長
桜井博志(さくらい ひろし)
1984年に、2代目蔵元であった父の逝去を受けて旭酒造の3代目蔵元に就任。2016年より現職。純米大吟醸「獺祭」を開発し、倒産寸前だった酒蔵を急成長させるとともに、日本酒造りに革命を起こす。EY Japanのアントレプレナー表彰制度「EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー 2021 ジャパン」に選出されるなど、企業経営者としても内外で高く評価されている。
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