理想の場所だと思われた中古住宅の契約が白紙になって間もなく、無事にガクが生まれた。しばらくは「ミルク!」「おむつ!」「ミルク!」と夜も昼も容赦なく泣いて求める新生児の世話に必死で、移住どころではない。しかし、数カ月たって、少しは育児に慣れてきた頃に活動を再開。再び、休みのたびに移住先探しをするようになった。その頃には、めぼしい中古住宅はすでに売り切れていたので、土地探しに切り替えた。まっさらな土地に家を建てるとなれば、中古住宅より金銭的にも精神的にも負担は大きくなるが、それはそれで夢が膨らむ。
自分たちが求めるのはどんな場所?
山間部の土地にターゲットを絞って移住先を検討。写真は南アルプスの鳳凰三山と山麓の北杜市武川(むかわ)
山梨の中央部は典型的な盆地地形で、住宅街はその中に集中している。一般的には生活しやすい盆地内の土地に人気があるけれども、私たちは自然豊かな場所がよかったし、夏の酷暑を避けるために、盆地の外側にある山間部がいいだろうと考えた。そのほうが、地価がだいぶ低いということもある。
場所探しをする中で聞いた不動産会社や住宅メーカーの話では、山梨の市街地の場合、70坪ぐらいの土地に延べ床面積35坪ほどの家を建てるのが平均的なスタイル。2階建ての家なら、車2台分の駐車場と、ちょっとしたグリーンを楽しめる庭が造れる広さだ。生活するにはそれで十分だけれど、私は家庭菜園をしたいので、もう少し広い土地がいい。山間部なら地価は市街地の半分以下の所が多い。同じ予算なら倍以上の広さの土地を購入できることになる。
当然ながら、山の奥へ行けば行くほど地価は下がる。「ポツンと一軒家」ではないが、山好きの私たちは、山に近くて静かな所がいいと思っていた。その頃すでにテレワークが進んで、私は仕事で東京へ行くことがまったくなくなり、インターネットさえあれば、どこでも仕事ができる環境になっていた。
でも、夫は会社勤めのビジネスパーソン。業務の内容から夫の仕事はテレワークにはなじまず、毎日の通勤を考えると、山奥にこもるわけにはいかない。それにガクが成長したときには、近くに学校があったり、同級生がいたりしたほうがいい。土地を見て回るうちに、私たちが希望する土地のイメージがだんだんと具体化してきた。
1時間以内で無理なく通勤でき、学校やスーパーが近く、それでいて自然環境がよくて、さらには素晴らしい山岳展望が得られる所(これが一番重要)、という条件で探すうちに、北杜市に絞られた。
「山が見える所」以外にも求める土地のイメージが具体化してきた
検討時の必須事項はハザードマップの確認…
そしてもうひとつ、絶対に譲れない条件があった。それは、災害のリスクだ。最近はこれまでの想定が通用しないような自然災害が増えている。新しく生活するならば、なるべくリスクを避けようというのが、私たちの一致した考えだった。山間地は近くに急傾斜地や谷、川がある所が多く、場所によっては土砂災害のリスクもある。どんなに他の条件がよくても、災害のリスクがあっては安心して暮らせない。
でも不動産会社は、検討段階ではこちらから聞かない限り、「ここは土砂災害が起こるかもしれないから、やめたほうがいいですよ」などとは教えてくれない。契約時には、災害警戒区域に指定されているとことは告知する義務があるものの、契約時になって知るのでは遅過ぎる。
そこで、気になる土地が見つかったら、検討に入る前に、まずは自治体のHPでハザードマップをチェックするようにした。私たちが希望するような景色が開けている場所は、周辺が急傾斜地であることが多く、実際にチェックした場所が土砂災害警戒区域内だったり、そのすぐ近くだったりすることもあった。
ちなみに、国土地理院のベクトルタイル「地形分類」(https://maps.gsi.go.jp/#15/36.104665/140.086348/&base=std&ls=std%7Cexperimental_landformclassification1&disp=11&lcd=experimental_landformclassification1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0&d=m)では、土地の成り立ちと、自然災害リスクが地図上で見られる。公開されているのは市街地を中心としたエリアに限られるが、身近な土地を調べてみるとリスク対策の参考になるかもしれない。
そのほかに、地形図で周辺の河川や急斜面の有無を確認したり、晴天時だけでなく、雨の日、強風の日など天候の違うときにも見てみたりするなど、さまざまな角度から検討し、やっと出合ったのが現在の土地だった。
さらに、この土地の災害リスクが低いだろうと思った決め手は、近所の人と雑談をする中で「この辺りは、地面のすぐ下に平安時代の集落跡があるんだよ」と聞いたことだった。平安時代から人が住み、その跡が今も残っているということは、少なくとも過去1000年は大きな災害に見舞われていないということになる。それに、古代史好きな私は、平安時代の人がここで暮らしていたと想像しただけで、たまらなくワクワクしてきた。
この土地ならば、通勤距離や学校、買い物など生活面の負担が少ない、さらに、田畑に囲まれ、山里らしい静かな環境も気に入った。想定外の災害が起こるこの時代、警戒区域でないから安全とは限らず、いつ、どこで、どんな災害に遭うかも分からない。でも、これだけ検討して選んだ土地だから、有事の際はもう受け入れるしかないだろう。
土地の広さは、イメージの2倍ほど広く、その分、価格も予算を大きく超えてしまったけれど、動物を飼いたいと言っていた夫に「ここならヤギを飼えるかもしれないよ」とか「ミツバチを飼ったら楽しそう」などとたくさんの夢を語って説得。私自身にも、将来の暮らしへの投資だと言い聞かせて、思いきった買い物を決断した。
移住に向けて動き出してから約1年半、やっと私たちはスタートラインに立った。
山野を彩る季節の植物たち 〜レンゲツツジ〜
6月中〜下旬、高原を鮮やかな朱色で彩るツツジ科のレンゲツツジ。毒があるため「牛や馬は避けて通る」とも言われ、放牧場だった所などでは食べられずにこの木だけが残って群生していることも。群生地では花のじゅうたんになってとっても美しい。山梨県では甘利山が群生地の1つとして知られる。しかし、最近はシカの食害で数を減らしているとか。シカは毒に対する耐性があるのだろうか。