東京の桜が満開となった3月下旬、八ヶ岳はまだまだ雪に覆われ、冬山の様相をとどめている。しかし、その麓は梅の花が咲き、田んぼのあぜにはホトケノザやナズナも花を開き始めた。都市部に比べるとゆっくりではあるが、春は山麓にも来ている。
私たち家族はこの春、定住を考えて、八ヶ岳が望める北杜市の土地を購入した。以前は畑として使われていたものの、ここ数年は空き地になっていたところである。八ヶ岳の裾野に当たるため、周辺は緩い南向きの傾斜地で、水田や畑の中に集落が点在している、まさに「山里」のイメージそのもののような場所だ。「山麓生活のススメ」というタイトルでありながら、まだ家はなく、実際に生活するようになるのはもう少し先のこと。しかし、移住するまでの過程を含めて気長に、そして一緒に楽しんでもらえたらと思っている。
私たち家族は現在、山梨県甲府市に住んでいる。「山岳ライター」を名乗り、趣味である登山を仕事としている私と、登山を通じて知り合ったビジネスパーソンの夫、そして生後10カ月になった長男・ガク(「岳」をイメージしたニックネーム)の3人である。同県内で「移住」というのもはばかられるが、私も夫も県外出身で、山梨での生活はまだ5年足らずなので、よいことにしてもらおう。
当初から、いずれは2人の趣味である山を近くに感じられ、自然豊かな地で暮らしたいという夢はあったものの、生活の便利さを優先して、結婚を機に甲府に住み始めた。この場所を選んだ理由は、夫の会社や甲府駅にも近いこと、そして周囲が田んぼや畑で開けていることなどである。その頃私は仕事の打ち合わせのために頻繁に東京へ行っていたので、自宅は特急「あずさ」が停まる駅の近くというのが必須条件と考えていた。
マイホームを持つと、基本的にはその土地に根ざして生活をすることになる。夫は若いうちから(とはいってもすでにアラフォーだったが)1カ所に縛られることに抵抗を持っていたので、夫婦2人の生活では賃貸のほうが気楽だという思いもあった。時々、山の近くで暮らしたいという夢を語ることはあっても、現実のこととして具体的に描くまでには至らずに数年が過ぎた。
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購入した土地でピクニック?今は何もないこの場所は今後どのようになっていくのだろう[/caption]
そんな状況を一変させたのが、私たちの初めての子ども、ガクを授かったことである。おなかが大きくなるにつれて、これから3人となる生活をリアルに想像するようになってきた。
まず考えたのが、今の環境で子育てができるかどうかだった。現在はマンション暮らしで、小中高共に学校が近く、それほど遠くない場所にスーパーもいくつかある。環境としてはとても暮らしやすいが、問題はマンションの狭さだ。一部屋は私の事務所、そしてもう一部屋は膨大にある山やキャンプ道具などの収納に使っているため、生活スペースが少なく、子どもが生まれたら手狭になることは目に見えている。さらに、子どもの泣き声や足音など、階下や隣室に気を使いながらの生活が窮屈なのではないかと考え、一軒家に住むことが視野に入ってきた。
そして、もう1つ、子どもに「自分の育った場所」をつくってあげたいと考えた。庭の片隅に秘密基地を作ったり、昆虫を追いかけたり、動物と触れ合えるような環境だったら、私たちも子どもも楽しそうだなと想像した。周囲の木々や山、川の景色から季節を感じられるような場所で暮らしたいという思いが急に、そして大きく再燃してきた。
こうして今から約1年半前、私たちは新しい暮らしの場所を本格的に探し始めた。
山野を彩る季節の植物たち〜ホトケノザ〜
春、道ばたや畑の隅、公園など、どこにでも見られる花だけれど、ちょっと目を近づけて見れば、かなりおもしろい形をしている。力強く伸びた筒状の首の先に、唇のように開く花弁。下唇の先は逆ハート型の飾りのようで、濃い赤紫の点がかわいらしさに輪をかける。閉塞花といって花が開かず、自家受粉でも結実する仕組みを持っていることも興味深い。種にはゼリー状のアリが好む成分が付いていて、アリによって運ばれるのだとか。ちなみに春の七草に数えられる「ホトケノザ」はこの花ではなく、コオニタビラコというまったく違う植物だ。
*掲載の記事は2021年3月30日時点のものです